25. 科多駅
手持ちの材料で推測されることを、矢知が簡単に話して聞かせる。
「荻坂をバックアップしてるのは海外、脱出するのも海の向こうだろう。だからこれだけ派手に逃げた」
「つまり、港って船を使うってことか」
「城浜港に行く気なら、南の封鎖線を破るのが最短距離だ。しかも、地下なら捕捉されにくい」
「地下って……電車で逃げるの?」
地上は大掛かりな検問が予想され、正面突破は難しい。
地下鉄も封鎖されているだろうが、巨大都市に張り巡らされた全ての地下経路を遮断できているだろうか。
上下水道、雨水集積管、電線や通信回線の共同溝。どこかでそんな穴に紛れこまれたら、捕捉するのは著しく困難になるだろう。
この経路には、デメリットももちろん有った。
徒歩で港に向かうわけで、不休で移動しても三、四時間は必要になる。年配の荻坂には、キツい重労働だ。
「途中から車が用意されてるかもしれんし、案外、本当に地下鉄に乗るのも手だ。一般乗客に混じって、港近くまで行ける」
「間島は? 人間一人運ぶのは、結構大変だぞ」
「昏睡してたらな。自分で歩かせればいい」
「あいつだってジョルターだろ。抵抗くらい――あっ」
抑制剤、それが答えになり得た。
病院の地下で寝ていた職員のようにジョルト能力を薬で封じれば、彼女は華奢な女学生に過ぎない。脅して従わせるのも容易である。
荻坂の潜伏先も地下鉄経路内ではないかと、矢知は疑った。
運行停止中の現在は自由に移動できる上に、目立ちにくい。
ただ、これらは全て推測に留まっており、実際に地下へ行って初めて真実は判明する。
最後の横断歩道を渡り、駅前広場に着いた三人は、人混みを掻き分けるのに忙しく、話す余裕が失くなった。
地下入り口は地上線の改札を挟んで東西二つ、広場を縦断した先だ。
立ち並ぶ人々を手で押し退けるようにして進み、駅ビル内に入った時、潤は独り針路を変える。
何をするのかと思いきや、彼は無料で配布されるミネラルウォーターを欲したのだった。
ペットボトルを片手に戻った潤は、言い訳がましく渇きを訴える。
「ジョルトは喉が渇くんだよ。特にバックジョルト」
「嘘ではないですね、体液を消費するみたいだから。あっ、私にも一口ください」
緊張感を削ぐ二人へ
地下入り口はチェーンで封鎖され、進入禁止の看板が前に立ててあった。
どうやらこれを気にせず、乗り越えて入れということらしい。
素早く動くように二人へ注意したあと、矢知は西入り口へと入っていった。
何人かが彼らを振り返ったものの、呼び止める者はいない。
終電後用の鉄扉までは閉じておらず、そのまま階段を下りて地下コンコースへと歩みを進める。
シャッターの下ろされたパン屋や、自販機コーナーの前を過ぎ、角を一度曲がれば地下鉄改札だ。
旅行代理店の広告が差し込まれた太い円柱の陰に矢知と潤が隠れ、岩見津はずっと手前で皆を見守る。
改札回りに駅員の姿は無く、代わりに私服の女が一人で立つが、この女が受け渡し相手かは判断が難しい。
受け渡し役は、顔があまり割れていない潤が担当することになった。攻撃されても対抗できるため、何かと都合が良い。
改札の上に掲げられたデジタル時計は、十七時十八分を示す。
指示された時間まであと十二分、幸い女が自分たちとは逆方向を見ているうちに、矢知は背格好から何者かを見極めようとした。
特事課の黒い制服ではなく地味なベージュのスーツで、左手には大きな無線器を持っている。
右腰に掛る上着が膨らんでいるのは、銃を帯びているからだろう。
東入り口へ向いていた女が、ゆっくりと自分たちへ首を回したため、矢知は頭を引っ込めた。
一瞬見えた黒縁眼鏡の顔に、思わず小さな呟きが漏れる。
「おいおい……、面倒だな」
「何かあった?」
自分も覗こうとする潤を制して、出来るだけ小さな声で矢知は説明した。
「県警の公安が張ってる。よく見た顔だ」
「知り合いなら、何とかならないのかよ」
「こんな場所にいるんだぞ、敵にしか思えん」
仮に敵でなくても、事情を説明して味方に引き入れるには時間が足りない。
かと言って、このままでは現れた荻坂の部下と争うことも考えられる。
友好的に近付き、銃を向けて来るようなら、潤のジョルトで吹き飛ばす。
そんな拙い即席の作戦を若い相方に伝え、矢知が物陰から踏み出そうとした瞬間、目の端を黒い影が走った。
パンッとガス圧の弾ける音がすると同時に、スーツの女は膝を突く。
床に倒れ込んだ公安へ特事課の面々が殺到し、身体を
改札に残ったのは三人、今度は潤も知る人間たちだ。
「あー、俺が吹き飛ばして来ればいいのかな」
「ちょっと待て、考える」
身内であるはずの県警公安を、高木たちは問答無用で排除した。理由は何か。
県警を矢知たちの仲間だと見做して攻撃し、自分たちが先に荻坂を捕まえるつもりである――これが一番可能性の高い推理だろう。
無益な病院戦を繰り返そうとする彼らに嘆きながら、もう一度改札を見た矢知は、その光景に目を疑った。
高木は武器を床に置き、両手を挙げて直立している。両脇の二人も同様だ。
先制降伏、そんな珍妙な戦法を取った相手に、彼は小銃を構えて近寄ることにした。
「何がしたいんだ、お前らは」
「メモを読んだわ。一時休戦にしましょう」
「十八時って書いたのに、せっかちな女だ」
三十分ズラして伝えた矢知の思惑は、彼女にあっさりと見抜かれたようだ。
改札横の駅員室に入り、身を隠した上で、矢知は高木の意図を問い詰める。
どういう加減で態度を豹変させたのかと聞かれた彼女は、かなり踏み込んだ内容まで話し始めた。
潤が指摘した特事課への疑念、これは彼女にとっても、解けないわだかまりだった。
不意を突いた強制捜査のはずが、所長の身柄どころか、研究データの押収も未だ果たせていない。
彼らが強襲したのは研究所に留まらず、近辺の開発工場や薬品保管所など、科多区の十七箇所に及んだ。
その全ての地点で事前に撤収を済ませるなど、短時間では不可能だろう。荻坂は、もっと早くから捜査予定を知っており、逃亡に備えていたのだ。
どこから情報が漏れているのか、それを特定することも、特事課トップは狙っていた。
捜査情報の渡るタイミング、封鎖に伴う各所の動き、手掛かりを積み重ねた本部は一つの結論に至る。
「情報を漏洩していたのは身内、つまりは――」
「公安課だろ。県か特事か、いや、おそらく両方だな」
「知ってたの?」
「お前らが寝かせたのは、公安の研究所担当だ。何度も会ったことがある」
研究所上級職員、正鳳会病院、県警公安課――荻坂に
しかし、これは特事課も把握しており、決して国に歯向かうような面々ではなかった。
「研究は極秘でも、関係する人間は多い。公安が一元管理出来るような研究じゃないから。中には特事課が手を出せない組織もある」
「公安が口を挟めないとなると、内調とかか?」
「そう、それに特班ね。自衛隊特殊活動班、情報部隊にもジョルター担当班が作られてる」
「そんなもんまで、いや、関心があって当然か」
「関心なんて悠長な話じゃない。研究所には、それぞれの組織から人員が潜入していた。気づいてたかしら?」
「なるほど、お目付け役がいたわけだ」
潤沢な予算を考えれば、研究所に大掛かりなバックアップがあってしかるべきであり、矢知も全容を知って驚きはしない。
ただ、高木の言う潜入員には、思い当たる者がいなかった。それだけ優秀な人材が送り込まれていたのだろう。
内部から観察していたなら、情報の入手も容易い。
それをもって各所が牽制し合う微妙なバランスの下で、研究は続けらた。
最前線で動く潜入員が、万が一にも反旗を翻したらどうなるか――結果は現在見ての通り、街を挙げての狂乱だ。
「潜らせた諜報員が寝返った、ってとこか」
「研究員だけなら、いくらでもやりようはあったけれど、よりによって公安と内調、それに特班の潜入者が結託して、国外脱出を図ったみたい。しかも、内調や自衛隊は強能力者を送り込んでいたというから、たちが悪い」
「アンタはそれを知らされずに、こき使われていたってわけだ」
やや同情を滲ませた言い様に、高木も苦笑を浮かべる。
それなりの地位にいる彼女でも、全ての事項に通じているわけではなく、特に潜入者の実態は一部の人間以外には伏せられていた。
戦闘要員には不必要な情報、ということだ。
彼女の訴えを上層部が受け入れ、情報を与えたのは、この時点での現場指揮者に任じたということ。
異例の措置ではあるが、街全域が混乱を極めた今、それだけ人員が足りていないことを示唆している。
「ジョルターだらけにしたのは、そいつらだな?」
「大方、荻坂の思想に傾倒しすぎたのよ。第五症例者、いわゆるリーパーを生み出そうと画策したんでしょう。カーネルというリーパー候補の集団も作っていたらしい」
「それは俺も聞いている。狂信者みたいだったな」
発達した科学は魔法みたいだと言ったのは誰だったか。これでは魔法より宗教だと、矢知はうんざりと吐き捨てた。
「だからって、街を丸ごとパニックにする意味が分からん」
「飽和理論ってのを、荻坂は提唱していた。ジョルター同士が干渉することで、より高次に進化するって。陽動にもなるし、一石二鳥というわけ。警察と自衛隊が集まる演習日を、逆に利用されてしまった」
「科学も医学も知らんが、ロクな理論じゃないのは分かる。人を殺しまくって、海外逃亡か。港は押さえたのか?」
「もちろん。だけどジョルターなら対処できても、リーパーじゃ無理ね。艦艇か攻撃機でも出してくれれば早いけど、自衛隊がどう動くかは管轄外」
特事課や自衛隊に在籍するジョルターも、現在は科多区に集結している。全員を集めて、ガラガラポンと混ぜれば、リーパーが量産されるというわけだ。
間島が垂涎の素体だったのも頷ける。彼女は他のジョルターを最終進化させる切り札だろう。
ここまで話を聞いて銃口こそ下げたものの、矢知はまだ納得がいかない。
多数の市民を糧にして逃亡を図る――敵の思惑はこれでいいとして、彼はもう一度、高木が急に友好的になった理由を問い質した。
「ジョルターが大量発生した地点には、偏りがある」
「ショッピングモールとかだな」
「人数が多かったのは五地点、どうも誘発ガスを利用したみたい。この内の二つ、美術公園と市民ホールで交戦があった」
「特事課とジョルターとのか?」
「造反グループとのね。うちの人間では、手も足も出なかったらしい」
騒ぎに駆け付けた特事課は、ガスを撒きながら移動する不審者を発見する。
当然、拘束しようとしたところ、男は見たこともないレベルの高次発症者で、どんな攻撃も通用しなかった。
現場からの報告では、銃で狙うことすら難しかったらしい。
間島を得た敵は、能力を急成長させていた。
「巻月みたいなもんか。まあ、例のカーネルで間違いないな」
「今、所長を見つけても、そんな能力者に守られていては捕まえられない。そこで……」
「毒には毒を、カーネルには巻月をぶつける、と」
「本部の許可は得ました。荻坂を拘束するまで、サポートします」
高木の目的は決して矢知と同一とは言えず、いずれ
それでも今の時点では、この予期せぬ増援を断る理由も無い。
彼女の申し出を受け入れつつ、彼はいくつかリクエストを出した。
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