22. インダクション
肌も顕わな若い女性をジロジロと見回すのは、潤にはハードルの高い行為である。そのせいで短絡的に、間島有岐を発見したと勘違いした。
改めて見直すと、ショートヘアの黒髪こそそっくりでも、面長で顎の尖った顔は別人だ。
年齢も二十代後半といったところだろうか。
「研究所で何度か見かけた覚えがある。分析棟の研究員だ」
「間島じゃないのか……」
だからと言って、人の身体を研究材料にして好きに扱ってるのは同じことだと、潤は婦長に視線を戻した。
「この
「志願? それより間島はどこにやった。どうせここに連れて来たんだろっ」
「今朝の患者なら、ここにはいないわ。用件が済んだら、さっさと出て行きなさい!」
そうはいかん、と、矢知が代わりに返答する。
この地下で何が行われていたのか、荻坂たちの行方を知っているのか、洗いざらい吐けと、潤の脇から銃を突き付けた。
いつ特事課が来てもおかしくない状況で、山田の口は余りにも重い。
脚に一発撃ち込むかと、矢知が前に進み出た時、彼女はようやく震えながらも言葉を発した。
「分かったわ」
「観念したなら、麻酔銃を下ろせ」
「これは麻酔じゃない。踏ん切りが付かなかっただけ」
「何の話だ」
「私の適性は、Dマイナスだったもの」
意を決したらしい山田は、麻酔銃の先を自らの首元に当てた。
自殺――そう考えた矢知は、潤よりも早く彼女へ飛び掛かり、銃を引き離そうと手を伸ばす。
だが、引き金は絞られ、銃身にセットされたアンプルの中身が彼女の体に取り込まれた。
山田の言った通り、彼女が握っていたのは麻酔弾を撃ち出す銃ではなく、単なる投薬器だ。
薬剤を高圧で一点に噴射する機器であり、その威力で皮膚下に薬を浸透させる。
この銃型注射器を原型として、対策班の使う麻酔銃は作られた。
似ているとは言え、矢知がもう少し注意深く観察していれば、山田の武器を見誤ることはなかったであろう。
彼が投薬器を奪い取った時には既に手遅れで、彼女は両手を床に突いてぜえぜえと喘ぎ始めた。
「毒で死ぬつもりか!」
棚には薬品が山と収納されていても、解毒剤など咄嗟に選り出せはしない。
まだ知識の有りそうな岩見津は姿が見えず、彼の名を呼びながら、矢知は女の肩を掴んだ。
仰向けに寝かせようと、彼が力を篭めた瞬間、衝撃が体を後方へ弾く。
戸棚を揺らし、矢知の体勢を崩す程度の弱いフォアジョルト。
しかし、彼の背後には潤が立っていた。衝撃に反応した高次発症者のジョルトが、山田を奥の壁際にまで押しやった。
棚のガラスが割れて、彼女の頭から降り注ぐ。矢知もピンボールのように軌道を変え、横の壁へ肩から激突した。
血涙を流す山田が、両腕を前に上げて、指先からも血を撒き散らす。
獣の唸りを上げる彼女から、次々と衝撃が放たれ、瓶や機材が床に落下していった。
「見ろ、あれが
「あ、ああ!」
小さなジョルトを連発しながら、穴という穴から血を噴く山田は、もう言葉が届く存在ではない。
顔や手先にも血管が盛り上がるのが、遠目でもはっきりと分かる。
マスクメロンの如く網を描く血管も直ぐに破れて、山田は赤い置き人形と化した。
ジョルトは威力を減じ、やがて身体をブルブルと震わせるだけになる。
彼女の変貌を、潤は目を逸らさず無言で見つめた。
「
部屋の入り口にやって来た岩見津が、震動する婦長を見て呟く。
「自分で薬を打ちやがった。ジョルター化させる薬があるのは確定だ」
「街の発症者も、同じ薬ですかね。部長さん……」
「おう」
岩見津へ頷いた矢知は、彼女へ向けて銃を撃った。
連射された弾は胸と頭に当たり、ジョルトで弾かれることもなく、山田の命を奪う。
何か問いたげに顔を向けた潤へ、彼はジョルターの最期を説明してやった。
末期震動を起こした患者は、脳内でも大量出血しており、ここから回復した者はいない。
脳死すればジョルト能力も失われるのだが、心停止する瞬間、強烈な衝撃波を発生させる者が稀にいた。
この迷惑な断末魔を防ぐため、矢知は銃で
「……俺もこうなると思うか?」
「最初はそう考えた。ただなあ、お前はまだ先が有りそうに見える」
「第五症例か」
そんなことより、と岩見津が手に持ったタブレットを突き出した。
説明しようと話し出した彼を止め、矢知は先に婦長の遺体へ歩み寄る。
ナース服のポケットを漁った彼は、携帯端末を取り、そこで何故か付いて来た岩見津へ向き合った。
「何か見つけたのか?」
「地下のデータは消されてるし、アクセスも出来ません」
「だろうな。システムは研究所と一緒だろう」
「そこでこれ、上級職員が使っていたタブレットです」
画面には、枠内をタッチしろと表示されたウインドウが映る。
指紋照合だと言う岩見津は、矢知に山田の指を使うように頼んだ。
「自分でやりゃあ、いいじゃねえか」
「イヤですよ、こんな血まみれババア」
「まったく……大体、データは消えてんだろ?」
文句を言いつつも、矢知は死体の指を持ち上げて床で血を拭った後、タブレットに押し付ける。
指先の汚れで何度かエラーが出たものの、最後は認証をパスしてログインした。
自動起動したデータベースが、接続先を選択するようにガイド画面を表示する。
「あるじゃねえか、データ」
「病院側のサーバーです。カルテを作ったくらいだ、正鳳会にも管理データがあると睨んだんですよ」
「そっちは消されてないんだな」
岩見津の手柄だと褒める矢知だったが、データの内容を眺めていく内にその顔は渋くなった。
研究計画や、地下施設の詳細について入力された記述は見当たらない。
細かな数値がひたすら羅列されても、今の彼らには無益な情報だ。
辛うじて関心を引いたのは、膨大な人名が並ぶ一覧リストだった。
具体的な名前毎に、年齢、日付、各種記号に数値と、情報がズラリと記されている。
「日付は十年前からだな。おいっ、“場所”って……」
「病院より、学校や企業名が多い。陸上競技大会なんてのもあります。相当手広くやってたんだなあ」
いくつかは研究所でのデータ形式を踏襲しており、岩見津にも何を指す項目か推測できた。
進行度は発症の進み具合で、大半は一以下の小数が占め、稀に一や二の桁もある。
「〇・何って数値は、初期震動すら発生しない“無症候性キャリア”ですね」
「そんな連中のデータを、昔から集めてたのか。この“GR”って欄は?」
「促進剤のことでしょうが……。違うな、投与日時が発症より前だ」
薬の識別符号からして、これが研究所の促進剤と同一だと思われた。
然しながら、データ上ではGRを打ったことで発症したことになり、これでは
正鳳会病院が関わった検診や予防接種などで、薬を投与して発症の様子を観察する。そんなシナリオが、二人の頭に自然と想像された。
“適性”の欄は、そのままジョルターへの変化適性のことだろう。適性値が大きい者ほど、症例の進行度も高い。
近年のデータを見ると、薬の開発が進んだお
数こそ少ないが、最新のH系統の“ID”が記載された者は、軒並み二次症例以上に進行したようだ。
ここで岩見津は、「ああ!」と薬の分類名に思い当たった。
「なんで促進剤がIDなのか、ずっと不思議だったんです。これ、
「じゃあ、IVは?」
「うーん……
ガラス窓越しに隣を見た矢知は、彼の指摘した真っ赤なタグを確認した。
燃えるような色は、四次発症者の印だ。
「くそっ、血に紛れて見逃してた。こいつも起きたら危険ってことか!」
「いや、脳波は完全な昏睡パターンだし、右脇の点滴は抑制剤ですね。近寄りたくはないけど」
「じゃあ、寝たままなのか?」
「多分。それより、おかしいと思いません?」
女とその周りの医療機材に視線を走らした矢知は、暫くして彼の質問の意味を理解した。
十を超えるチューブは、女の腕や首に差し込まれた針に繋がっている。
「不可能だ。ジョルターが自分で処置するには、針が多過ぎる」
「そうです。この患者は、ジョルトを無効化されてるとしか思えない」
チューブの一端、逆さ釣りにされた抑制剤のボトルのラベルには、最新の識別符号が読み取れた。
促進剤が本当は誘発を目的としたものなら、抑制剤はジョルトを無効にして針やメスを入れられるようにするための薬、これが岩見津の見解だ。
岩見津は、解剖途中の三体が並ぶ手術室でタブレットを発見した。
ここに運ばれたのは死後のことであろうに、三つの死体には大量の抑制剤を投与された形跡があったらしい。
その上で頚椎を入念に破壊され、脾臓や脊椎の一部が切り取られていた。
薬に加えて痛覚を麻痺させれば、何なら神経系を破壊すれば、能力を封じられる理屈である。
「死体でも抑制剤――無効化剤を使いたくなる気持ちは分かる。研究のために、解剖するってのもな。だが、この寝てる女は何をされてんだ」
「彼女の両腕に、えらく太いチューブが刺してあるでしょ。あれは右腕から分離器を通して左腕に繋がってる」
「血液を抜いてる?」
「造血細胞が欲しいんだと思います。ゴロンゴロン鳴ってるのが分離器で、不必要な成分は身体に戻してるんです」
誘発剤で発症させた後、ジョルトを無効化する。
白血球増加薬を投与して待ち、結果、血液中に流れ出た造血細胞を回収。
「骨髄移植でやる手法です。スピードは無茶苦茶で、患者の容態なんて考慮してませんが」
「造血細胞の利用目的は?」
「さあ……でも、血液自体に執着してるみたいだ。ほら、リストにも回収量って記載があるでしょ」
少なくても一〇〇〇cc、多いと三〇〇〇cc以上の記録もある。成人の全血液から、七割近く抜き取った勘定だった。
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