第29話
頭が割れそうな断続的な轟音に、次第に目が眩んだ。呻くようにリツを呼んでも、それはどこかに飲み込まれて消えてしまった。
数十秒それは続いたが、突如分散するかのように空気に溶けて静かになる。しんと静かになっても頭蓋骨の中では鐘の音がまだ響き渡っている。
「今の……なんなの……」
リツの声を合図におそるおそる耳から手を離し顔を上げる。怯えるように背中を丸めて、両耳に触れている。そんなリツの背後には黒い影が立っていた。
反射的にサクラはリツの細い手首を掴んだ。
血の気がひいて、唇が震える。思考するほどの酸素が頭に回らない。うまく声が出ないけど、何億もの歴史を巡ってきた人間の本能がサクラの体を動かした。
自分でも恐ろしいくらいの力でリツの手を引いて全力で藤棚の下を走り出す。リツがバランスを崩してよろけてもお構いなしだった。
「ちょ……っなに!?」
リツの息は上がって弾み、喋りにくそうに荒く叫んだ。どこまで走っても無限に藤の花が垂れ下がっている。おかしいこんなに広い公園じゃない。
気がつけば、辺り一面が満開の白い藤だった。暗い夜なはずなのに、花が一つ一つぼんやりと光っており、奇妙なほどに明るかった。
「なによ……これ……。あたしたち……公園にいたんじゃ……」
「て……てき……っ!!」
泣きそうになりながら、サクラは喘ぐように絞り出した。なにを言っているのかは、自分でもよくわからない。
「どうしたら……っ」
ハッと、リツの切れ長の目が大きく開いて、言葉を失った。嫌な予感というよりも、何が起きたか確信していた。
勢いよく振り返ると、そこには先ほど見た黒い影がいた。
それは、リツよりも少し背が高い、人間とよく似ていた。真っ黒な烏の羽みたいなマントは藤の花に反射して複雑な色に煌めいている。顔は何かで見たことがある──ペストマスクだ──燻んだ金属のペストマスクをしている。色は烏だが、細い嘴と膨らんだろう膜がどこか鳩を連想させる顔だった。
マントから覗く手は不気味なほど白くしなやかで女性的だ。ペンチに似た器具が握られている。キラリと青のような白のような色が反射して、色だけ見れば美しい。映画で見た拷問具に形は似ている。あれよりも小さな物だった。舌を引き抜いているシーンを思い出して、背筋が凍る。
いろいろな記憶が駆け巡った。
女の人ばかりを狙う、犯罪者。僅かな時間で心臓を抉り取るという、人間には不可能な方法だと噂されている。
実際彼女たちはどんな風に殺されていったのだろう。
サクラを目掛けて白い手が伸びてきた。大柄だけどパーツモデルのそれみたいに完璧で綺麗だ。
肩を掴まれて、サクラはあまりの力に立ってられなくなり地面に仰向けに転ぶ。ポケットに入れていたスマホが飛び出して白い鏡面みたいな地面に転がっていくのを見た。
「は、離れっ……!!」
呂律の回らないリツが手持ちのショルダーバッグで鳩頭を一発殴った。しかし、バッグはリツの手から離れ、地面に落ちて弾む。
鳩頭は泣きそうな顔のリツなんて見向きもせず、サクラの首を片手で絞めて、器具をカチカチと鳴らす。
苦しさで、視界がぼやける。鳩頭の手を振り解こうと短い爪を立てて引っ掻くも、金属でも引っ掻いてるみたいでまるで歯が立たない。次第にモヤがかかるみたいに頭がぼうっとして、リツの悲鳴も聞こえなくなった頃、突然視界が開けた。
鳩頭が消えた。
サクラは仰向けで動けないまま、バクバク跳ねる心臓と同じ速さで呼吸を繰り返した。
気がつくとリツが泣きそうになりながらサクラの顔を覗き込んで、名前を呼んで、痛いくらいにギュッとサクラの手を握っていた。
サクラはなんとか体を起こして、地面に手をつく。鏡面に映った自分の顔はゾンビみたいにボロボロだった。そうしていると、凛として涼やかな少女の声が響いた。
「悪趣味なことをしてくれるわね。アナタの発想力は子猫の爪くらいの大きさなのかしら」
鏡面に青いブーツがゆらゆらと映っている。
ぜえぜえと呼吸しながら顔を上げると、青い少女が立っていた。サクラとリツには背を向けて、鳩頭とは向かい合って、腰に片手を当てている。後ろ姿だけどわかる。あれは、ティアドロップだった。
「明日の朝の見出しは、『これで10人目、ハートコレクター連続殺人事件』……なんて? そんなの、このわたしがさせないわ」
ティアが片足を踏み鳴らすと、彼女を氷の細い長剣が地面から勢いよく現れる。あんな剣は見覚えがない。
「さあ、悪い子ちゃんは夢の中に帰る時間よ」
ティアは剣を片手に、鳩頭へ時折ステップを踏むように走る。回転をつけて魅せるように斬りかかる。鳩頭も大きな体に反して身軽に躱した。黒いマントがふわりと翼みたいに靡く。
サクラはリツと手を握ってその光景を見ているほかなかった。
「意外と動けるんだ。やるね」
空を斬って行き場の失くした氷の剣を地面に突き刺して、ティアはそれを軸にポールダンスみたいに、くるりと回る。
鳩頭は何も言わないで、両手で器具を掴んだまま、マントをあたかも自身の翼のようにバサバサとはためかせた。
「それは、求愛でもしてるつもり? 気持ち悪っ」
ティアが煽って酷い顔で笑う。
それに反応してかしてないのか、突如鳩頭は表情─と言えるのか─ひとつ変えずに、頭が破裂してしまいそうなほどの奇声を上げた。さっきの鐘の音が囁き声に感じるほどだった。高音でガラスが割れるみたいにいくつもの花たちがキラキラと弾けて散り散りになる。
サクラもリツも耳を塞いだが、手一枚じゃ何の意味もなさなかった。
ティアだけは苦しそうに顔を歪めて、ギリギリと唇を噛んで、薄い唇をじんわりと赤く染めていた。
「本当……最低……」
ティアは剣を引き抜いて、もう一度足を鳴らし、新たな剣を出現させる。2つの剣を手に、クルクルと舞い落ちる青い花みたいに鳩頭へと距離を詰めたり、離れたりしている。いつだったか、テレビで見た西洋の剣舞に似た動きだ。時折り、地面を引っ掻いているみたいガッと剣が鳴いていた。
鳩頭が器具を片手の指で撫でると、翼の隙間の真っ暗闇から赤く乱雑に染められたロープが現れて、ティアの首を蛇のように狙った。
ティアはロープを斬りながら、なおも鳩頭の周りを回る。しかし、一瞬の隙をつかれて、ティアの剣の一つは絡めとられ、反動でバランスを崩したティアの足にロープが巻きついて転ばせた。鳩頭がもう一度器具を撫でると、ティアは鳩頭の方へと引きずられる。剣も手から離れてしまう。
「ティア!?」
サクラは掠れた声で叫んだ。擦り傷だらけのティアはこちらなんて見向きもせずに、鳩頭の前に倒れている。表情はわからないが、首にロープを巻かれているのははっきりとわかった。
このままティアは殺されてしまう? そう思った瞬間にリツが勢いよく立ち上がり、ヒールのままガタガタに走り出した。
「リツ……!? ま……っ!!」
剣を拾って、自棄になって叫んでボロボロだった。サクラは力を入れて立つことさえできなかった。
「じゃあさ」
不意にティアが仰向けに寝そべったまま、鳩頭を見て不適に笑った。
「こんなのは、どう?」
ティアが右手を上げて、指を鳴らすと、ティアがクルクルと回った軌道──剣で描かれた魔法陣が青くピカリと光る。リツは慌てた様子で剣を握りしめたまま立ち止まった。その瞬間に天と地から氷柱が突き出し、鳩頭を挟み串刺しにした。悲鳴もなく、鳩頭はぐにゃりと空中で倒れるような体勢で上下の氷柱を赤く滲ませていた。
あまりに現実味がなくて映画みたいだとサクラは呆然としていた。
結果的に勝ったティアは悔しそうにため息を吐いて、指を鳴らす。鳩頭は氷柱と一緒に爆ぜて細かい砂のような、キラキラとしたガラス片になって離散し、消えた。
リツの手からもキラキラと砂が舞う。傷だらけのティアはゆっくりと起き上がって、呑気にスカートについた埃を払った。そして、急に少女らしい笑顔を見せて、ぴょこぴょこと歩いて近づいて来たのだった。
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