09. 急襲
後衝撃の“切り離し”は、前兆現象ではないかというのが研究者の意見だった。
能力が進行すると力は増大し、遂には自分自身を空間の
第四を超え、最後は転移能力に至るという予想は、比較的愛想の良い研究者が口走った説で、その時の矢知は一笑に付した。
第五症例に関する話を聞いたのはその時のみ、以降、会議や報告会では第四症例が最終段階として扱われている。
間島有岐がバックジョルトではなく、転移を実現させたのなら、正真正銘の超能力者だ。
荻坂にとって
然しながら、拠点である研究所を蔑ろにするのは不自然だろう。
所長が他に頼れそうなのは、かつて所属した城浜医科大学か、東京に在るという国の研究機関くらいか。
医大ではジョルターの存在を知らない者がほとんどだろうし、東京は城浜のデータを元に運営される第二線級の機関だと聞いていた。
それに、と矢知は自らの考えを推し進める。
発症者が自己を完璧に制御できた例を、彼は知らない。だが潤はどうも勝手が違い、発見経緯にも疑義が残る。
所長の研究が、彼の知るよりずっと先へ進んでいたとしたら――。
「今、彼女もここにいるのか?」
黙り込む矢知へ、痺れを切らした潤が説明を求めた。
素直に答える気にもなれず、彼は追い払うようにシャワー室を指差す。
「間島はお前より元気だよ。その汚いツラ、まずは洗ってこい。傷も化膿するぞ」
「ああ、分かったよ……」
まだふらつく身体をベッドの端を掴んで支えながら、潤は両足を床に下ろす。
彼がシャワーを浴びに踏み出した瞬間、電子チャイムの繰り返しが部屋に響いた。
何かマズいことをしたのかと、彼は矢知へ振り向く。
「お前じゃない。警告チャイムだ」
「警告って……何の?」
監視室からの音声が、その問いに答えた。
『外周フェンスの通電が、三箇所で途切れました。侵入者の可能性があります』
「監視カメラは?」
『切断箇所のカメラも停止中です』
そりゃ侵入で確定だろうと、矢知はドアを開けるように要求する。
胡散臭さそうな視線を送る潤へ大人しく待つように言い付け、彼は監視室のモニターへと歩み寄った。
中央棟一階の警備室で監視されている情報の一部は、他の棟の端末でも共有される。
映像や音声は無くとも、各地の計器が送る異常発生の赤い点が、地図に重ねて光っていた。
「異常は外周だけか。ここに来るつもりなら、すぐに内周にも反応があるな」
「警備部が内周全域に散りました。交信を聞きますか?」
「ああ、頼む」
ゲートの設置された二重フェンス、この内側のフェンスには高圧電流が流されている。
人を死に至らしめる程の威力はないが、触れればちょっとしたスタンガン並のショックは受けるだろう。これが研究所を守る外周だ。
フェンスから斜面を上ると、八棟が建つ平らな敷地に辿り着く。
敷地の周りに障害物は存在しない替わりに、赤外線とレーザーのセンサー網が張られていた。こちらが内周である。
かつて警告チャイムが鳴ったのは、演習以外では二年前の台風の時だけだ。
風で飛んだ倒木がぶつかって、外周フェンスが破損したのに警報が反応した。
今回は南に在るゲートを避けるように、北、東、西の三方向で異常が発生しており、人為的な工作としか考えられない。
『――四番、位置に就きました』
『二番、内周到着、異状ありません』
出動した警備員は全部で十名、中央棟に残った二名と合わせても、元々十二名と少人数の部署である。
広大な敷地を守るには甚だ心許なく、防衛線と呼べるようなものは築けまい。
「対策棟に繋いでくれ」
「はい……どうぞ」
矢知の呼び掛けに、向こうでも通信室でモニターを見ていた副長が応じた。
「全員、拘束具を持って出動準備だ」
『もう済ませました。ガレージに集合しています』
「よし。一班が北、二班は東、三班は西へ移動して、内周に沿って展開しろ。残りは対策棟で待機、俺も通信室へ行く」
『了解』
対策班の装備なら、対象の拘束はお手の物だ。
これで三十人近い増援が図れ、センサーの反応に合わせて現場に急行させられる。
施設の性格上、侵入者が単なる物盗りである可能性は低い。
研究データの奪取が最も有り得る線で、企業スパイ、他国の工作員などが考えられた。
二人組が三方向で六人、または三人チームが三つで九人といったところか。
矢知が対策棟へ急ごうと廊下に出た瞬間、監視員がモニターに映った光点に大声を出した。
「多い、点だらけだ!」
「何人だ?」
踵を返した矢知は、画面にかぶりつく。
地図に光る点が多く、感知ログのカウント回数を見た方が早い。
一方向につき八人、全部で二十四人が一斉に内周を侵していた。
聞き覚えの無いベル音が、全スピーカーから響き渡る。
火災報知器のような喧騒と共に、モニターには赤字の通告が表示された。
“機密保持のため、緊急閉鎖します”
「なんだそりゃ?」
ゴーッと鳴る低音の震動が、監視室にも伝わってくる。
この音なら、矢知にも心当たりがあった。棟の入り口を閉めるシャッターの響きだ。
しかし、震動は全方位から聞こえており、閉鎖は扉だけに留まらなかった。
廊下へ飛び出して走る矢知の周りで、次々と窓にもシャッターが下りていく。
玄関に駆け寄った時には、スチールの防護壁がドアを封鎖した後だった。
扉のコントロールパネルを叩いてみても、操作不可の表示が点滅するだけで無為に終わる。
元より、ガラスの自動ドアを開けたところで、シャッターを上げられなければ外に出られはしない。
ドアを拳で殴りつけた彼は、また監視室へ全力で走る。
「俺まで閉じ込めてどうする気だ。さっさと解除しろ!」
「ここの端末では権限不足です」
「どこなら出来る?」
「中央管理室なら。そこから発令したようです」
二人の会話に割り込んで、対策棟から連絡が入った。
『敵は多数、武装しています。後退しながら、交戦中!』
「
『え? 建物には異状無し。ああっ、二班に負傷者が三名出ました!』
「対策棟まで退いて、建物内から反撃しろ。敵の武器種は?」
『短銃です。粘着液の剥離スプレーまで持ってます。いや、ちょっと待って――』
各班からの通信を受け、後ろで喧々と言い合う声が小さく聞こえる。
銃持ちなら面倒ではあるが、ネットランチャーや麻酔銃の効かない相手でもない。
苦戦しているとすると、余程訓練された工作員なのか、防御装備が優秀かだろう。
粘着液の存在まで知っているのは、事前にこの施設を調べ上げたということか。
矢知の推測はほぼ正解ではあるものの、副長の報告は更に予想の上を行った。
『ジョルターです。侵入者はジョルトを使ってる!』
「はあ? そんな馬鹿な……」
ジョルターに対抗してこその対策班とは言え、人数が多過ぎる。
まして敵意を持って向かってくるとなると、厄介この上なかった。
監視員に施設状況図を映させた矢知は、緊急閉鎖の影響を確認する。
赤いラインが引かれたのが閉鎖部分で、中央棟、研究棟、病院棟、分析棟が対象となっていた。上級権限者が出入りする、所謂、研究四棟である。
出入り口、窓に加えて、各階へのセキュリティドアも閉鎖対象だった。
中央管理室へ回線を繋ぎ、せめて病院棟の閉鎖を解かせようとしたが、監視員は首を横に振る。
緊急閉鎖と同時に、外部から管理室への接続は拒否される仕組みらしい。
「全回線を閉じてるのか?」
「いえ、上級回線は通じてます」
「上級ってことは――」
「ここだと三階ですね」
「馬鹿か、そこへ入れねえんだよ」
警察に救援要請することが頭に過ぎった矢知だったが、この最終手段も却下された。
電話回線は不通、携帯も圏外だと、監視員は自分の個人端末を見せて示す。
各棟を直接繋ぐ光ファイバー線による内線が、現在唯一の通信手段だった。
けたたましかった警報ベルの音が止み、一瞬の静寂が訪れたが、直ぐにジジジと蝉の声を増幅させたような不快音が取って代わる。
音の出所は緊急搬入口、潤を運び入れた場所で、監視室にも近い。
何が起きているのかを、佐々井が再び報告した。
『対策棟から反撃中です。相手はプロのようで、打って出る余裕がありません』
「副長はどうした?」
『副長以下、第三、四班は開発棟に閉じ込められたようです。ここは私が指揮を執っています』
「こっちの負傷者の数は?」
『六人、うち二人は重傷。敵の過半数は、他の棟に向かいました。中央棟のシャッターをこじ開けるつもりだ』
「こっちにも来てる。やはり狙いは研究資料だろう」
対策棟の前に陣取る敵は、十人に満たないと言う。
本気で攻める気は無く、対策班を釘付けに出来れば充分と考えているらしい。その人数で拮抗しているのだから、敵の強さも推し量れよう。
手詰まり気味の状況に、矢知は監視コンソールへ八つ当たりした。
「ちょっと! 精密機器なんです、叩かないでください」
「中央管理室の連中は、ボンクラ揃いか。シャッターで閉じようが、突入されるのを待ってるだけじゃないか」
「多分……時間稼ぎですかねえ」
「稼いでどうする?」
「データの処分ですよ。研究四棟の電子資料を、抹消するつもりなんじゃ」
監視員にしても下級権限者であり、三階へ立ち入った経験は無い。
おそらく、という不確かな推理ではあるものの、彼は話を続ける。
「極秘資料は、紙にはしていないはず。データを消せば、欲しかった敵には大ダメージでしょう」
「デリート命令で、すぐ消えないのか?」
「単に消去しただけじゃ、復元されてしまう。物理的に破壊するか、偽データで上書きするか……」
「どれくらい掛かるもんなんだ?」
「そりゃ、データの量に拠ります。二、三十分くらいですかね。判断材料が無いし分からないな」
管理室の優先事項は機密の保持、そのために緊急閉鎖を実施した。そのこと自体は、如何にも荻坂が指示を出していそうな方針だ。
但し、所長が不在の今、それをスムーズに行えた点に引っ掛かる。
荻坂はこの急襲も予見していたのではないか、矢知にはそう思えて仕方なかった。
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