26. 地下鉄構内の攻防
「巻月クラスの発症者には、レーザーくらいしか効きそうにない。研究所を襲った奴が使ってた。あれを用意しろ」
「光学兵装車は要請しました。十八時には着くでしょう」
「そうかい。じゃあ、地下経路の封鎖を強化してくれ」
「それも要請済みです」
いくらか得意そうに、高木が答える。
地下鉄科多駅には、特に他に繋がる経路は存在しないが、念のために周辺の上下水道などにも探索班が送り込まれた。
問題は封鎖線の次の地下鉄駅、
地下鉄線はその先で私鉄と合流する上に、光ファイバーなどの回線溝も並走している。
検問を強化しても、巻月クラスが襲えば止めるのは至難の業、抜けられると分岐が一気に増えて追跡も厄介になろう。
荻坂が本当に地下ルートを採用する気なのか確かめるため、まず高木の部下二人が駅ホームへと偵察に出た。
班員の報告が返ってくるより先に、岩見津が持つ端末にメールが入る。
“迎えを送る。改札前で待て”
次いで見張りの女が持っていた無線器から、雑音混じりの声が流れた。
『改札に婦長は来てるか?』
くぐもった声は荻坂ではなく、矢知に心当たりの無い人物だ。
無視するのも、バレるのも同じことだろうと、彼が話そうとするのを高木が止めた。
矢知と交替した彼女は咳払いを一つ挟み、問い掛けに答える。
「来ているのは男性職員です。
『真田……知らん名前だな。因子は持ってるのか?』
「はい」
『カーネルを送るから、入念にボディチェックしておけ』
交信を終えた彼女に、矢知が“カーネル”の詳しい説明を求めた。
研究所の職員は、上級から選抜されたエリートだと語っていたが、高木の話では高次症例者を指すようにも聞こえる。
「研究所の職員は、上級と下級に分けられていたでしょ。基準はどうも、適正度のようよ」
「能力を発症できるかで分けたのか。じゃあ、カーネルってのは、その中でも特に適正度が高い奴が集まってると?」
「おそらく、最高次クラスの。高適正者は東京に送られる決まりだった。それを誰かさんが破って、私兵を作ったわけ」
「待て、おかしいだろ」
そんな簡単にジョルターを作れたら、今まで死んでいった患者は何だったんだと、矢知は声を荒げた。
致死率は百パーセント、そう教えられて来たし、実際に彼が捕らえた発症者は血を噴き出して死亡している。
その指摘に、高木は淡々と言い返した。
「低次に抑制する薬は、随分前に完成してる。適性が低ければ、それでも死ぬでしょうが」
「薬を使えば死ななかったのかよ。お前らは、城浜を実験場にしたのか!」
「誰でも彼でも、ジョルターにするわけにはいかないでしょう。対策班は、本当に何も聞かされていなかったのね」
大儀のためなら殺人も殉職も厭わないのが特事課であり、彼女の冷ややかな眼差しこそが、その本質だ。
「胸糞が悪い」と潤は一言放ち、造血細胞の入ったケースを持って駅員室から出て行く。
議論している暇は無く、矢知も声を潜めた。
「……今だけだ。荻坂たちを潰すのには協力してやる」
「それでいい」
「その後は、どうなっても文句を言うなよ」
高木は返事の代わりに肩を竦め、改札内に入る潤へ注意を向ける。
“カーネル”であろう男は、ホームと改札階を繋ぐエレベーターから現れた。
地味な青シャツの外見だけなら、駅前でたむろするサラリーマンたちと見分けがつかない。
無人の構内をつかつかと手をぶらつかせて近寄った男は、鞄の中身を見せろと要求した。
近くで見ると、頬がこけ、痩せぎすと言っていいくらいだ。
潤は二箇所の留め金を弾き、運搬用ケースを相手に向かって開ける。
保冷剤で冷やされた空気が溢れ、ケースを持つ彼の指先にも流れてきた。
やや黄ばんだ液で満たされた六つのビニールパック。
それらを一瞥した男は、次に潤の服装を上から足元まで眺め回す。
「若いな。病院の職員には見えないが?」
「非番なのに呼び出されたんだよ。婦長はハッシュで重傷だ」
矢知に仕込まれた苦しい言い訳が、青シャツの眉を
服のあちこちに血が付着しているのは構わないが、消しきれない学生臭さは不審な印象を与えたようだ。
不審感も
「寄越せ。本当にH級なんだな? 正確な数値は?」
動揺を極力押し殺して、潤は適当に数字をでっちあげる。
「四くらい……かなり大きかった。それより、俺も連れていってくれよ。こんな街に残ったんじゃ、危なくて――」
「
「んー、二、いや……三時間くらい前かな」
男が素早く一歩踏み出した瞬間、潤の視界が多重化した。
域内を震わせるジョルト球、これを他者として目の当たりにした初の経験だ。
ハッシュラインが自分の身体に到達する寸前、潤はバックジョルトを放つ。
衝撃が男のジョルト球を破裂させ、生まれた爆圧にまた潤のジョルトが誘発された。
男の足元にハッシュで刻まれた小さな円が刻まれ、すぐさま二人の放つ力がそれを砕き消す。
自動発生する衝撃波の応酬は、ほんの一秒間に八回も繰り返され、二人が立つフロアタイルが粉微塵に割れた。
「貴様もジョルターかっ!」
双方が衝撃を打ち消したため、位置関係に変化は無い。
ケースを投げ捨て、潤は男の腕に掴みかかる。
砂利道のように砕けた床に足を滑らせた男は、潤と一緒に背中から倒れ込んだ。
どちらも相手の上を取ろうとして、二人はゴロゴロと横転しつつ、またもやジョルトを放ち合う。
床の亀裂は更に範囲を広げ、天井からもプラスチックや化粧ボードの破片が弾け散る。
機関小銃を切断したような曲芸は諦めざるを得ないが、それは“カーネル”も同じこと。
床を移動し続けた二人は列柱の下部をえぐり、照明に嵌まる蛍光管を破裂させ、最後にようやく間を空けて立ち上がる。
「巻月、大丈夫か!」
駆け付けた矢知へ、潤が大声で怒鳴り返した。
「この上は何だ!」
「ああ!?」
「真上だよ!」
「多分、線路じゃねえのか」
返事に満足した彼は、全力を以ってジョルト球を作り始めた。
男に触れれば割れるシャボン玉ではあるが、構わずハッシュジョルトを続けて発動する。
周囲を気にしない衝撃波の連打に、矢知は慌てて後退し、まだ改札前にいた高木は無線器に退避を叫んだ。
このままではフロアの一部が崩落し、ホームに下りた部下も巻き添えを喰らう。
幾度と繰り返されるジョルトの撃ち合いは、加速度的に激しさを増し、床や天井に幾筋もの切り込みを入れた。
潤たちが形成する力場は、もう真球とは言えない
同等の力が干渉し合った結果、奇妙な線刻が床に描かれていく。
欠け落ちた天井をジョルトが弾き、落下途中で粉になって土煙が立ち込めた。
何物も通さない最強の盾で、やはり最強の盾を殴り続けるとどうなるのか。
答えは、盾以外が砕ける、だ。
衝撃を浴びまくった天井は、遂に自重に耐えられなくなり、骨組みを残して崩れ出す。
切り刻まれた床はもっと脆く、落とし穴も
二人のジョルターは、着地と同時にバックジョルトを発動して、瓦礫を辺りに吹き飛ばす。
三メートル以上の高さから、彼らを地面に叩きつけるはずのエネルギーは、何処かへ霧散してしまった。
バランスを取るために両足を少しバタつかせたくらいで、潤は無傷で仁王立ちし、強敵と再び対峙する。
落下地点はホームの最南部、見様によっては、端に立つ男を潤が追い詰めたような形だ。
地上にまで貫通した縦穴から、沈む間際の陽光が届き、二人を照らす弱いスポットライトとなった。
上階の穴から矢知が顔を覗かせ、潤の無事を確かめる。
「俺も下に行く! カーネルだろうが、叩き潰しちまえ!」
もちろん潤も、そのつもりで何度も攻撃した。
しかし、敵も平然と彼を見返し、疲れた様子すら無い。
力の強度からして、潤とそう変わらないレベルの第四症例者――ハッシュジョルターだろうか。
構内に響いた轟音を機に、ホームに集合していた他の敵も一斉に動き始める。
飛び交う怒号は聞き取り辛く、彼が内容を把握する前に、背後からの銃声によって掻き消された。
銃弾の数に合わせて、衝撃が吹き荒れ、崩落で割れてしまった黄色い点字ブロックの
「こいつに銃は効かん、誘発ガスを撒け!」
聞き覚えの無い用語に、潤は思わず後ろを振り返った。
彼らに駆け寄って来た重武装の一団は、十人はいよう。その中の一人が、潤にもお馴染みになった投擲球を腰から取り出して、前方に投げる。
足元に跳ね転がってくる球が、無害な物とは思えない。
身を翻して逃げようとした潤の肩を、すかさず間を詰めた男の両手が押し止めた。
「さあ、さっきの続きだ。どっちが先にリーパーになれるか、勝負と行こう」
ガッシリと肩を掴んだまま、男の身体が震動する。
苛烈なジョルトの連鎖が、場所を移して再度開始された。
◇
地下二階へ通じる階段は、上に戻ってきた特事課の二人が、放電の網で遮断した。
低次ジョルターをこれで防ぎ、網の向こうに迫る敵を、高木と矢知が銃で狙う。
偵察によるとホームにいたのは約二十人で、荻坂の姿は無かったそうだ。
半数が潤の方へ振り分けられ、矢知たちが相手にしているのが残り半分という勘定である。
ホームへの階段はもう一つ存在し、そことエレベーターを、高木の部下六人が手分けして守っていた。
隠れておけと言われた岩見津も、矢知の後ろでテーザーガンを抱えて奮闘中だ。
「ジョルターを抑えられるのはいいが、これじゃ俺も下に行けねえ!」
「増援を待って。拮抗が崩れたら、数で押します」
「その増援は、いつ来るんだよ」
到着すると高木が言った刻限は、もうとっくに過ぎた。
ひとしきり銃撃戦を繰り返した頃、ようやく彼女の無線器に通信が入る。
『現在、科多駅地上で交戦中。応援を求む!』
「馬鹿言ってんじゃないわ! 応援が欲しいのはこっちよ」
戦闘に集中するあまり、彼女たちは漏れ聞こえてくる新たな喧騒に気付いていなかった。
銃声の合間、地上に意識を向ければ、確かに非日常の混乱が耳に伝わる。
連発する衝撃音、そして重なり合う人々の悲鳴。
高木ですら、今地上に出れば、その地獄絵図に息を呑んだであろう。
襲撃されたと知った敵は、最後に予定していた計画を早めた。
荻坂と、彼の取り巻きが到着してから行うはずだった誘発実験だ。
駅前いる荻坂側の人間は二人、何れも低次発症者で、矢知と面識の無い薬品製造施設の人間だった。
おかげで地下への侵入時に気取られずに済んだが、矢知も工作を見逃してしまう。
彼らは耐性降下剤を駅前の人々に与え、入念に準備した上で、誘発ガスをばら撒いた。
人が自然に持つ耐性を失い、その上でガスを吸った者は、ほぼ百パーセントの割合で発症する。
無料配布の水を飲んだ人間の数だけ、駅前の広場にジョルターが生まれたのだった。
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