第28話
光根総合病院前の薬局の駐車場到着した頃には5月末の太陽がすっかりと落ち込んで、ちらちらと街灯が光りはじめていた。
沢良木姉妹が生まれた場所であると同時に父方の祖父を看取った病院だった。
5年前に建て替えをしたらしく、7年前祖父が入院していた頃の古いお化け屋敷みたいなおどろおどろしい雰囲気は感じはなくなっていた。
リツは整形外科で働いてると言っていた。祖父が入院していた内科病棟は6階だったっけと、サクラは病棟を運転席から見上げた。あのどこかで、リツは白いナース服を着て、注射でもしてるんだろうか。
ひとまずリツには薬局にいると連絡を入れて、暇潰しに店内を10分程度ふらふらした後、コハルがおやつにしてしまったお煎餅の代わりとして、栄養ドリンクを購入する。会計を済ませた頃にちょうどスマホが鳴った。
『薬局、来たんだけど』とリツ。
入り口の大特価と書かれたトイレットペーパーの山の間に、いかにも酷く疲れた顔をしてリツは立っていた。
「あ、ああ……お疲れ様……リツ」
サクラはこの前久しぶりにリツに会った時みたいに緊張し、どぎまぎしながらレジ袋を彼女に差し出した。
きょとんとした顔で、「なにこれ」とリツは受け取る。
「栄養ドリンク」
「ありがとう……」
リツは鞄にドリンクをしまう。
「あのね……この前の……」
「ああ、それ……」
リツは鞄のベルトをギュッと握って、顔も挙げずに、拗ねた子供みたいにちらりとこちらを見下ろす。困ったように眉は垂れ下がって、それでも眼光はこの前みたいに鋭い。
「空気悪くなったじゃん……なんか……その……」
だから、ごめんねって言いたいのだけど、なんだか言葉にならない。いらないプライドが邪魔をしてたったの4文字を喉の真下で堰き止めていた。
沈黙の隙間に薬局のテーマソングが流れて、2人の間に気まずいような、気が抜けるような、なんとも言えない奇妙な空気を作っていた。
──いい加減、大人になれよ。
頭の中で、サクラがわたしを小馬鹿にして笑う。この歪んだ笑顔はコハルとよく似ていて、本当に腹が立つ。
全部振り払うように、喉のダムをぶち壊すように息を思いっきり吐いて、口を開く。
「出過ぎた真似したな、あたし」
その声はリツのものだった。切れ長の目を大きく開いて、サクラを捕らえた。困ったように息をつく。
「だからって、考えは変わんねーけど。まあでも、悪かったね」
「ああ、うん……わたしのほうこそ……」
思ってもみなかったリツの言葉に拍子抜けして、サクラは釈然としないまま、答えた。そんなサクラの顔を見てか、リツの口が訝しげにひん曲がる。
「なに?」
「意外に怒ってなかったんだなって」
「別に、怒ってねえよ」
リツの声が生温く穏やかになって、少しだけホッとしたのと、同時に怒ってないのにあの態度はなんなんだよと、ピクリと頬が引きつる気がした。
その後は、ひとまずリツが明日までのクーポンを持っているという夜カフェに向かった。だけども、あいにくの満席。テイクアウトで、サンドイッチとサラダとカフェラテを2人分購入して車に戻り、近くの公園へと向かった。大きな公園ではないのだけれど、藤の花が綺麗なのと、御伽噺の塔みたいな時計台がお洒落で、地元の人のちょっとした穴場になってる、リツは話した。
残念ながら藤の花のピークは過ぎてしまい、遠目から見ても随分と寂しい。そんな頼りない藤棚から街灯の光がふわりと透けている。心なしか青く照らされた藤棚の下のベンチに並んで座って、膝に夕食を広げた。顔を上げると有名な煉瓦造りの時計塔が薄暗い廃墟みたいにローマ数字の文字盤の午後7時40分を指している。
リツは夜のピクニックだと、遠足に来た子供みたいに笑う。炭焼きチキンのゴテ盛りサンドとアボカドとむきエビのサラダだった。
2人でパンから飛び出してくるチキンに苦戦しながらサンドイッチとサラダを食べ、カフェラテを飲みながら話をしていた。
お互いの近況を話す。仕事の愚痴や家族のこと、スキンケアのことや先月行ったライブやお洒落なカフェの話がリツの口からわらわらと出てくる。きっと、話の一つ一つは面白いのだろう。なのに、サクラの頭にはなに一つとして残らなかった。
公園に到着してから1時間ちょっと経過。病院につきもののよくある話をしていた。霊安室のある棟では深夜から明朝にかけて、よくエレベーターがひとりでに上がってくるのだという。リツの働く整形外科病棟はその霊安室の棟と同じらしく、先日の夜勤でも不在のエレベーターに出会したとあっけらかんとして話す。そのくらいは日常茶飯事らしい。
そんな、ゾッとするような話で会話が途切れる。サクラは「ね」と、少し不自然に話を切り出した。
「そういえば、心臓の手術ってどうやるの?」
「は?」
案の定、リツは言葉が通じないように眉を潜めて答えた。サクラはカフェラテのカップの水滴を親指でなぞりながら続ける。
「心臓って肋骨で囲われとるからどうなんだろうって最近気になってて」
「あー……肋骨をノコギリで切るんだよ、よく知らんけど」
リツは自分の薄い胸の骨に指先で触れた。
「うそ……手術でノコギリ?」
「そ。人工的に骨折をさせんの。骨が簡単に壊れたら困るっしょ。漫画とかで死体バラす時もノコギリだし」
リツはリボンの解き方でも教えるみたいに、平然と言う。サクラの脳内には返り血を浴びた緑の手術着に身を包み、ノコギリ片手に笑うサイコパスな医者が浮かんだ。医療系の映画やドラマはあまり好んで見ないのだが、それでもノコギリが出てきたことは記憶にない。
「あれでしょ。巷の連続怪死事件」
欲しかった話題をリツは切り出した。サクラの中のサイコパスな医者は一瞬で消える。
「そう。数分でできるような殺し方じゃないよねって話してて」
「不可解で不気味だから話題になってんだよ。お巡りさんとか探偵さんに任せるしかないわな」
ここで、被害者は魔法少女かもしれないなんて話したらリツはどう反応するだろう。理由はわからないけど、この前から、リツは魔法少女の話題を避けている気がする。それに彼女らが魔法少女という根拠はないし、そもそも、魔法少女が複数いるのも聞いたことがない。
「あのね、リツはこの被害者たちなんか共通点あると思う?」
サクラは謎解きゲームでもするみたいに、探偵を気取る。魔法少女という当事者としてなんて、リツには話せない。
「あんた、そういうの好きなわけ? くだんねーの」
呆れた声でリツは吐く。子供の妄想でも聞くみたいに、言葉を受け流しているのが顔を見てわかる。
「いや、だって……怖いじゃん……」
苦し紛れの答えに、結局リツは分かり合えない存在だと、そう思ってしまった。リツは現代女性で、サクラはきっとまだ魔法少女を演じている。
「まあ確かに……二十代の女性って枠には入ってっるけど……だからって何万分の1になるほど、あたしらは特別でも不幸でもないんだし」
「そうだね」
サクラは──もういいや──と、笑顔を作るのにも力が入らなかった。リツとはこれから普通の友達として、仲良くできればそれで良い。時々、食事をして近況報告するだけの仲。分かり合えない、違いすぎる彼女とはそのくらいの距離が正解だ。そういう関係になった子はいずれ途切れる。もう、大人になってからは、そんな子ばかりだ。
そろそろ帰ろうと、サクラは話を切った。
ガラスの欠けた公園の時計は午後9時時5分を指している。
随分と話していた気がした。
荷物を片付けて立ち上がった時、突如鐘の音が鳴り響いた。悲鳴のような高音から地の底から唸るような重低音が階段を駆け巡るように、脳味噌を貫いた。
「え……なに!?」
思わず耳を塞いで、鞄を落としてしまう。
鐘の音は9時ちょうどを指す時計塔からだった。時計塔の三角屋根の縁に何かがいる。人間サイズの黒い影が塵みたいに落ちていくのをサクラは確かに捉えた。
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