24. 強敵
潤はジョルトの仕組みを、感覚的に理解した。
粘着液に貼り付いた靴を、バックジョルトは綺麗に剥がしてしまう。
自分の身体を切り離す、そう表現しながら、単に履いているだけの靴が分離するのはおかしい。靴は肉体ではないのだから。
現に矢知なら、服を切り離した挙げ句に死亡した発症者を知っている。
全裸変死事件、その被害者は最期にバックジョルトを起こし、肉体を衣服から分離させて亡くなった。
ジョルトにおいてはどこまでを自分と認識するか、それが肝要なのだ。
バックジョルトは肉体や衣服に限定した“切り離し”で、ハッシュジョルトは範囲を球形に拡大したものだった。
二つのジョルトの本質が同じと気付いた彼は、自己認識の境界線を動かしてみる。
自分包む、一センチ厚の見えないヴェール。そう考えてバックジョルトを発動させた結果、拘束フォームには切断線が走った。
後は厚みを変えて、その作業の繰り返しだ。
五ミリ厚、二センチ、十センチ、一ミリ。五セット十回のジョルトを連発すると、硬化した泡はズタズタの屑と化す。
この間、僅か三・六秒に過ぎず、高木たちには一塊の長い衝撃と感じられた。
身体が浮くような爆風に晒されながらも、彼らは麻痺液を懸命に前へと投げる。
口の開いた瓶から飛び出した琥珀色の液体を、頭を上げた潤が目で捉えた。
本体を狙わない間接攻撃だろうが、彼が視認できてしまっては銃撃するのと大差ない。
一際強力なジョルトが、麻痺液を男たちの方へ押し返した。
「ああっ、液が服に!」
「中和剤を早く!」
前列三人の上着に麻痺液が浸みたため、後列が慌てて小さなカプセル型の薬を取り出す。
もう泡から脱出した潤は、そのチャンスを見逃さず、追撃のジョルトを放って一気に彼らへ駆けた。
薬が間に合わず動きが鈍った前列、完全にバランスを失って倒れた後列、どちらも姿勢を前に向けるので精一杯だ。
足場が悪いせいで不格好な走り方ではあったが、潤は敵の只中へ飛び込むことに成功する。
高木は銃こそ構えたものの、撃つ訳にはいかず、歯を食い縛って目の前に立つ彼を睨む。
一か八か自爆覚悟で組み掛かるべきか――そう彼女が逡巡する隙に、潤の両手が皆の武器に触れていく。
挨拶でもするように彼の手が銃先を軽く握ると、機関小銃もテーザーガンも真ん中で綺麗に切断された。
その度に起こる衝撃で、銃の残骸ごと彼らはまた吹き飛ばされる。
武器は自分の一部と認識すれば、こんな離れ業も簡単な能力の応用だ。
潤に触れることは、切断の対象となることを意味する。
組み付くなど、即死を招く愚の骨頂だろう。
「これもハッシュ? どうやって……」
「何事も練習だよ。武器を捨てろ」
銃を静かに床へ置いて立ち上がった高木は、壁際まで後退って道を譲った。
「……血が出てるわね」
「指の爪だろ。これくらいはしょっちゅうだ」
飽和攻撃を浴びても潤の舌はもつれたりせず、軽やかに手を振って血を払ってみせる。
高木の言葉は潤の耐久度を測ってのもので、出血箇所の少なさに落胆したような響きさえあった。
潤は敵の動きを警戒したまま、自分を窺う仲間へ目で合図する。
矢知は岩見津を伴って近付き、皆へ壁に向かって立つように指示した。
銃で脅さずとも、高木と後列の三人は言われた通りに両手を挙げて壁と向かい合う。
四肢が痺れたままの前列三人はそのまま放置して、先に矢知たちが駐車場への接続通路へと進んだ。
潤も二人を追おうとした時、高木が振り返りもしないで声を掛ける。
「マキヅキ、で合ってるかしら」
「ああ」
「あなたは荻坂に会ってどうするつもり」
「俺の目的は間島だ。所長はどうでもいい」
「マジマ?」
「所長に捕まった知り合いだよ。実験動物にはさせねえ」
荻坂が急に事を起こした原因は、特事課にも掴めていなかった。
彼らが当初不審に思ったのは、荻坂個人に対する海外からの資金流入が疑われたからだ。
そこから極秘研究の存在を嗅ぎ付け、強制捜査が予定されたところ、所長は先手を打って逃走した。
「契機になったのは、そのマジマなのね。話が見えて来た」
「俺もそう思うけど、それだけか? アンタらも信用できないぞ」
「どういう意味?」
「自分で考えろよ。俺は行く、お前らはもうちょっと動くな」
ここまで来て、潤にも考えるところは多々ある。
特事課のメンバーへ冷たい視線を送りつつ、彼は外へと走り去った。
◇
潤の足音が小さくなるより早く、高木たちは行動を開始する。
先ずすべきは上への報告、そして矢知たちの追跡。
「この施設の捜査は、上にいる班の仕事です。麻痺した三人に薬を。予備武器を受け取ってから、彼らを尾行します」
「はいっ」
彼女は若くとも、八人で構成される遊撃班の班長である。
班員の一人を失い、矢知を二度に
対ジョルターの能力を買われた抜擢に、今のところ応えられてはいなかった。
現在宛てがわれている追跡任務、これだけでも完遂しなければ、申し開きが立たないだろう。
「彼らは車を乗り換えるのでは?」
「おそらく、それはしない。わざとよ。マキヅキも厄介だけど、矢知も手強いわ」
「刑事上がりですからね」
中和剤を飲んだ三人には肩を貸し、彼らは接続通路に背を向けて、上へ繋がる階段へと急いだ。
地上階に着くと同時に、待機する別班へ地下探索を頼む。
個人端末を手にした高木は、一連の経緯を報告するために本部を呼び出した。
特事課の本部は封鎖線の外にあり、副課長以下三人で指揮を執る。課長は東京に残り、他の課員は皆、科多区に散った。
多発する発症者への対策に追われ、捜査は滞り気味だ。
『……こちら本部、
「遊撃三班、高木です。正鳳会病院で矢知と接触しました。拘束は失敗です――」
いきなり副部長本人が出たことに少し驚きつつも、彼女は得た情報を整理して話す。
“――アンタらも信用できないぞ”
報告を続ける高木の頭の中では、潤の台詞が小骨となって刺さっていた。
◇
特事課の車に乗った矢知は、エンジンを掛けて待つ。
荷物の増えた岩見津は後部席へ、遅れて潤が助手席へと飛び込んで来た。
タイヤを軋ませ、車は勢い良く立体駐車場を出て、混乱の続く街へと戻る。
矢知は後ろに手を伸ばし、岩見津へ端末を渡した。
「これは?」
「婦長のだ。これから言う文面を、ショートメールで送れ」
「誰に?」
もう一度、今度はカードが後列に差し出される。
荻坂の緊急連絡先、そこへ
「“リーパーの造血細胞を確保、患者は死亡。指示を乞う”」
「なるほど。でも、向こうには間島がいるのに、興味を示しますかね」
「どれくらい貴重か、量が必要なのか。その辺り次第かな」
所長が反応してくれないと、彼らの目的地も定まらない。
騒乱を避け、裏道を選って適当にハンドルを切り、矢知は着信音を待った。
「返事が来るまでに、食事にするか。開いてる店も、もっと東に行けば――」
「返信です! “遺体は焼却、不可能なら強酸液で徹底的に破壊せよ。レベルは?”」
「レベルって?」
「何だろう。リーパーの中でも、発症段階があるのかな。適性度とかは数字だけど、研究所でレベルって言うとアルファベット表記でしょう」
「ABCで適当に答えろってことか」
表記法に自信があるのかと聞かれた岩見津は、首を横に振りシレッと否定する。
レベルは不明、それが最も無難な回答だろうが、荻坂を食いつかせるには弱いとも思えた。
「巻月、お前は運が良かったよな」
「ん? ああ……」
「決めろ。好きなアルファベットでいい」
「はあ!? そんないい加減な」
矢知ならよく使われるBや、少しずらしてDを選びそうなところを、潤は“H”と答えた。
「根拠は?」
「有るわけ無いじゃん。ま、最新がHだったから、かな」
「そりゃ促進剤じゃねえか」
文句を言いつつも、Hを採用してメールを送る。
食事なら腹持ちのいいのにしてくれ、丼物はどうだと、潤がメニューの希望を並べ立てるのを、矢知たちは
端末画面を注視していた岩見津は、着信サインが出ると同時に内容を表示する。
「“因子を持って、科多駅へ向かえ。引き渡し方法は、追って伝える”」
「よしっ。因子ってのが、造血細胞のことだろうな」
「上手くハマってくれましたね」
「駅へ行くぞ!」
後輪を滑らせ、車が百八十度ターンすると、荷物ごと左へ引っ張られた岩見津が悲鳴を上げた。
また食べ損ねかと頭を抱える潤も、今が急ぐべき時なのは承知している。
科多駅に通じる四車線の大通りには、五分も掛からずに到達した。
特事課の車輌で乗りつけるのは流石に躊躇われるため、ギリギリ駅前の広場が見える位置で車を停める。
岩見津のリュックから取り出した双眼鏡で、矢知は遠方から駅の隅々まで様子を観察した。
彼が一通り見終わると、潤も貸してくれと頼む。
彼らがいるのが駅の表側、中央に噴水が在り、普段は何かしらパフォーマーが人を集めている場所だ。
カフェやスイーツショップなど多数の店が、三階建ての駅ビルのテナントとして入り、こちらの人気もそこそこ高い。
混み合っていて当たり前、そんな駅前でも、ここまで人が溢れたのは初めてだろう。
ビル内の様子までは分からないが、少なくとも広場はバーゲン会場並に密集する人で埋め尽くされていた。
群集を整理する駅職員、飲料水らしきペットボトルを配る者、担架を運ぶ白衣姿までいる。
「……花火大会の会場が、こんな感じだった。酸欠になりそう」
「帰宅難民ってやつだ。荷物の受け渡しに向いてるとは思えんがな。荻坂の指示を待つしかない」
「待ってたら、また特事課が来るんじゃなくて?」
「当然、来るだろうよ」
連中の公用車に乗っているのだから、自分たちの居場所は把握されていると矢知が解説する。
荻坂だけでなく、特事課まで一箇所に集めようという意図を理解し、潤は呆れた声を出した。
「人混みで戦闘なんて、大混乱になるぞ」
「特事課も、そこまで無茶はしないだろう。荻坂側の人数が分からない以上、利用させてもらう」
「敵の敵も、やっぱり敵かもよ」
「たとえそうでも、荻坂を逃がしちまうよりはいい」
二人の会話を、メールの着信が終了させる。
車に差し込み始めた夕の陽射しに目を細めつつ、岩見津が文面を読み上げた。
「“十七時三十分、地下鉄科多駅の改札脇へ”」
「地下か……」
矢知は腕時計で現在時刻を確かめた。十六時五十五分、時間の猶予は有る。
科多駅には地下街が無く、地下鉄駅には雑踏を通り抜け、駅前の入り口を使わなければ行けない。
車を降りた矢知はワイパーにメモを挟むと、大通りを駅へと歩き出した。
近隣のどこかへ移動させられるのだろうという彼の予想を裏切り、荻坂の指定したのは駅そのもの、それも地下だ。
逃走経路を確保するのも、潜伏するにも障害ばかりが多く、長所があるとすれば封鎖線に近いくらいか。
封鎖区域の南端に在る科多駅から突破すると、城浜の中心部に抜けるルートとなろう。
「街じゃない、港だ」
「港が何?」
右隣を歩く潤が、訝しく聞き返した。
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