29. 爆弾
男が部下へ向かって走り出したのを受けて、高木が上へ撤退するように命じる。
「地上へ! レーザー班と合流を!」
「待てよ、逃げるのか!」
「リーパーが複数じゃ勝ち目が薄い。仕切り直しましょう」
部下四人は中央階段から上に向かい、高木も合流を目指してひた走る。潤を気にして出遅れた矢知も、岩見津と一緒に彼女の背中を追った。
赤い男もまた中央へと駆け出したものの、四人が脱出する方が早い。
その時、一度消えていた敵リーパーが再出現したと、列車から響く衝撃波が教える。
四両目から出現した敵は、階段近くへと歩を進めた。
接近戦を覚悟した高木たちだったが、男は彼らとは反対方向、階段の
リーパーたちが攻撃して来ないのなら好都合だと、彼女が段に足を掛けた瞬間、追いついた矢知が襟首を掴んで後ろに引き倒した。
「なんっ――!?」
「震動だ、よく見ろ!」
階段の中程が、ジョルト球の影響で多重化している。
矢知たちが後退するや否や、ハッシュジョルトが地下一階へ通じる経路を二度、三度と切り刻んだ。
電車を傷付けないためだろう、ハッシュ範囲こそ控えめではあったが、連射間隔は潤と比べても遜色が無い。
退路を塞がれた彼らはホームの端へと逆走を試み、それも叶わないと知った。
リープで攻撃を躱したもう一人も、再出現して三両目の傍らに降り立っている。
この小柄な黄シャツが、階段裏でハッシュを放った黒スーツに合流した。
「赤黄青とは、信号機かよ。黒が余計だがな」
「その黒は資料で見た。自衛隊に所属していたはずだけど、カーネルになってたのね」
「どこの出身だろうが、同じことだ」
リーパーたちが皆を挟んで対峙したところでもう一人、奥から研究所の制服を着た男が登場する。
矢知と同じ対策班の一員であり、彼もよく知る顔だ。
「抵抗しても無駄だ。銃で抵抗出来ない相手なのは、アンタもよく知ってるだろ。隊長さん」
「お前が潜入者とはな。いつから所長の腰巾着に成り下がった」
「元から監視役だよ。カーネルは所長の考えた組織でもなければ、その指揮下にもない」
「はあ? 黒幕気取りか。荻坂はどこにいる!」
こんな危険な現場に連れて来るわけがなかろうと、男は冷ややかに笑う。
長年、自分の副官を務めてきた浦橋が、こんな酷薄な顔をすることを、矢知は初めて知った。
佐々井を殺ったのはお前か――そう尋ねかけた言葉を呑み込む。
直接手を下していようが、間接だろうが、何の違いがあるというのか。
軽自動車に積まれたペットボトルは、駅でも大量に見た。
薬の拡散に佐々井を利用した、そんなところであろう。誰を何人殺したのか、浦橋に自覚はあるまい。
「所長も間島も、お前の切り札だ。近くにいるはずだよな?」
「だったらどうだと? もう詰みだよ」
高木は赤シャツを、矢知は黒スーツを狙って銃を向け、背中合わせに立つ。
岩見津は二人の間にしゃがみ、自分のリュックに手を突っ込んでいた。
今さら何で攻撃しようがリーパーには無効、そう考えるカーネルたちは、矢知たちに動くなとも命じない。
「そいつが高次症例者か?」
「ああ――?」
「そうだっ」
浦橋の問い掛けを即座に理解したのは、岩見津一人だけだ。
列車に乗るカーネルたちには、ホーム襲撃の報告がされ、四次症例者同士が交戦していると伝わった。
彼らはリーパーの――潤の進化をまだ知らず、銃をリュックに仕舞った岩見津をジョルターかと疑う。
窮地を打破しようと、自分なりに考えていた岩見津は、これを好機と考えた。
「ボクが症例者だ。攻撃するなら、電車を潰す」
「ほう」
彼が小芝居で時間を稼ごうとしているのは、この時点で矢知や高木も理解する。
潤が帰還すれば、リーパーに対抗するチャンスも生まれよう。
しかし、言葉を弄して騙すには、彼此の戦力差が大き過ぎた。そのことは岩見津も重々分かっており、リュックの中の手に力が篭る。
足元へちらりと目を落とした矢知は、彼の握る物を見て小声で忠告した。
「やめろ。死ぬぞ」
「……他に手が思い付きません」
睨み合っていても益が無いと、スーツのリーパーが浦橋へ振り返る。
確認を求める仕草からして、矢知の元部下が本当にリーダー役らしい。
浦橋が頷くのを合図に、黒スーツは最終通告を発した。
「投降するなら、発症者は一緒に来てもらう。逆らうのなら、全員まとめて死ね」
貴重な高次症例者であっても、捕獲に時間を浪費していい局面ではない。この通告は本気だ。
岩見津と潤、似ても似つかない二人にも一つ共通点がある。彼らは共に、自分を信じる楽観派だった。
どうにかなる、そう繰り返す岩見津の呟きが耳に入り、矢知と高木は逆に不安が膨らむ。
そんな仲間の胸中も知らず、彼は注射器を取り出し、自分の腿に突き立てた。
「促進剤! 自力でリーパーになるつもりか!」
初期震動で岩見津の身体が揺れ、敵リーパー二人は衝撃を予期して身構えた。
下手に高次ジョルトを浴びせた結果、本当に五次まで進行されては厄介だと、敵が判断に迷う。
無効化剤で万全を期すのが先か、全力のリープで一気に始末するべきか。矢知たちには窺い知れない逡巡が、何秒かの隙を作った。
地面に突いた岩見津の手の甲に、太い血管が浮き上がる。
指や口から血を噴き、小さなジョルトを連発しつつ尚、震動する彼の様子は、リープ発動の前兆にも見えた。
矢知と高木は衝撃で地に伏せざるを得ず、敵の自動発動したジョルトが追い打ちをかける。
「無効化剤をかけろ!」
浦橋が、電車内に控える要員を呼び付けた。瓶を握る男が駆け寄るまでに、また数秒を稼ぐ。
岩見津が身を犠牲にして得た時間は、凡そ二十秒とちょっと。
敵の耳を塞ぐジョルトの爆音も、彼の功績だろう。充分な成果が反撃の狼煙を呼ぶ。
岩見津ばかりに注目していた赤シャツが、瞬間、世界から消えた。
〇・五秒後、血みどろの姿となって再出現し、力無くホームへ崩れ落ちる。
その体を跳び越し、久方ぶりの青年が、彼らを守るように前へ走り込んで来た。
「
「調整が難しいんだ。吹き飛ばされんなよ」
そのまま次の敵へと飛び掛かった潤は、相手のリープに巻き込まれて姿を瞬かせる。
一秒以下の時間跳躍では、彼をグラつかせることなど叶わない。
潤が平然と黄シャツの手を握り掴むと、驚愕の色が男の顔に浮かんだ。
「おら、もう一回跳ぶぞ」
「な……!?」
潤にしてみれば、多分に加減した弱いリープだ。二秒弱のスキップで、再び二人の姿が消え失せる。
その間、ぜえぜえと喘ぐ岩見津のために、矢知は抑制剤を探してリュックを漁った。
無効化剤を持ってきた敵も能力を有していたようで、高木が連射を浴びせるとジョルトがいくつも誘発された。
足止めの役に立たないのは承知の上、潤が復帰するまでの牽制でいい。
リープを終えた潤は、頭を揺すってよろめく敵を蹴り飛ばす。
消耗した黄シャツは一般人同様に、体を曲げて後退り、仲間に支えられて何とか転ばずに堪えた。
血反吐を零すリーパーに替わって、浦橋は潤へ向けて薬瓶を掲げたものの、それを一発の銃弾が撃ち砕く。
正確に瓶だけを狙う精密射撃によって、甘い中味が男の上半身に飛び散った。
自前の拳銃に持ち替えて、片膝撃ちのポーズを取る高木へ、振り返った潤が親指を立てる。
「いい腕だ。けど、撃ち殺さないのか?」
「よそ見しない!」
弱ったリーパーに、第二症例程度のジョルター、どちらも潤の相手を務めるにはもう力不足だ。
無傷の黒シャツも、後ろに退避したまま動かない。
あとは連中が鼻血を流すまで、リープに付き合わせればいい――そう悠々と近づく潤から、敵は背を向けて逃げ出す。
「なんだよ、逃げんのか……えっ?」
「電車を潰して!」
リーパーたちをホームに残したままドアが閉まり、ゆっくりと車体が前進を始めた。
そのまま行かせたらマズいことは、潤でも分かる。いや、彼こそが、誰より電車を止めたかった。
動き出した車両に被せて、潤のジョルト球が拡大し、ハッシュが炸裂する。
四両目を斬った切断面は二箇所。切り取られた車体は速度を落とし、後続に逆らう障害物と化した。
四両目は蛇腹のように押し潰され、脱線した挙げ句に火花を散らして線路を削る。
軋みが耳をつんざく中、電車を止めた潤へ矢知が称賛を送った。
「よくやった、巻月!」
「よくねえよ! 間島が先頭に乗ってる」
切り離された前の三両は、徐々に加速しながら駅を離れて行く。
間島はともかく、荻坂を捕まえようと矢知は六両目のドアに駆け寄った。
無人――窓から覗く車内に、彼は戸惑いを隠せない。
扉をこじ開け、中に入ろうとした時、電車の到着チャイムが鳴る。運行予定が無かろうが、電車の接近に合わせて警告音は自動的に流れる仕組みだ。
破壊された車両とは反対側、ホームの下り方面に、速度を殺した電車が入って来た。
ドアを開けたまま近付く電車、その意図を高木が察する。
「こっちが正しい、中央区行きはこちら側なのよ」
「さっきのは逆走か? じゃあ、荻坂は――」
「乗って、停止しないつもりよ!」
子供の駆け足ほどのスピードで動く車両へ、リーパーたちが乗り込んだ。
矢知の前を車両が横切る瞬間、浦橋を迎える男と視線が交錯する。
「荻坂ぁっ!」
ドアが閉められるギリギリのタイミングで、矢知も開いた乗車口へ飛び込んだ。
速度を上げ始めた六両目の車内で、次いで乗った仲間の顔ぶれを確かめた。
高木と潤はともかく、もう一人戦力になりそうもない人間が混じっている。
「……お前まで来なくていいだろうに」
「何……言ってんですか。こうなったら、最後まで……付き合います。大体ですね、ボクがいないと……」
フラフラの岩見津は、頭痛に顔を歪めて、途中で言葉を切った。
替わって高木が口を挟む。
「さっきの電車は、先遣隊でしょう。バリケードにぶつける気だと思います」
「しかし、向こうに残ってるのは運転手くらいだろ。リーパーはこっちへ乗ったようだし、全部で十人もいなさそうだった」
「車両を暴走されるより、リーパーが厄介。黒と黄色、まだ二人いる。彼らだけでも、十分な脅威になる」
「それを巻月が片付けたら、解決ってわけだ」
何やら考えていた潤は、自分に顔を向けた矢知たちに首を横へ振った。
「違う、さっきの地下鉄の先頭には、瀕死の発症者が満載されてた」
「そういや間島が乗ってるのに、特攻もおかしな話だな。どういうことだ?」
「分かんねえよ。でも、ジョルターをバリケードにぶつけたら……」
「まさか、脱出よりそっちが目的じゃねえだろうな」
潤の言いたいことは、皆の頭にも浮かぶ。
車両が衝突すれば、中の発症者たちはジョルトを発動させるだろう。
バリケードごと、車両と特事課を吹き飛ばすジョルターの爆弾だ。
封鎖線に穴が開けば成功、にしては派手に過ぎる。現場にいる特事ジョルターを一掃しよう、という狙いの方が自然だろうか。
ひたすら被害を増やし、騒動の拡大を目指しているようでもあり、薄ら寒い首謀者の意図が透けて見えた。
間島は素体として大事にされているかと思いきや、雲行きが怪しい。
彼女はもう用済み、特大の起爆剤に使うつもりなのでは。
「前の電車を止める。もっと速度を上げて、追いつかないと」
「飛び移るつもりか」
コクリと頷いた潤は、車両前方へと走り出す。
封鎖線への到着まで約五分。四人は決着をつけるため、荻坂のいる先頭車両へと急いだ。
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