第四章 リーパー
27. リーパー
科多駅での誘発実験は、他所を上回る大成功を収めた。
昼から延々と運び込まれたミネラルウォーターのボトルは、全部で三百本を超え、水を飲み且つ駅前に留まった者が百六十人程度。
誘発ガスを吸った人間から順に発症し、初期震動を始める。
広場全域にガスが行き渡ると、散布係二人は急いでその場を離れ、替わりに特事課が到着した。
彼らの眼前で、一人のOLがジョルト球を炸裂させる――それが惨劇の号砲であった。
近くに立つ五人は腕や半身を切り飛ばされ、噴血を撒きながら絶命する。
そのジョルトに触れた六人目は、彼女と同じく震動中の発症者で、この青年もハッシュジョルトを発動した。
そこからは、ジョルトがジョルトを呼ぶ死の連鎖だ。
切断を伴う衝撃波の洪水が、敷き詰められた舗装タイルを削り、無発症者を薙ぎ倒す。
倒れたサラリーマンの首をハッシュラインが切断し、その頭を別のフォアジョルトが噴水へ飛ばした。
血の池となった噴水は、縁に腰掛けていた学生が、バックジョルトで高くしぶかせる。
落日の透ける赤い飛沫が、駅前を猟奇的な色に塗り替えた。
大量に生まれたジョルターを排除するために、特事課のレーザーが高次発症者から順番に狙っていく。
ハッシュジョルターを沈黙させるには、この方法がベストであり、銃も麻痺ガスも効果が薄い。
ただ、何で攻撃しようが強烈なジョルトを引き起こし、広場内の多くの人間にはトドメの一撃となる。
特事課には元より、市民の保護など頭に無い。有るのはジョルターの封殺、そして可能なら存在自体の隠蔽だ。
目撃者が
レーザーで発症者を貫いていく間にも、駅を取り囲むように高圧電線のバリケードが張り巡らされる。
三十万ボルト――触れば即死を招く超高電圧の鋼線は、散った
前後不覚に陥った
駅ビルに入った者や、地上線の改札内へ逃げた者も、続々と集まる特事課の後続班が処理するだろう。
駅の裏側にも、既に黒ずくめの班員たちが展開していた。
衝撃の絨毯爆撃から逃げる先は、もう一つ在る。
ハッシュジョルトが地下入り口を封じるチェーンを断ち切ると、血塗れの集団が下へとなだれ込んだ。
◇
増援との交信で、高木にも地上から人々が流入していると知らされる。
彼女は無線を部下宛てに切り替え、二名が対処に向かうよう指示した。
「下りてきた者は、全て遠距離から射殺しなさい。ハッシュジョルトに注意」
『了解』
横で聞いていた矢知は、彼女の命令に耳を疑い、敵を窺いながらも怒鳴りつける。
「逃げて来た奴が、ジョルターとは限らねえだろ! 皆殺しにする気か」
「発症者を選別している暇はありません。秘密保持のためにも、確実にジョルターを排除します」
「何が秘密保持だ。こんだけ派手にやっといて、まだ隠せると思ってるのかよ!」
「当然です。そのために街を封鎖したのですから」
矢知が反論しようとした瞬間、遮蔽物に使っている柱が銃弾を浴び、コンクリの破片が飛び散った。
傷付けた頬から血を流しつつ、彼は小銃を乱射する。
敵の装備は中国製らしき短銃で、牽制なら矢知の方が威力も効率も上だ。
運良く跳弾が一人に命中したらしく、呻き声が届いた。
「ここまでして隠す理由は? 抑制剤が完成してるなら、公開して治療すればいいじゃねえか」
「低次だけならね。五次症例者は、そうもいかない」
「リーパーが? ――くそっ、岩見津! 予備のマガジンを寄越せ」
「これで最後です!」
床を滑らせて渡された弾倉を、矢知は足で踏んでキャッチした。
増援が期待できない今、このままでは持久戦になってしまい、潤の安全も危ぶまれる。
強引にでも押して行くべきだと、彼は班員を集めるように高木に命じた。
「全員で行けば、カーネル以外は制圧できる。ホームに下りるぞ」
「分かったわ。殲滅戦に切り替えましょう」
物騒な表現に、矢知の眉間の皺も深くなる。
火力を集中させて敵のジョルターを各個撃破、要は捕虜を取らず、一人ずつ血祭りに上げようという戦法だ。
リスキーではあるものの、ジョルターたちを殺すつもりなら、それしか手が無い。
「敵もお前らも、どうかしてる。
「テレポート?」
「リーパーだよ。どんだけ遠くに転移できるんだ? 間島も大して跳びは――」
「呆れた。あなたたち、リーパーを知らなかったのね」
五次症例は転移能力ではない、それだけ教えると、彼女は口をつぐむ。
知る必要が無いことは、知らずに済ませろと言わんばかりだった。
追撃を警戒しつつ、全ての班員が矢知たちの元へ集合してくる。
別口の高電圧網は固定してきたが、敵は直ぐに破壊して回り込むだろう。
班員が配った中和剤を、全員が手早く自身に注射する。
岩見津がテーザーの電源を落とし、目の前の障壁が消えたのが突入の合図だ。
四つの麻痺球が、下へ放り込まれ、麻痺ガスが階段の下に立ち込めた。
ガスは煙幕代わりにもなり、発生した衝撃波でジョルターの位置も特定できる。
「ジョルトに向けて斉射!」
班員四人が先鋒を務め、銃を連射しながら、矢知たちはホーム階へと階段を駆け降りた。
◇
ジョルトを放ち合う最中、カーネルと呼ばれる男の顔に笑みが浮かぶのを、潤は薄気味悪く見返した。
割れた球形カプセルから撒かれた誘発ガスは無色透明で、彼の目には映らない。
目尻に血を滲ませる男とは違い、潤の体調は至って万全であり、放つジョルトは威力を増す勢いだ。
もしガスの影響があるとすると、この快調さ、飢餓感の消失だろうか。
今朝未明から悩まされて来た空腹はすっかり影を潜め、替わりに湧き立つような血流が耳の奥に響く。
似た感覚は、これまで何度も味わった。
転移を発動しようと試みた時、バックジョルトで所長室の扉を破壊した時もそう、初めてハッシュジョルトを放った際もそうだ。
巨大な力が、行き場を求めて体内を巡るようだった。
ジョルトの回数が増えようが、範囲を広げようが、力を使い切れない歯痒さを感じる。
耐性降下剤をがぶ飲みし、誘発ガスを浴びた今、もどかしい思いは最高潮に達していた。
内に満ちるエネルギーに高揚するのは、男も同じ。
狂気の眼差しで、ジョルトの発動頻度を上げ始める。
「もっとだ! もっと震えろ!」
一秒を六十等分した内の、一つか二つ。そんな刹那を単位にして、二人の衝撃波が交互に連続した。
同調、共振、そして増幅。
第五の症例に達するために必要な最後の一線を、男は薬と潤を利用して乗り越えた。
その結果もたらされた不可解な現象に、潤の両手が宙を泳ぐ。
二人はお互いの肩を掴み合っていたはずだった。
しかし、突然男の姿は消え、つんのめった彼は砕けたホームへと倒れ込む。
「転移!?」
左手と膝を地面に突いたまま、潤は首を回して男を探した。
二秒にも満たない静寂の後、再び爆音が地下鉄駅に轟き渡る。
男はジョルトを纏い、潤がしゃがむ正にその位置に再び出現した。
衝撃波だけなら、また対抗してジョルトが発動する繰り返しだが、同空間の奪い合いとなると話は別だ。
最高次の症例であるリープ現象は、低次のジョルトで打ち消せはしない。
巨大な丸太で水平打ちされたように、潤の体は真後ろに吹っ飛ばされた。
背中と頭をしこたま瓦礫にぶつけ、肺の空気が搾り出される。
「はっ、成功だ! どれくらい飛んだ?」
「二、三秒かと!」
「上出来だ、これで俺もS級リーパーだな。無効化剤に浸して、そいつを拘束しろ」
「はいっ」
潤は背後に控えていた男たちの近くまで飛ばされており、駆け寄るブーツが目に入った。
ジョルトを発動しようとした彼は、集中するより先に口から血を吐いて呻く。
起き上がろうと尺取り虫の如く藻掻く潤へ、甘い臭いの液体が注がれた。
最新の抑制剤――無効化剤は痛みを抑え、精神を安定させ、あまつさえ舐めれば本当に砂糖水並に甘い。
攻撃と認識出来ない薬には、ジョルトの反撃も発生しない。
但し、発症抑制の力も過去の薬剤より強く、手足の痺れと共に脳の高揚感も鎮まっていった。
「こいつもかなりの発症者だ。因子抽出用には使えるだろう」
「リーパーなら、電極処置をしないと危険ですが……」
「リープは使われなかったが、早い内にやった方がいいな。所長たちがそろそろ来る。線路に飛んだガラクタを、急いで撤去しろ」
走り去る足音を聞きながら、ともすれば濁ろうとする頭を潤は必死で回転させた。
ぼやけた天井が、うっすらと赤みを帯びている。
とっくに治っていた左腕の傷口は、痛みこそ感じないものの、再度出血して生暖かく感じた。
自分が置かれたこの状況に、彼は強い既視感を覚える。
カーネルが放った“リープ”を浴びた瞬間、自身を巡る血が震え、脳がシャットアウトするような感覚に襲われた。
これは二度目の経験、そう一度目は昨日だ。
間島の発動はもっと激しく、潤は本当に意識を失くしてしまった。
――違う、そうじゃない。他人の力を浴びたくらいで、寝たりするかよ。発動したのは俺自身、いきなりで体がついていけなかったんだ。
衝撃は二連が基本、フォアジョルトで消え、バックジョルトで戻る。
症例が進むほど各衝撃波に時間差が生じ、複数のジョルトだと、外部からも観測できるようになるのだ。
五次症例では更にフォアとバックの間隔が空き、その間、発症者は世界から完全に存在を消す。
これこそが究極の防御能力である。攻撃しようが、そこにいないのだから。
昨日の火事の被害を、間島はこの力で乗り切った。
彼女が発見されたのがコーポの外だというのは、対策班用の虚偽報告に過ぎないのでは、と疑念が生まれる。間島は消えていたのではないか、と。
上級職員は彼女を自室の焼け跡で見つけ、消えた
万一を考慮した職員たちの行動は、正しかった。
自分も消えていたから助かった、それが結論だ。
火事の途中に消え、深夜に再び現れたんだと、潤もここに至ってようやく理解する。
リーパーとは、時間をスキップする能力者だった。
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