第18話・凍てた者との再会

「お母さま。お兄さまは、今どこに?」




 突然の、それも極めて微妙な質問に、母は戸惑い、表情を曇らせた。でも、ちゃんと答えてくれた。状況の順を追って。




「……ジークの計画を実行するかは、貴女次第。勿論貴女の気持ちが第一ではあるけれど、貴女の器量も見極めなければならない、という事情もあった。リオンの死をなかった事にするのは、当面無難だと言えるけれど、もし小間使いとして育った貴女が敵勢力に偽物と見破られてしまったら、民を謀ったと断罪されるという大きな危険がある。いくら敵が卑怯な方法でリオンを……殺したから、だ、と言っても、それは事実ではあるし。勿論、わたくしたちの実子、本物の銀の髪を持つ貴女には、リオンと名乗ろうとリエラと名乗ろうと、いまや第一王位継承権はあるのだけれど……表向きリエラは元々存在していなかった事になっているし、双子を不吉と考える風潮は依然残っているので、実際にアークリエラを新たな王太女として皆に認めさせるのは、立場の弱いわたくし達王家側にとっては、現状大変難しい。リオンの死を公表して葬儀を執り行うか……ジークが貴女を連れ帰るまで決断を先送りにしていました。リオンとジークは、国境の視察に出ている事にしていたの。二人の不在が長くなってしまったので、怪しむ輩も出て来始めてきたところで、貴女たちは帰って来てくれた。……で、リオンの居場所、だったわね」


「はい。すみません、辛い事をお聞きして」


「いいのよ。ここにいてくれるのなら、貴女には何でも知る権利があるし、知るべきでもあります。リオンの遺体は、秘密裡に地下の氷室に安置しています。葬儀を執り行ってあげられる時まで……あの子の身体が傷まないように……」




 母の目にうっすらと涙が浮かんだ。愛する息子を失った上に、弔ってあげる事さえ出来ず、普段と同じように振る舞いながら、息子の遺体は隠しているなんて、どんなに苦しい事だろう!




「お母さま。これからは、私がお兄さまの代わりにお母さまをお守りし、お父さまに尽くします」




 私は母の細い背中をぎゅっと抱いて、そう囁きかけた。母は息を呑み、身じろぎした。




「リエラ……貴女は……」


「私は、世の中を知ってるつもりでいて、何にも解っていなかった。ゼクスの教えてくれた知識のおかげで、色んな事を知ってるつもりで自分に自信を持ってた。でも……短い間に色んな事が起きて、私はただお城の厨房で毎日同じ事をして働いているだけの世間知らずな娘で、自分が誰なのかすら知らず、世の中には色んな人がいて色んな事を考えていて、色んな暮らし、色んな苦しみがある事を、ただ漠然としか知らなかった、という事が身に沁みました。私に出来る力が……お兄さまとそっくりだという事が役に立つなら……私は出来る事をしたい。親孝行もしたいし、貧しい暮らしに苦しむ人もなくしたい。枢機卿をやっつけたいの! そうして私が国を良くする事が出来たら、いつか私が女に戻っても誰も文句を言わない日が来るかも知れないわ」




 この時の私は、自分でもよく解らない情熱に突き動かされ、どんなに無謀な事を自分が言っているのか、全く理解していなかった。両親と兄が力を尽くしてきたのに、枢機卿の勢力に敵わない、そんな中、ちょっと書物をかじった程度の小間使いの娘が王太子として何を変える事が出来るだろう? でも、外の世界の隅っこが目の前に見えたというだけで、私はその深刻さも自分の無力さも考えに入れず、ただ理想に燃えて子どもみたいに夢物語を語ってしまった。


 それに……この決断を、きっとジークは喜ぶだろう、という思いもどこかにあった。ジークとリオンはいつも一緒だったのだ。だからリオンになれば、これからもずっとジークと一緒にいられるのだ、という、自覚のない私的な思い。




 母は、私の気持ちを理解した上で、枢機卿をやっつけるなんて馬鹿げた夢だと思った筈。でも、優しく私の頭を撫でて、




「本当にいいの? また命を狙われるかも知れない。露見すれば投獄されるし、命もないかも知れない。そして露見しなくても、一生愛する殿方と結ばれないかも知れないのよ」




 と念を押す。




「枢機卿をやっつければ、きっと何もかも良くなるわ。私、頑張るわ」




 私の言葉に母は悲し気に微笑み、黙って頷いてくれた。




 私がリオンにならなければ父の王家はいっそう弱体化し、やがてこの国は枢機卿一派の思いのままにされてしまう可能性が高い。両親やジークは暗殺され、枢機卿の次男が王位に就くかも知れない。それを防ぐ為にジークは私をここに連れて来た。


 でもジークだって、小間使いとして育った私が、幼い頃から帝王教育を受けて来た兄と同じ事、ましてやそれ以上の事が出来るとは勿論思っていないだろう。滅びへの速度に歯止めをかけ、一縷の望みを繋ぐ……それが私に求められた役目。


 一方、私がもしリオンに成り変わった上でへまをすれば、両親と私の命はないかも知れない。私次第で、両親は却って命を縮め、汚名を着せられる事になるかも知れないのだ。勿論私も。だから母は、恐らく自分たちの事よりただ私の為だけに、養女として滅びの日まで共に暮らす道を提案してくれた。両親が失脚しても、養女の命まではとられないという計算だろう。


 母は、この国の負の勢いを止める事は出来ないと思っているのだ。だったらへまを心配するよりも、私が救いになる方へ賭けたかった。その為なら、女を捨てても構わない。捨てたものは取り戻す事だって出来る可能性がある、と思った。




「お兄さまに会わせて下さい。特徴を……髪型や何か色々、会えば掴めるものがあると思うの」


「わかったわ。今から案内しましょう」




―――




 氷室は想像していた以上に冷えた。私は廊下を歩く間被っていたフードを外し、氷の棺に眠っている兄に近付いた。母にも父にも似て……そして私と同じ顔。生まれてすぐに引き離され、死んで再会が叶った、私の片割れ。暗殺の方法は聞いていなかったけれど、正装して、死に至るような傷は見えず、顔は綺麗に清められて眠っているみたい。


 もしも私が男で彼が女だったら、今この冷たい氷の中にいるのは私だった筈。




「……お兄さま。リオン。私、リエラよ。初めまして、はおかしいよね。だって、お母さまのお腹の中でずっと一緒にいたんだもの……」




 今までぼんやりとしかなかった悲しみ……兄弟がいたなら生きて会いたかったなという程度の失望……それらが、氷に触れた途端に、大きな悲しみとなって爆発した。まるで、忘れていた記憶が戻ったみたいに、私の中へ、何か知らなかった感情が溢れ出してくる。




「リオン?!」




 私と私の背後にいたお母さまは同時に声を上げた。


 氷の棺の中の遺体から、影のような揺らめきが抜け出したように見えた。




『リエラ……母上……』


「リオン! リオンなの?!」




 母は泣き叫びながら棺に縋りつく。




『すみません、母上。先立つ不孝をお許し下さい。でも、僕の魂の一部は、この氷の中で待っていたのです。僕の妹、魂を分け合った者、アークリエラが来てくれるのを、ジークが連れて来てくれるのを信じて』


「リオン! あなたそこにいるのに、行ってしまうの? わたくしのいとし子! 行かないで!!」


『僕の身体は当分このままでしょう? そして僕の遺した魂は、リエラに宿る……いいだろう、リエラ? お母さまのお腹の中にいた時と同じように繋がって……そうしたら、僕の記憶、僕の感情は、きみの一部となって残る。でも、僕がきみになる訳じゃない。解るだろう?』


「お兄さま……一緒にいて……」


『きみに遺せるものは全部あげる。だから、父上と母上を、そして祖国を、頼むよ。僕が出来なかった事を、きっとやり遂げてくれると信じている』




 そう言うと、リオンは私と母の中を通り過ぎる。




『さようなら……きみの幸福をいつまでも祈っているよ』


「お兄さま!!」




 そしてリオンの気配は消えた。母は思いもしなかった出来事に、凍った床に手をついて泣き崩れた。

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