11. バックジョルター
矢知が敵の侵入を見守っていた頃、薬品準備室に入った岩見津は、ワゴンに載る薬品と格闘中だった。
一緒に部屋へ入ろうとした潤は、廊下で待っていろと同行を断固拒否されている。
一般病室エリアにいた担当職員は八人、皆が事務室に集まって、静かに閉鎖解除を待っていた。
下級職員ばかりで、岩見津よりも事情に疎い者しかおらず、促進剤についても管轄外だと言う。
研究内容は上階の人間が仕切っており、ジョルターに驚かないことを除けば、彼らの知識は一般病院の職員と大して変わりない。
患者の容態を観察し、上に報告するだけだ。
結局、職員たちには待機しておくように告げ、岩見津は一人で適切な薬を探す羽目になる。
用意された薬品アンプルが四本、試験管にゴム栓で封入されたものが六本。どれもラベルは無く、英数字の記したタグが巻いてあった。
クリップボードに挟まれた手書きの薬品一覧を読めば、それぞれの詳細が分かる。
但し、成分が判明しても、効果を岩見津が理解しているかは別だった。
準備室の端末を起動して、薬品番号を打ち込んでも、検索結果がヒットしない。
試薬の実験結果と今後の投与計画は、データベースごとちょうど消去されたところであった。
「これじゃ、どれを投与したらいいか分からないぞ」
「覚えてないのか?」
「抑制剤はIV、促進剤はIDから始まる薬だ。IDは三本在る」
「なら、それを使えばいいんだろ」
大別できても、個別のコードに見覚えが無いのだと、戸口に顔を出した潤へ岩見津が答える。
三本とも量は同じ、適切な投与順は不明。識別番号に規則性は無く、末尾にFが二つ、Hが一つ。
「おそらく、Hは開発されたばかりの新薬だろう。Fも、今まで扱ったことのない薬だ」
「じゃあFを……いや、三本とも使おう」
「全部!?」
実験体になる気はさらさら無いが、新薬ほど効果的とも考えられる。
潤は無謀にも三つの薬を、順番に試すことを考えた。
「一遍に打つわけじゃない。まずF、効かなきゃ、次の薬だ」
「キミがいいなら、それで構わないけど……」
岩見津は針の短い注射器を三本用意して、そこへ薬を移していく。
それぞれペン型注射器の胴にセットすると、サインペンで薬品番号を記し、潤に使い方を説明した。
「最新式のジェットインジェクターだ。スイッチを押せば針が飛び出して――」
「ブスリ、だろ。一回使ったよ」
「なら話が早い。一本はここで打って、残りは持って行こう」
潤を遠くに下がらせて、岩見津はワゴンごと薬を廊下に出す。
すかさず五メートルは離れたにも拘らず、潤が注射器に手を伸ばすと監視員は怯えた目を向けた。
「ビビり過ぎだ。えーっと、最初はこれか……」
案外痛いんだよな、と、顔を
その先を左腕に当てた状態で、今一度、彼は促進剤の効果を確認した。
「薬で急死した例はあった?」
「それを聞く前に、よく打つ気になったね。促進系は今のところ無いかな、ボクが知ってる範囲では」
「なら、迷うことはないじゃん」
「出血多量で昏倒したことはあったよ」
それでも、一時間後に容体は安定したらしい。
逆に抑制系を投薬した際、取り返しのつかない
死なないなら何とかなると、思い切って注射器のスイッチが握り込まれる。
「つっ……」
薬を体内に注入し、注射器を床に投げ捨てた潤は、その場に直立したまま
表情を窺おうと岩見津が首を左右に振っていると、潤は廊下の端に寄って壁に片手を突いた。
悪酔いしたような仕草に、心配する声が掛かる。
「おいキミ、気持ち悪いのか? 吐くなら事務室の前にトイレが――」
ドンッと壁を叩く衝撃が台詞の語尾を打ち消し、代わりに「ひぃっ」と悲鳴が続いた。
ジョルトを浴びたワゴンは岩見津の近くまで転がり、上に載っていた器材は床にぶち撒けられる。
岩見津自身も前から押されて、
潤の手があった場所を中心にして、壁には大きな円形の凹みが生じる。
塩化ビニルの壁紙は破れ、白い粉が廊下に舞った。内材の石膏ボードが砕けて、中から吹き出たものだ。
恐る恐る元の位置に戻った岩見津へ、振り向いたジョルターが口角を上げる。
潤は敵意の無い笑みを返したつもりだったが、彼はまた後ろへ下がりそうになった。
「スッキリした。何か体が重かったのが消えたよ。薬は疲れにも効くのかい?」
「い、いや、そんな効果は無いと思うけど……」
壁の破壊痕を指でなぞった潤は、今度は拳を作って軽く押し付けてみる。
ドドンッ――二重の衝撃で壁は更に凹みを深くした。
「やめ、やめてっ!」
「絶好調だ。行こうぜ」
不敵に笑う潤は、矢知のいる場所へと大股で歩き始める。
尻から転んでいた岩見津も慌てて立ち上がり、散乱する薬から未使用の促進剤を二本拾うと、彼の後を追った。
◇
来た廊下を急ぎ、二人が収容室の並ぶ直線に戻って来た時、セキュリティゾーンの爆発が起きた。
自分たちへダイブするように、吹き飛ばされた矢知が床を滑る。
「うわっ!」
「来るな! ガスが漏れてくる」
駆け寄ろうとした潤は、怒鳴り声で制された。
岩見津は危険を察知して、直ぐに監視室に向かい、二本の注射器を持ち出す。
一本を潤へ転がして渡し、もう一本を自分の
矢知も同様に、ポケットから解毒剤を取り出して腕に打ちつつ、潤も真似ろと床の注射器を顎で示す。
「また注射かよ」
「神経ガスだ。お前には効かんだろうがな」
喋っている間にも、二度三度と衝撃波が発生し、オレンジに着色された霧が彼らの方にも漂って来た。
神経ガスと言っても、命を奪うほど強い作用は無い。
手足が痺れ、少々息苦しくなるくらいだけだが、皮膚接触でも吸収される特性があった。
侵入者も小型ガスマスクでは完全に防げず、結果このジョルトの複合爆発を招く。
ガラスドアは割れて砕け、敵を遮る物は
いつ敵が姿を現わしても不思議でない状況の中、激しい衝撃の連打だけが空気を震わせる。
セキュリティゾーン――穴が空きはしたものの内外の扉に挟まれた空間で、敵はガスと高電圧パネルに翻弄されていた。
「岩見津、侵入者は何人だ!」
「三……四人です」
監視室のモニターへ振り向いた岩見津は、赤点を数えて教える。
セキュリティゾーンへのガス噴出は継続しているものの、電気供給にはエラー警告が点滅していた。
「通電障害です、電圧パネルは停止しそうだ」
「照明も消えたよ。ジョルトで潰しやがったな」
ガスも高圧電流も滞留型の対抗手段であり、一度の
そのせいで、何度も衝撃波が繰り返され、電気配線ごと壁や床は破壊された。
敵四人のジョルトは同時発生してお互いに干渉し、ガラスドアを粉砕する力にまで増幅している。
「仲間同士、狭い空間でジョルトを撃ち合ったんだ。連中も無傷じゃ済まないだろ」
「俺はどうしたらいい?」
戦闘のセオリーなど知らない潤が、素直に指示を乞う。
しかしながら、今の彼に技術も戦術も必要ではなかった。
「突っ込みゃいい。なんなら敵の武器を奪ってくれ」
「銃を持ってるんだろ?」
「いくらでも賭けてやる、お前に小銃なんて効きやしねえ。麻酔銃を思い出せ」
先ずは行動、ダメなら方法を変えて再チャレンジ。小難しい戦法よりは、潤の性格にも合致する。
これが岩見津なら猛反発したろうが、潤はコクリと頷くと中扉へと走った。
遮蔽シールドは軽い粘着性を持ち、本来なら短冊状のシートが重なって一つの大きな垂れ幕となる。
それが風圧に押されて捲れてしまっており、中扉の穴まで一気に駆け抜けられた。
腰を屈め、穴の縁に手を掛けて上体を潜らせると、物音に気付いた黒ずくめの一人が顔を向ける。
仲間に負傷者が出た彼らは一時退却を選び、外に通じる穴の前に集まっていた。
床板はボコボコに剥がれ、ショートした電流がそこら中で火花を吹き散らす。
セキュリティゾーンは凹凸だらけで、巨人が暴れ回ったかのような破壊ぶりだった。
銃口が潤へ向けられたのを見て、彼は衝撃波を放つべく右手を掲げる。
男が狙ったのは彼の脚、決して致命傷を意図した攻撃ではないが、どこを撃っても同じ結果になっただろう。
銃声に重ねてジョルトが敵を襲い、一人は穴から外へ、三人は壁に身体を強打させた。
彼らもジョルターである以上、攻撃を受けて衝撃波を発動させている。
だが、潤の放ったジョルトは二連、一つ目を相殺しても、更に強烈な二撃目をまともに食らうこととなった。
矢知が間近にいれば、首尾良く行ったとニヤついたに違いない。
粘着液を解除するのにスプレーを使うのは、敵が
潤はもっと
呻きながらも、黒い男たちは直ぐに立ち上がって撤退を図る。
その一人に狙いを定めた潤は、両手を広げて飛び掛かった。
芸の無い突撃を迎え討つべく、男は軸線をズラして左肘を突き出す。
カウンター気味の肘打ちが、潤の
この敵の選択は、最悪の一手だった。
バックジョルトを至近で浴び、男はライフルに撃ち抜かれたように、またもや壁に激突する。
男の肩からボクンと嫌な音がしたのを聞き、潤は顔を
ともあれ、体を二つに折って唸る男を残して、他の三人は外に脱出したようだ。
肩を脱臼した一人を武装解除して捕らえようと、潤が腰の拳銃を掴んだ瞬間、穴から缶が投げ込まれる。
音と光で敵を無力化する非致死性武器、
ジョルターには効果が薄くとも、反射で目を閉じさせるくらいは可能だ。
見えないままジョルトを応酬し合い、潤が再び目を開いた時には、セキュリティゾーンから敵の姿は消えていた。
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