28. 到着

 潤とは反対側のホームの端から、銃声がより大きな音で響き出す。

 味方が押されている様子に、苛立った男が部下へ潤の見張りを交替しろと命じた。


「さっさとこいつに手錠を嵌めろ。俺も加勢してくる」

「は、はい。私一人で大丈夫でしょうか……」

「無効化剤をもう二瓶、頭からかけとけ。暴れたら撃っても構わん。死んだら死んだ時だ」


 矢知たちが突入して来たのだと知り、仰向けに寝る潤が拳を握る。

 この新生リーパーの相手をするのは、彼らでは危険だ。

 薬で鎮静化されようが、自分ならまだ動けると感じられた。


 元々、リーパーとなったのは潤の方が早く、ジョルトの威力も男を上回る勢いがある。

 薬を追加投与される前に敵を弾き飛ばすべく、漫然と散りそうになる力を、彼は掻き集めようと努力した。


 能力の鍵になるのは、理性ではない。

 冷静な思考は、下手をすると妨げにすらなり得る。

 動物的な本能、それも飛び切りの危機感が、これまではジョルトを発動させて彼の窮地を救った。

 いっそ銃で自分を撃ってくれ、とも思う。

 自動で反撃出来ずとも、痛みで力が復活するかもと期待した。

 だが、男も部下も、無駄に彼を刺激するような愚は犯さない。


 追加の無効化剤を持つ手が視界に入った時、潤は一か八かに賭けた。

 辛うじて動く右の拳で、自分の腰を殴る。

 痛くも無いだろうヘロヘロのパンチは、青シャツの首を傾げさせた。


「悔しくて駄々でもこねてるのか? 自傷でジョルトを起こすつもりなら、無駄ってもん――」


 もう一度、潤はジーンズを叩く。

 勢い任せに拳を振わないと、力を篭めるのが難しかった。

 手応えがあったのは三度目、ポケットを狙った殴打が、カチリとスイッチを押し込んだ。


 うっかりコケたら破裂するんじゃないか、そう心配しつつも、無造作に持ち歩いていた小さな球だ。

 ジョルト能力で守られた彼なら、そうそう球を割りはしないだろうが、本来ならこんな安易に扱ってよい代物ではない。


 緑球――致死性の猛毒液が封入された対策班の切り札が、ポケットの中で開放された。

 デニム地に染み込んだ液体は、直ぐさま気化しながら拡散する。

 大気より僅かに比重の高い毒ガスは、地表を這うように広がって、彼の全身に纏わり付いた。


 男が反応したのと、潤が毒を取り込みかけたのは、ほぼ同時。

 生命を脅かす事態に、潤の全ての細胞が力を振り絞った。

 フォアジョルトがガスを巻き上げ、吸った敵の下っ端は薬瓶を落として絶命する。

 ジョルトで毒を弾き返したカーネルは、無人の地面を睨み据えた。


 横たわっていた青年は姿を消し、跡には人型に濡れたホームのタイルだけが残る。

 潤はもう、この時間軸の世界にはどこにも存在していなかった。


「リープしたってのか、あの状態から……」


 リーパー同士の闘いは、未だ誰も経験したことのない未知の領域である。

 単純に力の比べ合いになるのか、それとも使い方に駆け引きがあるのか。カーネルと言えど、対処方法に迷いが生じた。


 二秒、三秒、四秒――。

 長引く跳躍時間スキップタイムは力の優秀さの証であり、男も焦り始める。

 バックジョルトに備え距離を取り、いつでも反撃できるように集中力を高めた。


 五秒、六秒――。

 能力は潤の方が上回りそうだが、無効化剤で麻痺している分、自分が有利だと男は自身に言い聞かせる。

 再出現は消えた場所と同一、黒染みがいい目印だ。


 なぜ濡れているのか、その理由に男が思い当たったのが七秒目。

 竜巻のような衝撃波を放ちながら、潤は現実世界へと還って来た。

 すかさず立ち上がった彼は、右手をグーパーと開閉しつつ、ホーム端の防護フェンスへと目を遣る。

 彼のジョルトはカーネルの足をよろめかせ、柵を支えにするまで押し飛ばしていた。


「理解すりゃ使えるもんだな。痺れも無くなった」

「体内の薬を切り離した・・・・・のか!」


 ジョルター対策として研究された粘着液、電撃、無効化剤、そのどれもが、もう潤には通用しないだろう。

 レーザーならまだ試す価値は有るものの、果してリープを超す長時間照射が可能かどうか。

 潤は男に向かって歩きながら、手招きで挑発してみせる。


「撃ち合おうぜ。アンタにもワンチャンあるかもよ」

「ナメやがって!」


 走り出した男は彼に掴みかかる寸前で瞬き、コンマ数秒のリープを発動した。

 誰もいない空間を衝撃波が駆け抜け、直後、それに倍する威力のジョルトが男をまた柵へと叩き付ける。


「連発は難しいな。体への負担も大きいみたいだし」

「ぐっ……」


 能力発動後の隙は自分でも分かるくらいに長くなり、単発のフォアジョルトくらいしか連ねられそうにない。

 指先の出血も止まらず、爪の内側がどの指も赤く汚れていた。これらが数少ないリープの弱点であろうか。

 もっとも唸る男の方は、ジョルトの次弾どころか、立っているのも辛そうである。


「巻月! 他の連中は片付けた、残りはそいつだけだ!」


 ホームの制圧完了を、矢知が遠くから大声で叫ぶ。弾を撃ち尽くした機関小銃は捨て、手にしているのは敵から奪った拳銃だ。

 高木の部下も二名が被弾して上階へ離脱したが、敵のジョルターは射殺され、他の十人ほども麻痺弾で寝かされた。


 リープ級のジョルトを浴びせ続ければ、やがてカーネルも力を使えないくらいに消耗し尽くすだろう。

 決着を付けようと、潤が男の方へ進んだ時、ホーム各所のスピーカーから涼やかなチャイムが響く。


 構内アナウンスも電光表示もなかろうが、音の意味するところは一つ、電車の到着である。

 そんな馬鹿なと、矢知たちが暗い線路の先に顔を向け、潤も背後へ耳だけは澄ませた。


 狭い地下トンネル内に反響する列車の走行音は、直ぐに間近まで迫り、銀色の車体がホームに滑り込む。

 六両編成の先頭は、潤の真横で停車した。

 窓越しに中を一瞥した彼は、やっと見付けた顔に、まだ閉じたままのドアへと走る。


「間島!」


 車椅子に乗せられ、荷物棚から張り渡した紐で車両中央に固定された彼女は、嫌でも彼の注意を引いた。

 髪を額に貼り付け、ダランと天井を見上げる姿はとても健常には見えず、まぶたは開いたままで瞬きもしていない。


 車体へ寄った彼は、先頭車両に彼女以外の乗客がいると気付いた。床に転がされた血だらけの山が乗客と呼べるのなら、だが。

 もぞもぞと身じろぎくらいならする者もおり、彼らは決して死体ではない。

 潤の記憶に照らし合わせて最も近い光景は、クラスメイトに無理やり見せられたホラー映画の一シーンだった。

 生ける屍の群れに怯みつつも、彼はドアに嵌まるガラス窓を何度も叩く。


「間島! おいっ、起きてくれって!」


 その瞬間、潤の視界がブレた。

 振り返れば、彼の左肩に手を伸ばす青シャツと目が合う。

 男は歯茎を剥き出しにした必死の形相で、口から血を溢れさせながら、全力のリープを発動させようというところだった。

 潤は男の手を掴み返し、邪魔をさせるかと吠える。


「うぜえっ!」

「ぐぁっ」


 グシャリと蜜柑を踏み潰す、正にそんな過ぎた圧殺だ。

 強大な力に触れた男は半端なジョルトを暴発させ、更にそのジョルトごと潤のリープに呑み込まれた。


 彼を中心に発生したジョルト球は、直径二メートルと少し。

 ホームと電車の一部が、真球によって切り取られ、くり抜かれたドアがごろんと倒れ落ちる。

 潤は男と一緒に、暫し地下鉄駅から姿を消した。





 ホーム端を窺っていた矢知は、リープ現象を目の当たりにして、驚きを隠せずにいた。

 地下鉄が到着したのも予想外だが、人が消失したのでは自分の知覚が疑われる。


「消えたぞ、どうなってる! あれが転移か?」

「五次症例、リープしたのよ。それより早く身を隠して!」


 高木は皆に柱の裏へ回るように指示した。

 矢知と高木は先頭から三両目に位置し、岩見津も慣れない拳銃を持ってドアを睨んでいる。

 高木の部下四人は、四両目の前に集まった。

 電車内には複数の人影が見え、いくつかのドアの向こう側にはこちらを観察する男が立つ。


「最初に出て来るのは、間違いなく高次発症者カーネルメンバーよ。扉が開いたら、正面の敵から集中放火して」

「ああ。緑球グリーンシェル……、毒も使うから気をつけろよ」

「余力は残さなくていい。強敵のはず」


 荻坂らしき人物は、矢知の位置からは発見出来ない。

 いるとすれば、最後尾辺りが怪しいものの、カーネルたちを前にして移動する暇は無かった。


 まさか地下鉄車両を用意してくるとは――派手な脱出手段には、矢知も高木も呆れるばかりだ。

 封鎖線を越すと、他の地下鉄が運行中なため、これに乗って遠くまで行けはしないだろう。

 元より隣駅の手前には検問が築いてあり、高木の要請でバリケードと人員は増強された。

 強行突破するつもりなら、特事課の主力と激突することになる。


 高木としては、いくらカーネルを擁する荻坂でも、簡単に封鎖を破れはしまいと信じたい。

 息を呑む数瞬の後、空気の抜ける音を発しながら全てのドアが開放された。

 敵は二人、悠然と外へ踏み出してくる。


「撃てっ!」


 高木の号令を以って、皆は有りったけの攻撃を車内に向けて繰り出した。

 矢知の投げた球は、狙い通り敵の足元を抜けて電車の中へ。

 すかさず銃に持ち替え、弾切れも考えず引き金を絞りまくる。


 重なり合う衝撃波が着弾と共に発生して、車体を大きく揺らせた。

 敵が降りる前に片付けようという苛烈な攻撃は、中止の声が無いにも拘わらず、暫くして止んでしまう。

 射撃対象がいないのだから、それも致し方ない。


「おいっ、また消えやがったぞ」

「あれがリーパー、存在を消せるのよ」

「は? それじゃあ攻撃しようが――」


 荻坂傘下のカーネルは十四人存在し、昨日まで全てが二次以上の症例者だった。

 “因子”を取り込んだことで、彼らにも高次への道が開ける。

 最後は各地で急ぎ実施された誘発実験が、五次症例者を生み出した。


 実験中、死亡した者が五名。四次に留まった者も同数。

 リーパーになれた者は三名――いや、潤と相見あいまみえた者を足して四人。攻撃を受けた二人がリープで消えても、まだ一人残っている計算だ。

 ホームにいる矢知たちを排除するため、先頭車両の扉から、赤いシャツのリーパーが進み出て来た。

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