第17話・明かされる現実

 涙涙の再会の後、公務で忙しい父王はまた夜に話そうと言って名残惜しそうに席を立った。


 母は、暫く感無量といった表情で私を見つめていたけれど、




「ジークはまだ貴女に詳しい事情を話していないそうね。ただ、亡くなった兄の身代わりになってくれと言って連れて来たと……最初は、それが正しい事だから貴女にそう納得して貰えればそれでいいと考えていたけれど、貴女に対する配慮が足りな過ぎた、と随分悔やんでいたわ」




 『亡くなった』という言葉を口にした時、母の顔には痛みがよぎる。こんなに長い間離れていた私をこんなに愛してくれる両親だから、ずっとその手で育てた息子の死は、どれ程辛いか、そしてそれを隠す事を余儀なくされている状態がまた一層辛いか、が一瞬にして理解できる表情だった。


 でも、私は兄を知らない。生きて会いたかった、と残念に思うけれども、その死を悼む気持ちは母に比べればごく小さなものだ。だから兄の事には言及せずに、母の言葉に答えた。




「それは……確かに、第一印象は悪かったです。いきなり現れて、私にとっては何の義理もない筈の隣国の為に、今までの自分を捨てて男になれと言われても……。私は、小間使いの自分が自分だと思っていたし、着飾って贅沢な食事をしている偉い人から見れば哀れな存在かも知れないけど、それでもそれなりに自分に誇りを持って生きているのに、って」


「そうね。それはとても立派な心だと思うわ。いつか、貴女を育ててくれた方に会ってみたい。出来れば友人になりたいわ」




 王妃様が小間使いを友人に。母さんが知ったら腰を抜かすだろう、と私はくすっと笑う。母は、トゥルースの国民が知る王族とは随分違って懐が広いようだった。




「でもね、ジークは多分、リオンの妹が小間使いとして苦労している、という事にばかり頭が行っていたと思うの。ジークは実父が小間使いの少女を虐待したり、身籠らせた挙句に母子共々邪魔で消し去ったりした所業を見て来たの。だから、とにかく連れ出す事が貴女にとって救いだと考えていたと思うのよ」


「最初からもっと解りやすく言ってくれたら良かったのに、ジークったら、まるで不審者みたいだったんですもの」


「あの子には王の資質があるし、立派な演説をして部下を鼓舞する才にも長けているのよ。ただ……女性と一対一になると、途端に口下手になっちゃうのよね……副官のエリスは別として」


「……」




 それって、エリスさんはジークにとって特別な存在っていう事? でも聞けない……だって……だって私には関係ないもの、二人の間柄なんて。




「ジークは、私がお兄さまの身代わりにならないと王家の立場が危うくなると言いました。でも、お母さまはそうしなくてもいいと仰る。それに、事情が変わったから、お兄さまに似た銀髪の娘が現れても困らないとも仰いました。何故ですか?」




 動揺を隠す為、私は敢えて感情とは関係のない質問をした。母は頷いて、




「確かに、リオンの死はまだ公にしていません。国王夫妻の一人息子が死んだとなれば……枢機卿は、ジークの弟で自分に似た次男のエイラインを王太子に、と言って来るでしょう。長男のジークリートは、父親と縁を切り、こちら側の者なのですから。エイラインが王太子として王宮に入れば、やがては国政は枢機卿親子の手に握られるでしょう。そうなれば、陛下とわたくしは、暗殺されるか、無実の罪で処刑されるか……いずれにせよ、消されるでしょう」




 恐ろしい事を母は蒼ざめながらも毅然として語った。私も蒼くなったけれど、母は宥めるように、




「でも、手がない訳じゃないの。ジークを正式にわたくし達の養子にして、立太子すれば、形としては収まるわ。だって元々、先王の直孫であるジークには王位継承権があるのですからね。離反したと言ってもやはり実の息子、枢機卿も表立って文句は言わないでしょう。ただ、そうなれば、ジークを疑う者は出てくる……結局、実父の手先だったのではないかと。それに、ジークも自分が王族に戻る事を望んではいない。王太子に立てば、枢機卿は懐柔に動くだろうし、そこでまた親子の衝突があるでしょう。でも、ジークが望まないのは、わたくし達の実子が次の王になるべきと思っているからなの。散々非道な行いをしてきた枢機卿の息子である自分に、王の資格はない、と」


「非道。それは、意味不明な税金を取り立てて民を苦しめたり理不尽に殺したりしていること?」


「勿論そうした事の罪深さは一番大きい。守るべき民を苦しめるなんてね。でも、他にもあるの。貴女の疑問……何故今はもう、貴女がこの国の貴族の娘になってもそれ程危険ではないか、という事。双子を忌む風習は消えてはいないから、表立って貴女を実子の王女として迎え入れる訳にはいかないのは悲しいけど、遠縁の娘として養女にすることは可能なの」


「どうして?」


「枢機卿がこの十年で懐を肥やした一番の財源は『銀髪税』。貴女が生まれた頃は、銀の髪である事は、王族の看板を背負って歩くのと同義だった。神は、祝福の証に、国に奉仕する王族へ銀の髪を下さったの。でも、枢機卿は……神に仕える身でありながら、それを財の道具にしたのよ! つまり、低位でも貴族でさえあれば、染粉で髪を銀にしてよいと。金銭と引き換えに権威を誇る為、高額な税を払って髪を銀に染める貴族が後を絶たなくなった。枢機卿は金銭を元に地盤を固め、民は銀髪を見慣れてそれに対してあまり敬意を払わなくなった……王族の権威を売ったも同然なの。それが、ジークに父親を見限らせた一因でもあるわ。金の為に名誉を売るのか、と」




 今まで疑問に思ってきた事が符合した。ゼクスは銀の髪はレイアークの王族の証だと言ったのに、トゥルースの民はともかく、レイアークの民であるジュード達までが、私とジークをただの田舎の駆け落ち貴族くらいにしか思っていなかった事。




「枢機卿と言えば、神に最も近い聖職なのに、そんな、神の御心を金銭に替えるような事を……」


「そう、酷い罪だわ。でも、神がお許しになったのだと彼が言えば、国王でもそれに異を唱える事は出来ない……勿論陛下は水面下で随分抗議なさったけれど、効果はなかった。そうして、今では枢機卿の私設兵は王家の騎士団よりずっと数が多い。クーデターが起きるのは時間の問題だと多くの者が考えているわ。国が荒れたのは枢機卿の所為なのに、彼はそれを王家の悪行と言い廻っていますからね。そして、民は聖職者の言葉を疑わない。枢機卿と言ったって、元々は欲にまみれたひとりの人間に過ぎないのに」


「ひどい……」


「そうね。でも、これが現状。ごめんなさいね、ここはちっとも安全ではない。でも、わたくし達だって、座して流されるままになっている訳ではないのよ。だって、枢機卿がこの国の支配者になれば、民の幸福はない。それを判っている者たちだってたくさんいるわ。陛下とリオンこそ正しく誠実な王家だとね。騎士たちのジークへの信頼は絶大だし。陛下は民の為、常に様々な政策を打ち出し、その多くは成功している。支持者は少なくないし、クーデターが起きても必ず敗北するとは思っていないわ。ただ、わたくし達には、安全を買う財がないの。つまり、枢機卿に対抗できる傭兵を雇い入れるお金がね。だって枢機卿が民に重税を課しているのに、わたくし達まで多く取り立てる事は出来ないから」




 次々と明かされる現実に、私は唇を噛み、シーツをぎゅっと握りしめる。




「それで警備が行き届かなくて、お兄さまは暗殺……」




 言いかけて、言葉が直接過ぎて母を傷つけるのでは、と危ぶみ、私は口をつぐむ。でも、私の言葉に母はただ悲し気に頷いた。それで、私は続きを言える。言葉を濁していては、今後の事が決まらない。




「お兄さまの死が公表されれば、支持者たちには動揺が起こるのでは? 王太子の暗殺を許す程王家が弱体化していると知られれば、我が身大事さに離れて行く者も出るかも……」




 母は眉根を上げた。




「その通りよ。でも貴女、とても頭が回るのね。王族として教育を受けた訳でもないのに」


「ゼクス……エルーゼクス王子が、たくさんの書物を見せてくれて、世界の事を学ばせてくれたから」




 単なる好奇心を満たす為であって、その知識が小間使いの人生の役に立つ事はないだろうと思っていたのに、大助かりになるとは。私は心の中でゼクスに感謝を述べる。いつかまた、会えるだろうか。私の、たった一人の友人。




 ところが、そう思った途端に、母は思いがけない事を言い出した。




「そうそう、ジークから聞いたけれど、貴女はエルーゼクス王子と懇意なのですって? そして、レリウスに愛妾にされかけた? レリウスの執着がそこまでだなんて唖然としたけれど、助けられて良かった。それでね、父王に歯向かったけれど、レリウスとしても息子を公然と処罰し辛い、という状況で、レリウスは、エルーゼクス王子を我が国に留学させたい、と申し出てきたの! 我が国の政情が不安定な事を知っていて、邪魔な息子を押し付けてきた、という訳ね。だから、もし貴女がどういう形でも王宮に居てくれるならば、彼にまた会えるわよ」




 と微笑して言った。


 ゼクスにまた会える! それはとても嬉しいけれど、私はどういう形で会うだろう? 小間使いのリエラ? 国王夫妻の養女? それとも……。


 私の心は、もう決まっていた。

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