20. 城浜市科多区南部

 何となく事情が透けて見えたところで、矢知は後部席を探るように潤へ指示する。

 公安の車であるからには有用な手掛かりが有って然るべきだと考え、メモや指令書を期待して矢知も前席をまさぐったものの、空振りに終わった。


 無線機も地図も情報源は何一つ手に入らず、潤が発見した予備弾薬と応急セット、これを収穫とするしかない。

 一人蚊帳の外に置かれ、黙々と運転していた岩見津は、国道から脇道へコースを変更した。


「ん? なんで曲がるんだ」

「この先はジョルターだらけで、混乱しているそうです。迂回して東から病院へ向かいます」

「どこでそんな情報を……さっきの電話か」

「はい。無事に研究所を脱出した研究員が、広域避難場所へ退避したと」

「どいつだ? 俺も話がしたい」


 班員の名前を聞いた矢知も、何度か通話を試みて端末と格闘した。

 しかし、いずれも不通で、五度目で舌打ちと共に諦める。

 岩見津もかなりの回数を試行したらしく、そう簡単にはつかまらないのだと言う。


 より強固となりつつある通信妨害の中、少なくとも概況は伝え聞くことができた。

 南部の騒乱は、北の市民の間でも噂が広がっており、頻発する炸裂音が彼らの不安を煽る。

 南から逃げて来たタクシーを停めて様子を聞いたところ、「まるで空爆だ」と表現した。


 ジョルトの被害が大きいのは、南科多高校、城浜美術公園、メルマートの三地点。

 先の二つは避難所に指定されていて、逃げ込んだ市民に多数負傷者が出た。

 メルマートは大型のショッピングモールで、病院までの途上に在る。

 このモールでの戦闘に関わるのを嫌って、針路を変えたのだった。


「駅はどんな具合だ? 科多駅辺りは、どうせ酷い混雑になってんだろ。そこにジョルターが出たら、死傷者が膨れ上がる」

「混んでるのは間違いないですが、様子は分かりません。報道管制も敷かれて、口コミ頼りですしねえ」


 南の封鎖線にも近い科多しなだ駅は、普段から利用客の多いJRと地下鉄の複合駅である。

 本気で封鎖したなら、鉄道は止め、代替輸送のバスを検問するくらいはやっているだろう。

 噂の出所はネット経由が大半で、それも封鎖区域外から発信された文字情報が主だ。

 一般回線は不通が続き、SNSも機能していない。


 この南北に伸びた封鎖区域の形が、区境とも行政区分とも合致していないことに、当初から矢知は疑問を感じていた。

 検問が楽になるとも思えず、荻坂の居場所に当たりを付けたにしては広過ぎる。

 形の理由は、通信基地局との兼ね合いだった。


 妨害電波で通信を規制しただけでは、固定回線まで遮断できない。

 無秩序に情報が漏れるのを防ぎたければ、基地局を押さえ、施設を停止させる必要があった。

 もちろん事後の処理は途方も無く困難を極めるだろうが、特事課はこの段階でも、ジョルターの存在が知れ渡らないようにコントロールするつもりだ。


 研究所職員の端末は古い携帯電話とそっくりであっても、内実は警察、消防と共有される地域デジタル無線システムが採用されている。

 職員間や警察との連携は、普段この専用回線を使って取られていた。

 一般回線ともボタン一つで切り替えられる優れ物も、基地局を押さえられた現在は職員間の交信しか出来ないし、それも傍聴されていよう。

 潤が親へ連絡するには、封鎖線の外に出る必要があったと言うわけだ。


「封鎖を突破するのは、難物だろうな。やるなら夜までに試した方がいい」

「自衛隊が来るかもしれませんしね。しかし、酷いなあ、この有様は……」


 主要道路を離れて十分ほど、単車線の道を右へ左へと進むと、ジョルト音もはっきり識別できるくらいに大きくなる。

 それ以上に街の様相がきな臭く変わり、表通りでなくても“空爆”と喩えられた理由が目に付き出した。


 路上には中途半端な場所に車が放置され、運転席のドアがもげたものまである。

 窓ガラスはそこら中で割れて、散乱した破片を踏んだタイヤがバリバリと音を立てた。

 剥落したビルの外壁、斜めに傾いだ制限速度の標識、何より戦場を想起させるのは夥しい流血の跡だ。

 火が燃え盛る建物は、居酒屋の末路だろう。大きな看板は黒焦げで、酒の字が辛うじて読み取れた。


 火事の横を過ぎた辺りから、障害になる車や瓦礫が道の上に増え、ハンドルを握る岩見津の顔から余裕が失われる。

 炸裂音に混じって悲鳴も聞こえ始め、何より回収されていない死体が、彼の神経をさいなんだ。


 歩道に倒れる者、道路の真ん中で四肢をバラけさせて死ぬ者。

 ハッシュジョルトで切断されたらしい生首が、カラスにつつかれているのを見た時は、血に慣れた彼ですら暗鬱な気分にならざるを得なかった。

 平和な日常を生きてきた潤は尚更で、「ひでえっ」と言った切り、無言で街を眺める。


 食い物を仕入れる店を探すと言った手前、矢知はコンビニやスーパーにも目を配っていた。

 残念ながら、まともに営業している店は皆無で、人が集まり易い場所ほど被害が目立つ。


「一斉に発症するなんて、故意にしか有り得ん。荻坂は、どうやってジョルターを覚醒させたんだ」

「発症薬を作ったとしても、注射じゃ無理ですよね。ガス化して撒くとか?」

「それを研究所で作った、と。ガスねえ……おいっ、止まれ!」


 道の先がバリケードで塞がれているのを見て、矢知が停車を命じた。

 工事現場でもよくあるゼブラ柄の安全バリケードだが、奥に黒装束が数人立ち並んでいる。


「この先が病院です。ほら、薄緑の壁が見えるでしょ」

「くそっ、特事課に先を越された。他のルートは?」

「正面に回りましょう。バックします」


 他に動く車が無いのをいいことにして、交差点まで大胆に後退した岩見津は、病院の北口へとハンドルを切った。

 東から北へ、またバリケードを確認すると更に西へ。病院の外を一周するように、車を南まで走らせる。


「裏口も黒いのがいますね」

「あんなバリケード、撥ね飛ばして行こう。俺が援護するから――」

「もう一つ進入路があります」


 路地に車を入れて降りた三人は、岩見津の案内で病院の南側に建つビルへと歩いて行った。

 五階建ての立体駐車場、ここにも進入口があると言う。病院とは通りを二本隔てた場所に建つ駐車場も、正鳳会病院の施設らしい。

 “別口”は駐車場の地下一階、病院から死亡者の遺体を運ぶ搬出口のことだった。

 階段で地下に下り、閉じた鉄扉を見つけた岩見津は、嬉しそうに指で差す。


「監視がいない。これなら楽に入れますよ」

「ちょっと離れてるが、病院まで続いてるのか?」

「ええ、直線の地下トンネルで繋がってます。そこと、病院側の二カ所に錠が掛かってますが――」


 二人の視線を集めた潤が、両手を挙げて承諾の意を示した。


「俺の仕事だって言うんだろ。いいよ、もう腹以外は快調だし」

「せっかくだ、派手な物音を避けて、こっそり潰せ」

「冗談きついぜ。消音ジョルトなんて出来るかよ」


 頑張って威力を抑えたところで、鍵を破壊するにはバックジョルトが響き渡るだろう。

 建物の外が騒がしく、ジョルト音自体は珍しくなくなっているのが救いだ。


 車両用の大きなドアの前に独り立った潤は、両開きの扉をロックする鍵の部分を見下ろす。

 膝を折り、閉じ合わせの隙間に顔を近付けると、かんぬきとして扉同士を留める金属棒が奥に見えた。

 ロックする部位はこれだけのようで、扉を手で押すと前後に少し揺れる。


 内側からなら簡単に開けられるのではないか、そう潤は考えた。

 その内側に行きたいから鍵を潰そうと言うのだ、本来なら滑稽な思考である。

 しかし、テレポーターが実在すれば、きっと転移で解決するはず。

 見えないドアの向こうをイメージして、彼は力を篭めていく。


 ――間島に出来たってんなら、俺にだってやれる。


 セダンを吹き飛ばした時よりも、もっと強い力を。

 後ろで見守る二人が不安を感じる程に、前震動が彼を揺らせた。


 ――切り離せ。


 世界から外れて、通路の先へ。

 内に湧いていたエネルギーが収束し、世界のブレが最高潮に達した瞬間、力は彼の手を離れた。


 全てが白く消えたと感じたのは、潤の気のせいだったのか。

 爆圧で閂の周りが捩切れて、ドアは内側へ押し開かれる。

 湾曲した左の扉は床に傷を刻みながら半開きで止まり、右側は勢いをつけて全開し、通路の壁に激突した。

 衝撃は後方にも伝わって、天井の蛍光灯が軒並み破裂する。


 暗くなった地階に、鉄扉の衝突音が反響した。

 銅鑼を掻き鳴らすほどの騒がしさに、岩見津は耳を覆う。

 それが静まりかけたところで、ドア横のコンクリートの壁がボロリと崩れ、ドアの蝶番がボルトごと外れて落ちた。

 トドメとばかりに、また派手な音を立て、二枚の扉が倒れ込む。

 矢知は苦い顔を隠しもせず、搬出口へと近寄った。


「静かにやれって言っただろ。まあ、成功だが」

「いいや、失敗かな」


 残念そうに息を吐く潤を、矢知は不思議そうに見返し、その手に視線を向ける。

 皮膚に血管が浮き出て、指先から血が滴っているのは、力加減を間違えたせいだろうと推測した。


「ジョルトを抑えにくくなってきたのか?」

「大丈夫だ、今のは失敗なんだって。コツがあるはずなんだ……」


 矢知は潤の意図を知らないため、症状が悪化したのかと身構えたものの、ぶつくさ呟く青年は案外に平気そうだ。

 ミミズ腫れのような腕の血管膨張も見る間に治まっていき、出血も直ぐに収まる。


「一応、少し休め。奥の扉は俺が潰す」

「どうやって……ああ、銃を使うんだ」

「こんだけうるさくしたら、どうせ連中も気付いただろう。スピード重視で行く」


 いつまでも耳を塞ぐ岩見津へ出発を怒鳴り、二人は長い通路に踏み入った。

 オレンジ色の光が照らす接続通路は、病院まで一直線に伸びており、行き止まりまで見通せる。


 中型車一台分の車道、その両脇に申し訳程度の狭い歩行者用通路。

 百メートル近く離れた一番奥には、先と似た両開きのドアが小さく見えた。

 堂々と車道の真ん中をやや小走り気味に進んでいた矢知は、途中で足を止めて壁に向く。


「急ぐんじゃないのか?」

「見ろ、血の跡だ」


 見れば確かに、指でなすったような血痕が、壁にいくつか点在していた。

 その確認だけ済ませると、矢知はまた先へ歩き出す。

 病院内部への中扉に到着した彼は、施錠されているかを調べた後、鍵を撃ち抜くためにドアから距離を取った。

 背後で眺めていた潤は、前へ出るよう指示される。


「跳弾用の盾になってくれ」

「うへえ、人使いの荒いオッサンだ」

「便利なんだ。多少はジョルターへの認識を改めたよ」


「私もです」という声を背に受けながら、矢知は潤の斜め後ろに立ち、機関拳銃を構えた。

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