第16話・帰還、そして――
茫然として何をどう考えていいかわからないでいる私に囁きかけた人がいた。
「リエラさま。無事で……」
「ジュード。そ、そうか、ジュードがゼクスを連れて来てくれたの?」
「いや、俺はたまたま近くでエルーゼクスさまに出会って状況をお伝えしただけです」
「ゼクス。なんで来てくれたの? それに、リエラ、って……」
ゼクスは私を床に下ろして強張った笑みを見せた。
「ジークに全部聞いた。あいつ、ここに来る前に俺のところに来て、騙していた事を詫びて、もしもおまえの姿が見えなくなったらここを探って欲しいと言ってたんだよ」
「えっ」
「まあ、今はそれどころじゃないだろ」
ジークは丸腰で剣を突き付けられたまま。ただ、新しい知らせが来て、このまま殺してしまっていいものか、兵士たちは躊躇っている。
そこへ、奥から枢機卿が現れた。ジークに殴り飛ばされてまだふらつくらしく、兵士に支えられているけれど、威厳は失っていない。
「枢機卿閣下、ソマンドが侵攻を!」
「聞こえておる」
「父上」
そこへ、ジークが呼びかけた。
「なんだ。まだ生きておるのか」
「父上。騎士団を指揮出来る者はわたししかおりません。今は内紛に気を取られている時ではありません。このままでは、レイアークは滅亡してしまう。そうなれば、父上とてただでは済みますまい」
「……まあ、そうだな」
「どうか、今は行かせて下さい。わたしと彼女を。士気を上げるには『アークリオン王太子』が必要です」
「なんだと。アークリオンは王宮にいるのではないのか」
「いいえ、そこにいます」
枢機卿はぎろりと私を睨み、そしてようやくすり替わりに気付いたらしかった。
「そういうことか。ふん、騙されたわ」
「ソマンドを退けたら、きっと戻って父上の仰るように致しましょう」
「死にに戻ると言うつもりか?」
「彼女に手を出さないで下さるのであれば。損な取引ではないでしょう?」
枢機卿は暫し考えていたけれど、
「……まあいいだろう。必ずやソマンドを退けろ」
と言った。
―――
「ジーク! ああ、信じられない、こんな……」
階段を下りて来たジークに私は泣きながらすがりついた。もう泣き過ぎてきっとすごくおかしな顔になっているだろう。でも、確実に死ぬんだと思ったもの。なのに、私たちは生きてこの館を出る事ができる。
「リエラ」
流石にジークも感極まったような声で呼びかけて私を抱き締めてくれたけれどすぐに離して、
「喜んでいる暇はない。すぐに王宮に戻らなくては」
と表情を引き締めた。確かに、戦争に負ければ国は滅び、王族の私たちの命はない。
「俺も戦うよ」
ゼクスが言った。
「とんでもない。すぐに帰国するんです。ゼクスさま、この国の戦禍にあなたが巻き込まれるなどあってはなりません」
「おいおい、もう元に戻っちゃうのかよ。俺だってあんたの真意を知って共感したからこうやって素で喋ってるのに。俺は本来堅苦しいのは嫌いなんだ。あんたは年上でレイアーク王家の直系だ。さっきみたいにゼクスと呼び捨ててくれよ」
「いいえ、物事にはけじめが必要です。さっきはさっきです。わたしは王族籍を捨てた騎士です。さあリエラさまも、早く戻りましょう」
えっ、私にもさま付けに戻っちゃうの?!
「ジーク、せめて内輪ではさっきみたいに喋って欲しいんだけど」
「駄目です」
えええ……。まさか二人きりになってもこうだ、なんてないよね。
二人きり、という言葉に、私は連想してしまう。
『ジーク……わたし……ジークが好きなの』
『あ、愛してる……と思うの』
恥ずかしいとか僅かにも思う余裕がなく口にしてしまった言葉を思い出して、私は急にどきどきしてきた。
『ありがとう、リエラ。わたしもきみが大好きだよ』
あの時の優しい笑顔を思い出すと胸が苦しくなる。ああ、ジークを死なせなくて本当によかった。
「でもジーク、リオンの秘密がばれちゃった。大丈夫かな……」
「こちらも、奴が私の母を殺したと自慢げに話したのを聞いたのです。それにリオンの暗殺の事も。互いに弱みを握った形ですし当分画策する余裕は奴にもないでしょう」
「ジーク……まさかとは思うけど、戦いが終わった後で言いなりになって戻ったりしないよね?」
ジークは、国を護る戦いの為に死ぬのを保留にされた形になっている。戦いに勝って侵攻を退けたら、戻って死ぬと言ったんだ。
「おいおい、そんな馬鹿がどこにいる。あいつだって本気にはしてないさ」
とゼクスが呆れたように言う。そうだよね、と私も思ったけれど、ジークはただ、
「今はまずソマンドを退ける事が先です」
としか言わなかった。
館内は騒然としている。兵士たちは走り回り、居残っていた貴族たちは枢機卿にとりすがって口々に何か願い事を言っているみたい。ふと、私は大事なことを思い出した。
「ジュード! お願いがあるの!」
ジュードは私をここに送り届ける時に怪しまれないよう、ここの兵士たちと似たような恰好をしている。いまなら……混乱に乗じて行けるかも。
「無理はしないで欲しいんだけど、今から言う場所に行けて、もしも見張りがいなくなってたら……」
―――
王宮に密かに戻ったら、父にぶたれた。母はただただ泣いて私を抱き締める。
こっそり出かけてからまだ丸一日も経っていないのだけど、私にとっても両親にとっても、とても長い一日になった。みんな私がとんでもなく危険な事をしようとしていたのを察して気が狂いそうに心配していたらしい。
エリスは自分が僅かに目を離した隙にと、ひどく自分を責めていた。おかしな事をするかも知れないからとジークに言われていたのに、ジークが出かけてしまっていたので騎士団長の仕事を代わりにこなさなければならなくて少しだけ離れてしまったと泣いて詫びて。
「お許しください、閣下、そしてリエラさま。わたくしの不行き届きのせいでお二人の身に何かあったら、死んでお詫びする所存でした」
「そんな! ああ、ごめんなさい、エリス。私、ほんとうに考え無しだった。私がどうかなったら、エリスがどんなに苦しむかなんて想像してなくて、自分の思い付きが素晴らしいと思い込んでのぼせていたみたい。本当にごめんなさい」
「謝らないで下さい。リエラさまがご無事でしたから、もう二度と同じ過ちは致しませんわ」
「だからエリスのせいじゃないって」
――でも、生還出来たのを喜んでばかりはいられない。ジークはすぐに騎士団を招集してソマンドの動きを把握し作戦を立てるのに大忙しだ。
そして、ゼクスは、ジークも私も私の両親も帰国を強く勧めたのに、頑として頷かない。
「私はレイアークとの友好の為に来たのです。友の危機に我が身可愛さに逃げ帰ったりしては一生己を許せません」
「しかしきみの父上はなんと仰るか」
「レイアークは友好国でソマンドと国交はありません。何も問題ない筈です。仮に三男の私が戦で死んだとしても父は大して気にもしないでしょうし」
「そんな、ゼクス」
「いいんだ。俺はいま、とても充実した気分なんだ、リエラ。ジークが剣を教えてくれたし、俺だってなんかの役には立てるさ」
そうして、その日のうちに軍勢をまとめて、ジークの指揮の下にレイアーク軍は動き出す。枢機卿の傭兵たちもそれに加わった。何と言っても王家の騎士団だけでは人数が不足しているので、ジークは彼らを受け入れた。
私とゼクスはジークの近くで馬を駆っている。私は、ただ出発の時に姿を見せて皆を鼓舞すればよい、危険な戦場に同行するなんて駄目だ、と散々言われたけれど、これにはとことん反抗した。
ひとりでばかなことを仕出かしたのとは訳が違う。私はアークリオン王太子、国の存亡の危機に王宮で護られていては示しがつかない。私とジークが並んで陣頭に立てば皆の意気はあがる筈。私はただのお姫さまではない。剣があれば自分の身を護るくらいは出来る。
それくらいならば自分が出ると言う父と大論争になったけれど、私は、お父さまは最後の要として王宮にあってお母さまや皆を護って下さい、と半ば懇願した。だって、負けたらどうせみんな命はない。だったら、お父さまはお母さまと、そして私はジークと一緒に……。
「きっと無事に帰って来ますから。私にはこれがついていますし」
私の腰には聖剣デュカリバーがある。
そう、あの混乱の中でジュードに頼んで取り返して来て貰ったのだ。私はデュカリバーの在り処をジュードに伝えた。忍び込んだジュードが行きついたら、見張りはどこかへ行っていて扉には鍵がかかっていたけれど、野盗もどきの事をしていた経験が活きて鍵を壊す事が出来たんだって。
反省ばかりではあるけれど、私の引き起こした騒動も、一応目的は果たせたという訳だ。まあ、ソマンドが攻めて来なければ無理だったという駄目過ぎる結果なんだけど――。
父から借りた聖剣を佩いて先頭に立つ王太子の姿に、騎士も兵士もその目から不安を消して気勢を上げる。
不安じゃないと言えば嘘になる。でも、私の傍にはジークがいる。
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