10. 臨時チーム

「セキュリティゾーンを使おう。スタンバイモードへ」

「ゾーンを使っても、突破してくると思いますよ」

「だろうな。搬入口の監視カメラは見られないのか?」


 警備用の映像は一元化されているらしく、監視室には流せないと言う。

 病院棟でアクセスできるのは、またもや上階のみ、閉鎖区域の中だ。

 参照可能なのはセンサーの探知結果――その文字情報で、搬入口から侵入した場合は動体探知器が働く。

 今のところ、屋内まで人が入って来た報告は表示されていなかった。


「お前、名前は?」

岩見津いわみづです」


 監視員は首に掛けていたカードホルダーを掴み、矢知に見えるように向けた。

 岩見津俊哉しゅんや、病院棟Cクラス職員。名前の下に引かれた青線は、勤めて一年以内である印だ。


「新人か。元は医者か?」

「臨床検査技師です。ここに来てからは、雑用係扱いですけどね」


 岩見津が病院に勤務している時に、担ぎ込まれた患者が第二症例を発動させた。

 ジョルト現象の目撃者というわけで、研究所にスカウトされた者には多い経緯である。


「敵は遠慮無く撃ってくる連中らしい。ここに侵入してくれば、ロクでもない目に遭うのは分かるな?」

「まあ、そうでしょうね。抵抗はしませんけど」

「所長や上級研究員は、逃げたとしか思えん。切り捨てられたんだ」

「……つまり?」

「データも消したとなると、研究所は終わりだろ。大人しく捕まるのが得策か、よく考えてみろ」


 研究資料が無いと分かった敵は、素直に撤収するだろうか。手ぶらで帰るほど、甘くはないだろう。

 病院棟に関して言えば、開発された薬品のストックと、その使用目的を知る人材が残されている。


 何より、廊下を隔てた収容室には、これ以上無く貴重な生ける素体・・が、監視室の彼らを覗き込んでいた。

 潤と目が合った岩見津は、その不安げな視線から顔を逸らして反論する。


「新人のボクに、情報源の価値なんてありません。他にいくらでも適当な尋問相手がいるでしょうし――」

「俺が指名する」

「はあ?」

「巻月の――高次症例者の担当官はお前だと教えたら、向こうも躍起になるだろう」

「そんなのデタラメだ!」


 泡を食って抗議する声を無視して、矢知は眉一つ動かさず収容室への通話スピーカーの回線を繋いだ。

 潤へ状況を簡潔に説明した彼は、そのまま岩見津との会話が流れるようにスイッチを入れっぱなしにしておく。

 矢知の考えを測りかねて、潤も黙って成り行きに耳を澄ませた。


「やられっぱなしは、性に合わねえ。荻坂が何を計画しているのかも気になる。敵を一掃して、中央管理室の連中を締め上げるぞ」

「そりゃ、撃退できるに越したことはないですが、対策班が劣勢なんでしょ?」

俺たち・・・で反撃する。蛇でも毒虫でも、忌々しい症例者だって使ってやるさ。手伝え」


 収容室に向いた矢知を見て、ようやく岩見津も彼が何をする気か理解した。

 敵がジョルターだと言うなら、彼らこそもっと優秀な駒で対抗できる。

 同じく察した潤が口を挟む前に、若きデスクワーク派の職員が納得出来ないとまくし立てた。


「ボクに戦闘は無理です。自慢じゃないけど、体育は大の苦手だった。ロックは解除しますから、どうぞ二人で行ってください」

「誰もお前に戦えなんて言わねえよ。巻月が動けるように、薬を用意してやれ」

「薬? 治療薬ですか?」

促進アッパー系の試薬、今回も準備してるんだろ」


 発症者へ投与される薬には、大きく二系統が存在する。

 抑制ダウナー系は能力の発動を抑えることを目的としており、症例進行を食い止めて患者の延命を図るものだ。

 ジョルト能力を抑制し、注射等への反発を消すことも期待された。


 逆に促進アッパー系は、能力使用時の出血や、酷い頭痛を解消するために考えられた対処薬である。

 ジョルト発動後に感じる不快感が低減し、肉体へのダメージも少なくなる。

 能力増強を狙ったものではないが、結果として症例が進行してジョルトを多発させた例もあった。

 このため、“促進系”と名付けられたわけだ。


「確か、二次症例者に投与した時は、能力が暴走して負傷者が出たんでしょ。大丈夫なんですか?」

「さあな。だが、この男はどうも普通じゃない。上級職員がわざわざ警戒の網を張ったのも、ずっと引っ掛かってんだよ」

「しかしですねえ……」

「能力を自分でコントロールしてる節すらあった。そうだろ、巻月?」


 話を振られた潤は、戸惑いつつも自身が行った練習・・について説明する。

 意識を集中し衝撃波を生む実験を、公園で繰り返した。粘着液を払い除けた際は、意図して力を増大させもした、と。


「勝手にジョルトが発生したことはあったか?」

『アンタらに攻撃された時は、その度に衝撃波が出たな』

「反射発動は珍しくない。それ以外で暴発してないってのが、信じ難いんだ」


 キーボードの置かれた机の上を、岩見津が指でトントンと叩く。彼特有の思考ポーズだ。

 ジョルターを嫌う矢知は、一方で徹底したリアリストだとも職員には知られている。

 彼が「普通じゃない」と言うからには、潤には嫌悪感を抑えてでも利用したくなる何かがあるのだろう。

 だが、矢知のアイデアが妥当なものなのか、詳細に検討する時間的な余裕は無かった。


「そろそろ連中も入って来るぞ。俺は敵を足止めする。岩見津は巻月を連れて、処置準備室へ行け」

「……いいでしょう。上手く行かなかったら、恨みますよ」

「好きにしろ。恨まれるのは慣れてる」


 対策棟の副長を改めて呼び出した矢知は、無謀な攻勢に出ないよう厳命した上で、収容室の操作パネルに向かい合う。

 全ての収容室のロックを外し、その状態で固定すると、潤が二人への元へ進み出た。

 シャワーを浴びる時間は無かったが、用意された真新しいシャツに着替えている。


「俺に手伝うメリットがあるのかよ。そこまでアンタを信用してないぞ」

「手伝わない理由も無いだろ。間島は所長が連れ去った。追い掛けたいと思わないか?」

「なんだよ、それ。ここに居ないのか」

「訳が分からんのは、俺も一緒だ。俺は所長を追う、お前は間島を追う。当座はそれでどうだ?」


 誰が味方で、誰が敵なのか。潤が判断するには、余りにも材料に乏しい。

 そんな中、唯一敵ではないと断言できるのが有岐だった。

 火事に突っ込みながら、彼女を助けられなかったことが、心残りでないと言えば嘘になる。

 有岐を取り返す――まだ知り合って間も無かろうが、中途半端が嫌いな潤はその案に乗った。


「岩見津さん、だっけ。案内してくれ。頭痛が消えるのは嬉しいしな」

「一メートル、いや、二メートルは離れろよ。ホントに暴発しないんだろうな……」


 おっかなびっくりと、岩見津は搬入口とは逆方向へ潤を先導する。

 矢知は監視室の壁に固定されたガラスケースから小さな筒を一本取り出し、胸のポケットへ入れた。

 潤を眠らせたのとよく似た、スイッチ式の注射器である。


 部屋を出た彼は、歩み去る二人に背を向け、騒音の発生源へと足を運んだ。

 金属を切り裂く激しい回転音、敵の使っているのは燃料式のエンジンカッターだろう。

 商店のシャッターのように柔な防壁ではなかろうが、ダイヤモンドブレードならいつかは穴も空く。


 C収容室から外までの短い廊下には、三枚の仕切りが存在する。

 シャッターが下りた現在は、一枚増えて四重の壁だ。


 まず強化ガラスの自動ドア、こちらは緊急閉鎖の対象外で、壁に嵌め込まれた端末でロックを解除できた。

 次が丸窓の付いた両開きの中扉、更に奥には外へ繋がる搬入口の外扉が在る。どちらも閉鎖中であるため、矢知は中扉の小窓から様子を窺った。


 既に厚い外扉には直径一メートルほどの円が刻まれ、建物の内側へ火の粉が散っている。

 敵はもうシャッターを攻略し終わり、外扉も風前の灯だった。


 二枚の防壁をこのスピードで強引に突破できる装備なら、残る二枚も難無く破壊できそうだ。

 思ったよりも侵攻が早いが、搬入口からガラスドアまでの廊下は、セキュリティゾーンと呼ばれている。

 本来は収容者が外へ脱走するのを防ぐ仕掛けも、今回は敵を煩わせる防衛ゾーンとなろう。


 ガラス戸まで戻った矢知は、端末に向き合ってタッチパネルを操作していく。

 カメラも合図をくれる仲間もいないのなら、目視でトラップを起動するしかない。


 麻痺ガスの放出準備――OK。

 フロアの通電準備――OK。


 遮蔽スクリーンの投下スイッチと合わせ、三つのボタンが画面上に並んだ。

 程なくして、ゴンッと大きな衝突音と、その後に続く銅鑼の如き反響が外扉の破壊完了を告げる。

 矢知は中扉まで戻り、小窓に顔を寄せた。


 外扉にはぽっかりと穴が空き、くり抜かれた円盤がその前に転がる。ちょうどマンホールの蓋くらいの大きさだ。

 穴から細い棒が挿し込まれ、その先端が上下左右に首を振る。

 索敵用のファイバースコープで内部を調べ、人がいないのを確認すると、黒ずくめの男たちが素早く穴から潜り込んで来た。


 敵を視認した矢知は、ガラスドアの内側まで取って返す。

 遮光ゴーグルに、小型のガスマスク、銃は9ミリの自動拳銃かと思われた。

 ヘルメットや帽子は被っておらず、短く刈り揃えた黒髪がチラリと見える。日本人に思えたものの、決め付けるのは早計だろう。


 装備も動きも訓練された人間に間違いなく、軍隊やSATのそれだ。

 ゴーグルで閃光弾フラッシュバン、マスクで催涙弾へ対策しており、対策班が手こずっているのも仕方が無い。


 ――だけどな、セキュリティゾーンは、シャッターより手強いぞ。


 敵が中扉を抜ければ、矢知の姿は丸見えになる。ガラス扉に防弾性能が有るか怪しいため、それまでにトラップを発動した方がいい。

 ガリガリと進むカッターの歯は、もう円の四分の三ほどに達していた。

 穴が貫通した瞬間を起動の合図にすべく、彼は破壊される扉を睨む。


 ――巻月はまだか。遅くねえか?


 薬品準備室は、一般病室の近く、棟の反対側ではある。だが、同じ一階であり、岩見津の案内があれば五分と掛からず戻ってくると考えていた。

 大太鼓を思わせる異音を聞きつけて、彼が廊下を振り返った瞬間、中扉からも最終合図が届く。

 円いドアの残骸がフロアに落下して、けたたましい音を立てた。


「おらよっ」


 矢知の指が、三つのボタンを順に押さえて行く。

 遮蔽シールド――乳白色の滑らかなカーテンが、搬入口とガラス扉に挟まれた空間に、次々と天井から落下した。

 床に到達して余る長さのシールドが全部で三十二枚、お互いに重なり合いつつセキュリティゾーンを外部と区切る。

 完璧ではないが、簡易に密閉空間を作るためのものだ。


 シールド以外にも、エアカーテンが気流で壁を形成する。

 空間内にガスが噴射され、床には格子状に高圧電流が流された。

 建物内へ麻痺ガスが逆流するのを防ぐ仕組みは整っていたものの、万全を期すなら離れた方が賢明だ。

 十分に警戒し、監視室まで戻ろうと走り出した彼の背中を、強烈な衝撃波が襲った。

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