21. 病院地下

 扉まで二メートル、潤の横を抜けて単射で撃たれた弾は、見事にロック部分へ直撃した。

 万全を期し、更に二発がドアへ食い込む。

 跳弾が返ってくることもなく、合わせ扉の真ん中に矢知が蹴りを入れると、ドアは左右に開いた。


「おい、岩見津。病院の地階には何がある?」

「えーっと、死体安置所が二つと霊安室、あとは非常電源室とか……」


 説明を聞きつつ、矢知の目は壁の血痕を追う。

 入って正面には大きなエレベーターが二機、通路はそれを回り込んで二手に別れており、血は左側の壁に付着していた。

 死体置場があろうが、病院の壁が血で汚れることは少ない。

 万一血が付けば、衛生上、最優先で洗浄されるだろう。


 血痕は極最近のものと考え、矢知は左の廊下を選ぶ。

 エレベーターの前で折れ、奥へ続く廊下へと足を踏み出した時、二人の男が突き当たりの部屋から飛び出してきた。

 銀色の銃を持つ青い作業着姿、特事課とは思えない彼らへ、矢知は穏当に会話を試みる。


「待てっ、俺たちは敵じゃない。所長を追ってここへ――」

「矢知だ、撃て!」


 銃先が自分に向くのを見て、彼は廊下の角に逆戻りした。

 ガス圧で発射される独特の銃声がしたかと思うと、壁に当たった弾が床に転がる。

 対策班が使う麻酔銃に似ているが、効果が麻酔とは限らない。

 彼の傍らに身を並べた潤が、問答無用の敵の様子に、妙な笑みを浮かべてみせた。


「オッチャンも有名人だね。人望は無いみたいだけど」

「ほざけ。この病院で当たりっぽいぞ」


 敵と見做されるなら、矢知も反撃するだけだ。

 廊下へ半身を乗り出した彼は、機関小銃をやや下方に向けオートで掃射する。

 一部屋分、廊下を進んだ男二人は、途中のドアを開いて遮蔽物に利用していた。

 戸陰に隠れ、慎重に矢知たちの出方を窺った行為が仇となり、薄いドアの下半分に蓮の実のような穴が空く。


 貫通性能の劣る弾では扉を破壊することは出来ないものの、何発かは裏側に到達し、細かな破片を撒き散らした。

 その扉から弾けた小さな木のささくれで、攻撃としては充分な効果を発揮する。


 男たちはジョルターだ。

 頬を掠めた木切れに反応して、男の一人がフォアジョルトを発動させ、それが相方のジョルトを誘発した。

 扉は衝撃で全開され、廊下の真ん中へよろめき出た男は、身を銃口に晒してしまう。

 逃げも攻撃もせず、自らのジョルトに戸惑って立ち往生する姿は、どうも戦闘慣れしていなさそうに思えた。


 楽な的となった敵の足を狙って、矢知はまた弾を撒く。

 連続射撃をいなせるジョルターなど、潤くらいしか見たことが無い。最初の着弾こそジョルトで弾いたらしいが、続く弾はふくらはぎに直撃した。

 衝撃波の発動は、明らかに着弾間隔に追いついておらず、その後もう一発が太腿を撃ち抜く。

 床に崩れ落ちた男は、麻酔銃から手を離して両手を挙げた。


「ま、待て……」

「そのまま床に伏せろ」


 大人しく言うことを聞き、俯せになった敵へ、矢知は銃を向けて近寄って行く。

 フォアジョルトしか使わないのは、第二症例のジョルターだろう。

 潤どころか、戦闘に長けた特事課よりもよっぽど御し易い。


 ――もう一人は、部屋の中か。


 麻酔銃を後ろに蹴り飛ばした矢知は、開いた戸口から顔だけ出して暗い室内を覗いた。

 スチールラックが並ぶ部屋の中央に、膝を突いた人影を認め、銃をそちらへ構える。


「動くな! 手を挙げろ」


 男が身体を震わせたかに見えたのは、矢知の勘違いではなかった。

 前震動――ジョルトを使おうとする敵に、再度警告を発しようとした彼は、慌てて後方に跳び退ずさる。

 震動はラックに及び、急速に範囲を拡大していた。


「させるかっ!」


 部屋に向かって小銃が乱射され、床で寝る男へ薬莢がバラバラと降り落ちる。

 氷柱を叩き割るかの如き破裂音が響き、ジョルトの圧力が矢知を壁に叩き付けた。

 地鳴りと共に、彼の目の前で天井・・が落下する。断ち切られた円形の建材が、敵ジョルターのいた部屋を押し潰した。

 自爆と言えるハッシュジョルトの発動に、彼は悪態をつくしかない。


「馬鹿がっ、こうなると分かってて使ったのか!」


 先に降参したはずの男の上にも、容赦無く瓦礫が積み重なり、埃が噴き上がる。

 矢知の回避はギリギリで、彼の鼻先でハッシュジョルトが発動した。

 部屋にいた敵は明らかに圧死を免れず、もう一人は潰される前に切断線ハッシュラインで真っ二つに両断され、モルタルの山の下から大量の血液が廊下に広がる。

 頭上には大穴がポッカリと開き、一階の光が煙る地下に満ちた。


 上は事務室だったらしく、事務机やPCも落ちて無残な姿を見せている。

 巻き添えを食った者はいなかったが、ここまで大事になると、誰かが地下を調べに来るのは時間の問題だろう。

 矢知は潤と岩見津を呼び寄せ、探索を急いだ。


「こいつらは廊下の突き当りから出て来た。床の一部が下に抜けてるが、地下二階があるのか?」

「知らないですね。奥は第二死体安置所で行き止まりのはずなんですが」

「死体安置所? あれがか」


 抜けた床の穴と瓦礫の山を越えて、三人は問題の部屋の入り口に立つ。

 ハッシュジョルトでドアは縦に断ち切られて倒壊しており、中には楽に進入出来た。

 岩見津の説明に、矢知が疑問を呈したのも当然だ。

 死体を収容する小分けされたラックも、銀色のテーブルや運搬ワゴンも無い。

 在るのは伽藍堂がらんどうのホールと、更に奥へと続くドアだけだった。


 スライド式の自動ドアには、パスワード式のロックが掛かっている。

 扉の脇のテンキーへ矢知が躊躇せず銃弾を撃ち込むと、渋々といった風情でドアが数センチ動いた。

 隙間に指を突っ込み、扉を強引にこじ開ける。

 現れた光景に、岩見津は息を呑んだ。


「これは……」

「当たりなんてもんじゃねえ。お前の元勤務先は、研究所そのものだ」


 何重ものガラスドアで区切られた直線通路が、上階と同じ規模で奥に続き、左右にはやはりガラスのドアが整然と並ぶ。

 中が見える強化ガラスで造られた方形の部屋、三人が思い浮かべたのは高次ジョルターの収容室である。

 収容者のいない空の部屋が全部で十室、研究所よりも充実した施設は、どちらが本拠地か分かったものではない。


 通路の先には各部屋を監視、制御するコントロール室に、手術室が二つ、突き当たりには大型のエレベーターと階段が在った。

 エレベーターの行き先は、地下二階のみ。矢知は迷わず下へ向かうボタンを押す。


「研究所が公機関なら、ここが荻坂の私的な拠点ってことか」

「これはまた、大掛かりな隠し施設ですねえ」


 今の正鳳会病院は、八年前にこの場所へ移転した新築の施設だ。

 その際に地下まで建造したとなると、荻坂は最低でもそれ以前から計画を練っていたことになる。

 政府のお墨付きを得つつ、裏ではジョルターの研究を一歩先へ推し進めていたらしい。

 協力者も相当な数に及ぶだろうが、投入された資金も莫大なもののはず。

 提供したのは個人ではなく大掛かりな組織――おそらく他国からの援助というのが妥当な推理だった。


 地下一階が研究所の病院棟を思わせる設備なら、地下二階は研究棟によく似ている。

 医療機関と生化学研究所の合いの子といった雰囲気で、入り組んだ廊下に多数の研究室が配置され、いくつかは機器の電源が入りっぱなしだった。


 岩見津が“処置室”と呼んだ部屋の前で、三人は歩みを止める。

 壁は大きな窓が嵌まっており、中を覗くと遺体が三体、ベッドの上に横たえられていた。

 管だらけの上に、開胸したまま放置された死体を見て、潤は顔を背ける。


「昨日発症して、死んだ連中みたいだな。こいつらを使って、何をしてた?」

「分かりません。単なる検死解剖ではないようですが……」


 こんな状態で捨て置いたということは、所長たちはこの病院地下に戻る意思も無いのであろう。

 荻坂はもう退去していると、接続通路の血痕を見た矢知も既に予想していた。ここで得たいのは、その後の足取りを追うための情報だ。

 矢知たちが所長の思惑を考察し合うのを余所にして、次の部屋へ移った潤は、叫びながらそのドアへと駆けた。


「間島!」

「入って来ないで!」


 ドアハンドルを掴み小窓を覗く彼の元へ、矢知も弾かれたように走り寄る。

 手術台の置かれた部屋は、先と同じく壁面がガラス張りで中が窺えた。

 半裸の女が横たわり、死体以上にチューブまみれにされていたものの、肌に生気が残る。


 入室を拒んで叫び返したのは、その女ではなく、隣の小部屋に立つもっと老けた看護婦だ。

 手術室とはガラス壁で区切られたスペースには、モニターや薬剤が所狭しと詰め込まれていた。

 その窮屈な小部屋の奥から、彼女は武器を構えてドアを睨む。

 女の正体は、岩見津が皆に教えた。


「山田です。ほら、カルテケースの」


 ああ、と頷く矢知に対し、潤が退避するように告げる。

 電子ロックされたドアを、彼はジョルトで叩き潰すつもりだった。

 その案に異論が無い矢知は、去る前に婦長へ一言声を掛ける。


「おい、山田。その麻酔銃、こいつには効かないぞ。大人しく開けたらどうだ?」

「撃たないとでも! そっちこそ、諦めなさい!」


 これは話にならんと、潤に目配せして、矢知たちは来た廊下を戻った。

 彼らが角を曲がるのと同時に、衝撃波が薄いドアをベコリと凹ませて、室内へ弾き飛ばす。

 ドアの直撃を受けた山田は、床に尻から倒れつつも、必死で上体を起こして銃を潤へ向けた。


「貴方、ジョルター!?」

「撃っても無駄だ。銃を捨てろ」


 額から血を流し、銃先はブルブルと定まらない。

 それでも武器を放さない山田へ、潤はゆっくりと近付きながら右手を掲げる。


「ち、近寄らないで! 本当に撃つわよ」

「やれよ、発動の手間が省ける」


 広げた右手が彼女の顔を隠すくらいに歩み寄った時、矢知が部屋の入り口に帰って来た。


「待て、巻月。そんな距離で発動したら、殺しかねんぞ」

「人体実験するような奴に、遠慮すんのか?」

「落ち着け、そいつには聞きたいことがある。大体、台に載せられてるのは間島じゃない」


 矢知の台詞に、潤は隣の部屋へ顔を向けた。

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