第3話
変わるのって、結構勇気がいる。
新しい環境、学校もそうだし、職場もそう。クラスが変わるだけで随分と冷や冷やした思い出がある。
もっと細かいことを言えば、普段合わない人に会ったり、いつもと違うお店に行ったり、いつもと服の系統を変えてみたり、髪型を変えたり、ね。
サクラはショーウィンドウに写る自分を見て安心したような呆れたような複雑な気持ちになる。
というのも、ついさっき髪を切ってきたのだ。
サクラの髪型はこれといって特徴がない。ピンク系のダークブラウンに染めたストレートのセミロング。この髪型をかれこれ四年くらい変えていない。
店員さんからは今年の流行りがどうだとか言われたが完全に無視して、また同じ髪型を選んだ。
よく考えると服も、去年と似たようなものを選んでいる。白いレースのブラウスに七分丈のパンツ。
気に入っているというのも嘘じゃない。しかし実のところは、変えるのが面倒だと言うのが本音だ。
駅前の繁華街。仕事を終えた社会の歯車たちが、疲れた顔をして歩いている。
モニュメントの時計を見ると18時を指していた。沢良木家の夕食は19時半頃であるため、余裕で間に合う。
せっかくだから買い物でもと少し考えたが、足は勝手に駅の階段へと向かっていた。
階段を登ると、いつも以上に人が多いのに気づく。嫌な予感しかしなかった。
案の定、直後に人身事故のアナウンスが流れたのだ。
「ついてない……」
サクラはそうボヤきながらスマホを開き、母に連絡を入れる。どこかで夕食を食べて、復旧まで時間を潰そう。
ファミレスとかなかっただろうかと、スマホを見ながら人通りの少ない、裏手の階段を降りた。この直後に、歩きスマホが本当に危険だということを思い知らされる。
ちょうど、階段の踊り場の曲がり角だ。そこで弾丸のように吹っ飛んできた黒っぽい塊とぶつかったのだ。
反動で、サクラも吹っ飛び壁に叩きつけられる。その時にスマホも落としてしまい、パンッと跳ねるような、歯切れのいい乾いた音が駅の階段に響いた。
「いったぁ……」
「あああ!! すんません!! 大丈夫すか!?」
ぶつけてジンジンと痛む肩をさすりながら呻いていたが、黒っぽい塊だったものの叫びに掻き消された。
叫びたいのはこっちである。
「怪我しとらんすか!? だああ!? 電車行っちゃうっ!!」
やかましい。
サクラは地面に落ちたスマホを探す。
あった。踊り場の縁だ。もう少しで階段から落ちる所だった。
「大丈夫、大丈夫だし。電車今止まってるし」
サクラはそう言いながらよろよろとスマホを拾い、安否を確認して落胆する。
最悪だ。画面が割れている。
「まじすか? ああ、いやでもお姉さん本当にすんません」
やたらと声がでかい。
いい加減にしつこいぞ、この男。
「本当にもう大丈夫なんで」
顔を上げると思った通りの若いサラリーマン風の男と目が合った。カッコいいスーツに乗っかる顔が思った以上に幼くて、違和感がある。大学の入学式にこんなのいたなと思い出す。
「あれ? お前……」
サクラはドキリとした。
これは、嫌なパターンだ。身に覚えのない同級生の可能性がある。こっちは覚えてないのに向こうは覚えているから、こういう時は妙な罪悪感と気まずさを感じる。更に、大学の同級生なら尚更気まずい。こっちは中退しているのだ。いや、でも大学で名前を知るほど仲良くなった人なんていないはずだが。
「ひ、人違いじゃないですか」
何か起こる前にと、サクラは彼から顔を逸らした。スマホを鞄に突っ込み、階段を急ぎ足で登る。
「待って、お姉さん。下に行くんじゃなかったの?」
しまったと思ったが、もう遅い。
仕方ない。面倒だが、連絡通路を通って別の出口へ一度出よう。こんな所、一分一秒もいたくない。
「なあ? チェリー? 道間違えとるぞ」
時が、止まった気がした。もし言葉の衝撃で人が死ぬことがあるのであれば、サクラは確実に死んでいただろう。
恐る恐る振り返り、階段下の男を見下ろす。自分が魔法少女だったことを知るのは仲間の魔法少女だけだ。確かにチェリーと呼んだそいつは、へらりと笑う童顔のサラリーマンに見える。彼も何か言っているが耳に入ってこない。それもそのはず、サクラの耳の奥では最後の一撃で死んだアプラスの断末魔が響いていたのだから。次第にそれはアプラスの嗤いに変わる。
世界が一瞬で黒く、水中にいるように歪んで息苦しい……そんな気がした。
「なん……で……」
「そんなとこに立っとると邪魔だろ」
サクラが絞り出した、泡のような声は後ろから来た身なりの悪い初老の男の声に掻き消された。それで、ようやく息ができる感覚に戻る。
男が通りすぎ、サクラはふらりとよろめく。彼が慌てたように階段を登ってきたが、サクラは支えてもらうまでもなく、手すりを掴んだ。
「大丈夫か? その……驚かしちまったかな?」
「誰よ……あんた……」
彼は少し嬉しそうに口角を上げた。
「金谷ユキト。知らんだろ?」
聞き覚えはなかった。ユキトは子供っぽい笑顔を見せる。
「オレは、すぐにわかったぞ。お前、全然変わんねえな。だから、変身しとらんのに、チェリーだってすぐにわかった」
悪寒が走った。一方的に知られているというのは気持ちが悪い。
きっと、サクラの顔にも出ていたのだろう。ユキトはすぐに顔を曇らせた。焦っているのがわかる。
「えっと……あの、ブ……ブリザードボーイ……つったらわかるか?」
ユキトは少し恥ずかしそうに俯いて、サクラを上目遣いでちらちら見る。反応を伺っているみたいだ。
「そういうことか……」
サクラもようやく理解した。こいつは、ユキトはチェリーブロッサムの敵であるアプラスの手下だ。
十年前、町中を凍らせようとした少年だ。ツリ上がり気味の大きな目の面影を残して、あどけないながらも少年だった彼は青年へと変わっている。
「何を企んでるわけ……?」
サクラは、訝しんで低い声で聞いた。正体がわかって余計に怪しい。
「え? ああ? 企んでるように見える?」
ユキトはキョトンと目を丸くした。当時のブリザードボーイも表情が読みやすく、魔法少女三人は、戦うのが楽な敵ランキングを作って彼を堂々の一位にしていた。
だから、こんな顔をされると本当に何も考えていないように見える。
「んん……」
「まあ、積もる話もあるし、少しだけオレに時間くれね?」
「積もる話なんてないんだけど……」
「オレにはあるの。さっきのお詫びも兼ねて奢るからさ」
ユキトはまた、子供みたいに笑う。正直なところ怪しいから行きたくはないが、ユキトのこの変わり様はちょっと気になる。
「お店は、わたしが決めるから」
サクラがそういうと、ユキトの子供みたいな笑顔は花が咲いたみたいに明るくなる。
世界を滅ぼそうとした悪役だったのか本当に疑うレベルの笑顔だ。
わたしが、最後にこんな風に笑ったの、いつだったかな。
「やった。じゃあさっそく行こうぜ」
「待って。予約、してから」
サクラはそう言ってもう一度スマホを取り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます