第二章 次世代医療研究所

08. 次世代医療研究所

 厳重な二重ゲートを越して最初の建物、通常ならこの病院棟の前に車を付け、対象者を伴って正面玄関から歩いて中に入る。

 第三症例者を搬入するのは正面ではなく、専用ケージに直結する側面の別口だった。


 中に設けられたのは、強化アクリルの分厚い三重壁に囲まれた、立方体の部屋。

 三分の一は風呂とトイレで、居住空間とは不透明の壁で仕切られている。


 机にソファー、ベッドに棚と、一応の家具が揃っているものの、廊下に面した壁は透明で、プライバシーは存在しない。

 扉は金属製のスライド式、これが三枚連なり、外側のみにロック解除の操作盤が在る。

 囚人より待遇がいいとは、決して言えないだろう。

 こんな部屋がABCと三つ並び、万一の高次症例者収容に備えられていた。


 車から拘束ベッドごと降ろされた潤を、隊員たちが押して運ぶ。

 ベッドに付属する折り畳み式のキャスターも、太いゴムタイヤ八輪をショックアブソーバが支える大層な代物だ。


 Bの部屋の前に立った矢知が、八桁の暗証番号を押して全てのドアを開いていく。

 部屋の中央にベッドを入れると、彼らは拘束金具を外しただけで直ぐにケージから退去した。


 プレシバリングは部屋の外からも判別できる程で、目が覚めるのも時間の問題だと思われる。

 暫く眠る潤を眺めていた矢知は、Aの部屋の照明が落とされていることをいぶかしんだ。

 廊下を挟んでケージの向かい側、計測器の積み重ねられる観察室へ振り返り、病院棟の職員へ訝しく問う。


「間島は寝ているのか? 消灯はしない規則だろう」

「患者は搬出されました。三十分くらい前に、所長が直接来られて」

「荻坂所長が? どこへだ」


 職員は教えられていないと、首を横に振った。

 研究所は、極端なトップダウンで運営されている。自分の仕事以外には関心を持たないルールであり、矢知の対策部はこれでも権限の強い横断的な部所だ。


 情報が欲しいなら、自分が動いた方が早い。

 部下には装備の点検を命じ、矢知は比較的情報の集まる中央棟へ出向くことにした。


 対策棟へ帰る輸送車に途中まで同乗し、その名の通り敷地の真ん中に位置する中央棟の玄関前で降ろしてもらう。

 掌紋認証のドアを抜け、入って右手が中央管理室である。

 役所のような窓口に向かって、彼は中の職員を呼び付けた。


「所長が戻って来たそうだが?」

「……六時二十二分に入所記録がありますね。二十分後にゲートを出ています」

 入れ替わりになったのは偶然なのだろうが、彼の不在を狙ったタイミングにも感じる。

「行き先は?」

「分かりません。研究棟の職員十八人が同行したようです」

「十八? 多いな。他の責任者はいないのか? 研究主任でもいい」

「研究四棟の上級権限者は、全員出払っています」

「おいおい……」


 施設の各棟は三階建てで、一部には地下階も在る。

 中央棟や研究棟などの地下階と三階には、上級権限者――主任クラス以上の地位に就く者でないと入れない。


 矢知は部長とは言え、あくまで非研究職であり、研究四棟の上級エリアへ進入する権限は与えられていなかった。

 実質的に施設の一部が閉鎖されたようなものであり、発症者が頻出した翌日の対応としては奇異に映る。


 職員に片手を挙げて外に出た矢知は、対策棟には向かわず、来た道を逆戻りした。

 この急な動きは、当初から予定されたものだろうか――疑問の答えを出すのは難しい。

 所長本人、または側近にあたる上級研究員くらいしか知り得ないことだ。


 検診・・が発症を誘発すると知っていたとしたら、どこまでが荻坂の計画なのか。

 所長はなぜ、間島有岐を連れ出したのか。


 火災現場で発見された間島は、総合病院に搬送された。

 意識を失っていながらも、脈拍、体温、脳波、何れも正常で、目立つ外傷は無し。

 血液検査の際に注射器を弾き飛ばしたため、ジョルターとして研究所へ連れてこられる。


 総合病院には研究所の人間も入っており、協力者も多い。

 搬送や、隠蔽工作を担当したのは矢知たちではなく、病院にいた職員だ。

 対策班で全てをカバーするのは不可能で、昨夜はこうした外部職員がフル活動した。


 他に三人、初期震動の段階で倒れた学生がいたが、こちらは病院へ運んだ数時間後に死亡している。

 目撃者の口封じも研究所の仕事だが、ジョルト現象が市内の病院で頻発するようになると変死事件として話題になりかねない。

 噂を抑えるにも限度があるだろう。


 矢知が懸念するのは、パニックよりも、第四症例者の発生だ。

 衝撃切断ハッシュジョルトは無差別の通り魔と変わりがなく、もしそんな症例者が現れた場合、市民に危険が周知されていなければ被害が拡大してしまう。


 ――ジョルターの存在を隠すのも、ここらが潮時ではないのか。


 各棟は舗装道路で結ばれていて、本来はその脇にレンガ敷きの歩道もあった。

 この歩道は手入れがロクにされておらず、目地から雑草が吹き出ている。

 矢知はアスファルトの真ん中を歩きつつ、荻坂の狙いを考えた。


 ――無駄なことは、雑草駆除すら厭う男だ。全部が計画通りだとするなら、間島こそが欲しかった発症者か……。


 病院棟に今度は正面から入り、二度のセキュリティチェックを経て重発症者収容室、要はケージへと進む。

 B室の前には、治療器具を載せたワゴンが届いていた。

 計器を睨む監視員へ、矢知は様子を尋ねる。


「発作も出血も完全に治まるとは、どういう野郎なんだ。起きそうか?」

「さっき、手が動きました。そろそろですね」

「あのワゴンは?」

「左腕を怪我しているようなので、その治療用です。本人が希望したら、ですが」

「俺が運ぼう。扉を開けてくれ」


 出来るだけ中に入りたくない監視員は、その申し出をありがたく受け入れた。

 ケージに設置された監視カメラや各種センサーは、小型のものばかりで、そう目立ってはいない。


 特徴的なのは、蜂の巣のように丸い通風孔が空いた天井だ。

 もちろん換気が主目的ではあるが、もう一つ大きな役割を持っている。

 緊急時には、これらの穴から即効性の麻痺ガスが噴出するのだ。


 仮に衝撃切断を浴びれば、強化アクリルの壁も保たないだろうというのが、矢知の予想である。

 それでもガスが密閉空間に充満すれば、ジョルトで散らすことは不可能で、短時間で対象を鎮圧出来よう。


 起きた潤が暴れだしたら、自分ごと麻痺させろと告げ、矢知はケージの中へと治療ワゴンを押して進んだ。

 拘束ベッドの傍らに丸椅子を寄せ、腰を下ろした彼は、扉を再ロックするように監視員に指示を出す。


 矢知には潤に確認したいことがあり、このまま目覚めまで待つつもりだった。

 監視員を通じて対策棟にいる部下に自分の居場所を連絡し、この午後の仕事を命じ終わった時、ううっと小さな呻きが聞こえる。

 意識を取り戻した潤は肘を立てて上体を起こし、少しの間、黙って中空を見つめていた。


 矢知も無言で、彼の方から言葉を発するのを待つ。

 おもむろに横へ顔を向けた潤は、案外にしっかりとした口調で質問した。


「ここは?」

「研究所の収容室、一応、城浜市内だ」


 部屋を見回す青年へ、手早く知るべきことが説明される。

 シャワーとトイレ、消毒液と保護パッドの使い方、音声は外部でモニターしていること。

 清潔な着替えはフロアに置かれた籠の中で、シャツは血と泥で汚れたままだ。

 左手首に巻かれた真紅のビニールタグが、唯一の変化だった。


「治療もセルフサービスかよ。アンタの言う感染症の治療は誰がするんだ?」

「試薬も自分で打ってもらう。経過を見ながら何本も試すが、最初は――」


 監視室を振り返った矢知に、職員は手で罰印を作った。

 薬そのものは準備済みだが、主任級が不在という状況では治療計画も立てられないらしい。

『所長が戻り次第、投薬を開始します』と、壁のスピーカーから声が流れる。


「鎮痛剤は用意してある。痛みが耐えられなくなったら使え」

「……痛くなるのか?」


 ここで初めて、矢知は言葉に迷う素振りを見せた。

 彼の問いへ答えるより先に、症例について簡潔な解説がされる。

 初期震動から前衝動、さらに後衝動を起こす第三症例、これが潤の現状だ。


「通常は症例が進むほどジョルトが頻発して、出血も増える。最後は昏睡して脳機能が停止するが、その直前に酷く痛むようだ」

「ちょっと待ってくれ。それじゃ死ぬのが既定路線みたいに聞こえるぞ」

「残念ながら致死率は百パーセント、今のところはな」


 絶句する潤に構わず、矢知の話は続く。


「ただ、お前みたいにバックジョルトを起こしたくせに、平然と回復している奴は初めて見た。今は痛みもないんだろ?」

「あ、ああ……そうみたいだ」

「何かとレアケースなんだよ。治療薬を開発しているのは嘘じゃない。発作も少しは抑えられるだろうし、今日明日に死ぬって話でもないだろう」


 そう言われても、潤の表情は晴れない。

 ただ、本来無愛想な矢知が珍しく気遣って喋ったのは、多少なりとも死に逝く難病患者を慮ったからだった。

 潤はまだ自分の“能力”について話したがったものの、矢知の本題は違う。

 強引に話を切り上げた彼は、火災時の様子に関して問い質した。


「火事の時のことを話せ。間島有岐は見たか?」

「そうだ、彼女はどうなった? 怪我は?」

「自分より間島の心配とはな。恋人なのか?」

「いや、違うけど……部屋に助けに行ったんだ。そしたら吹き飛ばされて、いつの間にか消えてたんだよ」


 矢知は彼の目を捉えたまま、顎に手を当てて、潤の証言の意味を考える。

 事実関係を確認するため、二つ端的な質問がされた。


 潤が最後に有岐を見たのはどこか――彼女の自室である。

 彼女は衝撃波を発動させたのか――今思い返せば、イエス。壁に叩き付けられるほどの、強烈な力を受けた。


「お前も巻き添えを食ったのかもしれん。間島について少し分かってきた」

「彼女が何だって言うんだ」

「間島はジョルター、それも高次発症者だ。第二症例と思ったのは、間違いだった」

「もっと進行してる?」


 矢知は小さく首肯する。

 荻坂が彼女を連れ出した理由が、いくらかこれで推測できた。


「間島が倒れてたのは、コーポの裏側だそうだ。自室じゃない。火傷は軽く、命に別条はなかったよ」

「裏側って……外か?」

「俺たちより先に、病院の連中が彼女を発見して、研究所へ連れてきた。報告が正しければ、外の焼けた瓦礫の上で寝ていたらしい」


 潤が理解に苦しむのも当然で、矢知にしろ俄かには信じ難い。

 いい加減な報告を書きやがってと、憤ったくらいだ。

 だが、研究者には心当たりのある事象だったのだろう。


 物理法則を無視して移動する能力。

 彼女は、机上の予想に過ぎなかった第五症例の発症者だと考えられた。

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