第16話・再会
温かな陽の光に包まれて私は目覚めた。清潔な寝具、清潔な寝着。倒れた後に運ばれ、旅の汚れを落として寝かされたのだろう。私は特別怪我をしたりしてはいなかった。ずっと護られていたから……。ただ、心痛のせいで気を失っただけだ。横になったまま首を巡らすと、小間使いのリエラには近寄りがたいような立派な寝室だった。でも、アークリエラ姫には相応しいのだろう。ぼうっとしながらも、私は短時間に状況を思い出せた。ジークは? あれからどれ程の時間が経って、ジークはどうなったんだろう?
その時、ばたんと扉が開いた。ノックがなかったのは、多分まだ私が眠っていると思われていたから。でも、私は寝台の上で目を開けていた。
「ああ……神よ」
入って来た女性は私が目覚めているのを見て、涙声で叫び、持っていた盆を落としてしまう。
「王妃陛下!」
侍女らしき人の案ずる声が聞こえたけれど、
「大丈夫よ……もう大丈夫。後で片づければいいわ。今は……二人にして頂戴。それと、陛下に伝えて。目覚めた、って」
「仰せのままに」
そして、扉は閉められ、彼女は私に近づいて来た。私と同じ銀の髪、美しく装った四十歳前後の女性。彼女は、あの変態王の愛妾にされる為に磨かれた時に鏡で見た自分によく似ていた。一目で、誰なのか判った。
「お……かあさま?」
違う、母上とか母君とか言うんじゃないのかな? でも、自然に口をついて出たのはこの単語。何故だろう、最初に身の上を知った時には、勝手に捨ててと恨んだのに、今はただ喜びの涙がこみ上げる。途中でジークから事情を聞いたから、というのも勿論あるけれど、それ以上に今、私は血の繋がりを、そしてそれが生み出す絆を感じている。母の仕草の、言葉のひとつひとつに、愛を感じるから。
母はまだ起き上がれないでいる私に覆い被さり、ぎゅっと抱き締めた。
「わたくしの娘……アークリエラ……忘れた事なんて一日もなかった。死んだと聞かされて、貴女の安全と幸福の為、歯を食い縛って手放したのに、そんな事になるなら貴女を傍に置いて、わたくしの命に代えても護ってあげれば良かった……とどれだけ悔いたか。でも、生きていた、生きてわたくしのところへ帰って来てくれた!」
嗚咽する母の涙が首筋に伝わる。抱き締める腕は温かい。私の、実の両親へのわだかまりは、完全に氷解した。
「お、おかあさま、おかあさま!!」
育ててくれた母さんには申し訳ないけれど、私は手を伸ばして母を抱き締め返す。涙がぽろぽろ零れた。母の愛が、触れ合った至る所から染み込んでくるように思えた。
もしかしたら、亡くなった兄の代わりになる為に呼ばれたのだから、最初からアークリオンとして扱われるかも知れない、とも覚悟していたのに、母は、死んだ筈の娘の私を、一日たりと忘れなかったと泣いて喜んでくれた。私を包む、無償の母の愛。それを初めて知って、私は幸福だった。
「辛い環境で育ったのでしょう? わたくしを恨んでいないの……? 母と呼んでくれるの?」
母の問いに私は、
「私の為にして下さったこと……恨む筈がありません。いえ、事情を知るまでは恨んでいたかもしれないけれど……それはもうありません。おかあさまは、お兄さまの影武者ではなくて、私自身を愛していて下さった……こんな嬉しい事があるなんて、思いもしなかった……」
「リオンはリオン、貴女は貴女。リオンの事がなくても、わたくし達は、貴女が生きて不遇でいると知った時からすぐに、呼び戻す方法を考えていました。貴女が生まれた頃とは色々と変わった。今では、銀の髪はそう珍しくはない……田舎にいた遠い血筋の、今はただの没落貴族の娘が、偶然リオンに似ていたとしても、それはもう、貴女にとってそれ程危険な事ではないから」
どういう事だろう? 変わったって? でも、何も考える暇もなく、母はまた私を抱き締める。
「神はわたくしからリオンを奪ったけれど、リエラを返して下さり、もうひとりの息子ジークも生きて戻して下さった……」
「もう一人の息子?」
「勿論、ジークはわたくしの血を分けた息子ではありません。陛下の甥……でも、わたくしも陛下も、ジークの事はリオンの兄だと思っています。だからリエラ、貴女は無理をしなくていいのよ。ジークは生真面目だから、わたくし達の実子である貴女が王位を継ぐべきと思っているけれど、元々の筋では、陛下の兄の長男であるジークが王太子となる事にはなんのおかしな事もないの」
「え? でも、お兄さまの死は秘密では……? それに、ジークは無事なんですか?」
色々と思いがけない母の言葉に私は混乱してきた。そして、ジークの安否を尋ねていなかった事にも気づいた。
「ごめんなさいね、貴女の体調が整ってから、ちゃんと順を追って話をするべきね。でも、何も心配しないで。ジークも命に別状はないし後遺症も残らないそうだから。貴女が何故小間使いとして育てられたのか、全部事情も聞きました。一緒に旅をして、あの子が不器用だけれど本当に良い気性を持っている事に気付いてくれているのなら嬉しいわ……」
「ええ、何度も助けて貰いましたから」
良かった……ジークは無事で、私も無事で、こんな綺麗な優しいおかあさまに愛されて……何だかもう悪い事なんて何もないみたい。
本当はおかあさまはまだ、息子を失った苦しみが癒えている筈もないけれど、今は私だけを見てくれている。
この時、扉が叩かれ、銀の髪に王冠を乗せた男性が入って来た。
「アークリエラ……本当にそなたなのだな……無事に目覚めて……」
人を惹きつける力のある声が私の耳に届く。慈愛に満ちたひとみの持ち主が誰なのか、すぐに判る。
「陛下……」
「おや、何故わたしはおとうさまと呼んで貰えないのかな? おかあさまだけ、ずるいじゃないか」
悪戯っぽく責め口調で言うと、父王は歩み寄り、場所を譲った母に代わって私を抱き締める。私にとって、初めての、父という存在。
「す、すみません。だって王さまでしょう、つい……」
「ここには親子しかいない。おとうさまと呼んで欲しい。前に抱いた時は小さな赤子だったのに、美しい娘になって」
「お、おとうさま。私、本当に何も知らなくて……でも、嬉しい……」
「わたしもだ、可愛い娘。よく無事で戻って来てくれた」
そうして、私は物心ついてから初めて会った両親に縋ってわんわん泣いた。時が止まったかのような午後だった。
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