23. 血
あくまで勘だと断った上で、岩見津は自分の推測を述べた。
「検査用に使う血の量じゃない。材料に使った気がするな」
「何の材料だ?」
「薬ですよ。促進剤の原料です」
根拠は無いと言うものの、彼がそう考えたのは、研究所での薬品供給量を思い出したからだ。
常に一定の量が用意される抑制剤と違い、促進剤は在庫に極端な波がある。
一人に何十本も打つこともあれば、全く与えられない発症者もおり、その時は研究方針に依るのだろうと気にしなかった。
今、タブレットに映るリストをスクロールすると、奇妙な符合が目につく。
記憶にある促進剤が無かった時期は、血液回収量の少ない日付と一致した。
「この考えが正しいとするとですね、所長が欲しかったのは発症者の血であり、造血細胞だ」
「妥当な推測だな」
「そこの女は、首に網状血管は浮いてるし、血涙の跡まである。おそらく末期患者で、原材料用に回されたんだと思います」
「自分で志願したって言ってたな。そうそう巻月みたいにはなれんだろうよ」
「でも、貴重な四次症例者には違いない。だから、山田はここに残って作業させられてた」
仮に高次症例者ほど、その血液が重要になるなら、死にかけのハッシュジョルターも捨てるには勿体ない。
荻坂が行動を起こしたのは、間島有岐――第五次症例者の血を得たからだとも考えられた。
間島の血で強烈な促進剤が作れるのだとしたら、それこそ悪夢、いや荻坂にとっては輝かしい成果なのだろう。
彼の意見に賛同した矢知は、タブレットを受け取って自分でもリストを眺めてみる。
対策班が確保したより、遥かに多い発症者の数。
症状が進行しない限り、〇次発症者は軽い偏頭痛持ちと変わらない。死亡欄に日付が無いのは、普通に社会生活を送っているということだ。
一次以上はそうも行かず、大半は病院での死亡日が書かれている。
但し、致死率百パーセント、その常識をリストは否定した。
死亡記録が空欄の二次、そして三次症例者にもかなりの生存者らしき記録が存在する。
東京に送られた者が多く混じっており、どうも白浜以外にも大規模な研究施設があるようだった。
矢知たちには伏せられた東京のジョルター、それで連想されるのは特事課の面々である。
元々は研究所と特事課は同根、中央の管轄の研究ということか。矢知たちは、城浜で情報漏洩を防ぐ役回りだった。
現場の下っ端として一部のジョルターを捕まえるために使われていただけだ。
そんな中、荻坂は独自に計画を立て、遂に叛旗を翻したといった筋書きが思い浮かぶ。
所長を追い掛けここまで来た矢知も、事件の枠組みが見えて来たことで、自分の身の振り方に意識が向かった。
特事課に協力した方がいいのか。それとも、自力で所長を更に追求すべきなのか。
「なあ、悩んでるのか?」
「ん、いや……」
無言でタブレットを操作する矢知の姿が、潤には走る足を止めたように感じた。
いつも自信ありげな表情が曇って見えたのは、潤の勘違いではないだろう。
「やっぱり間島は、どこかへ連れ回されてるみたいじゃん。彼女を助けるのが最優先だろ?」
「お前はな。しかし、どうして恋人でもない間島に拘るんだ」
「そんなもん、理屈じゃねえよ。やり始めたことは、最後までやるだけだ」
「そうか」
省みるのは事が済んでから、そんな単純さを矢知が咎めたりはしない。
若い無鉄砲さを少し羨ましく思いつつ、彼はリストを繰り続けた。
自分の考えをまとめるために指を無意識に動かしただけで、ただぼんやりと過去の記録を遡り、名前が下から上へ流れるのに任せる。
その項目で指が止まったのは、単なる偶然だ。
もし偶然とは違う要因があるとすれば、日付くらいのものだった。
五年前、まだ忘れるには新しい七夕の夜。
その年、その日は、矢知にかけられた呪いであり、今もまた彼の目を一つの名前に導く。
データベースを閉じ、タブレットを岩見津に突っ返した彼からは、もう他人が内心を察せられるような隙は消えていた。
「荻坂は俺が捕まえる。特事課より先に」
「腹を決めたんだな」
「私怨だ。お前はお前の好きにやれ」
「上等だよ」
所長の所在に繋がる手掛かりは得られなかったものの、矢知は次の手を思い付いたと言う。
ならば長居は無用であり、三人は撤収することに決めた。
岩見津の指示に従って、造血細胞の収まるパックを運搬用のケースに移し、これを矢知が持つ。
未使用の促進剤と抑制剤がアンプルの形で残っていたので、こちらは銃型注射器と合わせて岩見津の持ち物になった。
第四症例者とされる女からは全ての管を抜き、器材の電源も落とす。
この後、彼女は目を覚ますのか、それとも末期症状に移行するのか、誰にも答えられないし興味も無い。
彼らは最低限の処置を済ませて、ここを去るだけだ。
長い廊下を戻り、再びエレベーターに乗った矢知たちは、地下一階へと上って行った。
上昇が始まると同時に、矢知は銃を扉に向けて構える。
他の二人も彼の態度を見て、何に警戒すべきかを悟り、岩見津は矢知の陰へ、潤は逆に一歩前へ出た。
彼らを乗せた箱がガタンと止まり、ドアが左右に開いた瞬間、矢知の懸念が的中したと分かる。
エレベーターから外に出た三人を迎えたのは、六つの銃口だった。
通路の先に並ぶ黒い男たちは、後列三人が機関小銃を、膝立ちした前列はやたら口径の大きい武器を構えている。
その六人の後ろに顔見知りが一人控えており、最初に彼女が声を上げた。
「よくもまあ、こんな施設を隠してたわね。階段側も封鎖しました。投降しなさい」
「作ったのも、隠したのも荻坂だよ。アンタらこそ、怪我したくなかったら道を空けろ」
「所長に協力してるんじゃないんでしょう? 情報を提供してくれれば、私たちで彼らを拘束します」
「悪いが、奴を叩くのは俺たちが先だ。もうちょっと車は借りるぞ」
先頭に立つ潤が、チラリと振り返って矢知の目を見る。
お互いの意志を確認するには、それで充分であり、小さく頷き合った後、青年は前に歩き出した。
ゆっくりと近付く彼に、高木が警告を発する。
「止まりなさい。高次ジョルターには手加減できませんよ」
「俺も加減が難しいんだ。
「…………飽和攻撃用意っ」
矢知は床にベッタリと伏せ、岩見津にも頭を上げないように忠告した。
ゴツい銃はジョルター用の
これも開発棟で検討されたことのある武器で、予算の都合により却下されたものだ。
“そこまで高次の症例者に対応するのは、後回しでいい”そう言いながら、中央では実戦投入されたらしい。
一度、潤のジョルトを味わって最新鋭の武器を持ち出した高木を、それでも矢知は鼻で
――巻月をナメ過ぎだ。本気で殺す気じゃねえと、アイツは止まらん。
瓦礫だらけの床を蹴って、潤が加速したのと同時に、高木は前列斉射の号令を放つ。
彼の進行方向へ先立ってテーザーから電極ピンが撒かれ、天井や壁へ突き刺さった。
剥き出しのコードが形成する高電圧ゾーンを見て、彼が立ち止まるなら良し。走り込んで来るなら、電圧を上げて銃で追撃するつもりだ。
潤にも敵の戦法は何となく推測できたが、構わずに敵との距離を詰める。
通路を遮る電流の網が起動し、空中放電が開始されると、小さな稲妻が彼の周囲で光った。
連続発動するジョルトに、小銃の発射音が重なっていく。
彼のバックジョルトに、銃弾が通るチャンスなど存在しない。
走る速度こそ落ちたものの、弾を受け流し、電極を弾きながら前進を続けた。
「どうなってる!? 電流をすり抜けてるぞ」
「前列も銃で応射!」
弾の奔流が、時間差を意識した見事な連携で潤に降り懸かる。
ジョルトとジョルトの間に無防備な瞬間があるのは、彼とて例外ではない。
並の高次発症者なら、その隙を通る弾が身体に到達するはずだ。
しかし、細かく発動を繰り返すジョルトは、着弾のタイミングと正確に連動して、全てを無効にしてみせる。
彼は特事課が未だ遭遇したことがなく、知識すら持っていない高レベルのジョルターだった。
高木もハンドガンで加勢したが、焼け石に水もいいところである。
進み続ける潤から生まれる衝撃波を受けて、堪らず彼女たちもジリジリと後退した。
それでも射撃を継続したのは、訓練の賜物であり、賞賛される優秀さだ。
双方の距離が数メートルを切り、ジョルト圧が耐えられる限度を超えた時、高木は銃による攻撃を止めさせた。
特事課にはジョルト能力を持つ隊員が多く所属するが、高木を含め今回の七人は発症者ではない。
彼らは対ジョルターの専門職であり、接近戦での捕獲こそが本分だった。
対策班が使う粘着球に似た金属のボールを、前後列六人が手に握り込み、潤を囲むように投げ付ける。
球の中身は、空気に触れると硬化する拘束フォーム――体積を五十倍に膨らませる泡だ。
粘着剤と違い、身体の形に合わせて固まってしまう拘束フォームは、バックジョルトで切り離しても動きの自由を奪う。
六つの球は潤の足元で破裂し、瞬時に膝近くまで泡を膨らませた。
足を封じられた彼は、バックジョルトを発動させつつ、前のめりに上体を倒す。
突いた両手を目掛けて、再び三球が投じられ、腕周りも泡で固まった。
「麻痺浸透液を用意!」
泡には、液体が染み込む小さな穴が無数に空いている。
ここに麻痺液を流し込めば、やがて対象の皮膚に触れ、拘束できるという手順であった。
薬の入った小瓶を取り出し、彼らが投げようと構えるより早く、強い衝撃が通路を揺らす。
拘束フォームは直接攻撃ではないため、低次の発症者はジョルトを生んだりはしない。
だが、自力でも能力を使える潤なら、抵抗するのも高木には想定済だろう。
彼女は慌てず、皆にチャンスを窺うように指示する。
「自動発動じゃない、隙だらけだわ。ジョルトの切れ目に――」
「バックジョルトじゃない! こいつ、ハッシュを使ってやがる!」
フォームに浮かぶ、何本もの切断線。
七人ともハッシュジョルトは映像で見ただけで、これをそうだと誤解したのも仕方がない。
実際、物体を切り刻む現象自体は、同じ原理に基づいている。
違いは切断線の形。
潤はバックとハッシュ、二つのジョルトを混ぜて使おうと試みたのだった。
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