寸話 ねじ巻き時計/夕暮れに/庭

ねじ巻き時計


 ねじ巻き時計は魔法の時計で、「ねじ巻き時計の魔法がかかった時計」が動いている間は動かない。それで、「ねじ巻き時計の魔法のかかった時計」は、ねじを巻くのを忘れなければ、絶対に止まらない。ねじ巻き時計は、悪魔が作った時計だから、人の寿命で動いている。だから、ねじを巻くのをサボった奴は、ねじ巻き時計に殺される――

 おじちゃんは、そこまで語って俺にニヤリと笑って見せた。けど、ちょっと今回はホラ話が雑すぎる、特に後半。だからおじちゃんにそういってやった。するとおじちゃんは、誤魔化すみたいに、時計を巻くための儀式を教えてくれた。深夜零時に毎日呪文を唱えるんだと。ますます子供だましだ。

 ところで、おじちゃんの家のトイレには壊れた壁掛け時計が掛かっている。壊れているというか、止まってる。

 あるとき、近所でぶらついていたら、猛烈な便意に襲われたもんで、おじちゃんの家に駆け込んで、トイレを借りた。そのとき、間の悪いことにねじ巻き時計の話が浮かんで、トイレの時計から目が離せなくなった。そもそもなんでおじちゃんは、止まった時計を、埃を被るまで掛けっぱにしてんだ。この時計が動いているのを俺は見たことがない。

 考えていると、怖くなってきて、心臓がバクバク言い始めた。そして、心臓のバクバクに混じって、時計のカチコチが遠くから聞こえてきた。俺の目の前で、ずっと止まっていた時計の針が、ビクンと震えて、カチコチに合わせて回り始めた――マジかよ。俺はマッハでトイレを飛び出し、ダッシュで家に帰った。その夜は、頭からそのシーンが離れず、夢中でいつか教わった、時計を巻く呪文を唱えていた。よく覚えてたもんだ。

 その後、おじちゃんはもちろん普通に生きてるし、トイレの時計は、止まってたのが信じられないほど正確に動いているけど、俺はやっぱりまだあの時計が怖い。


***


夕暮れに


 某さんの故郷の河川敷に、初老の私がだらしなく座って空を見ていた。空はうすむらさき色だった。辺りは見渡すばかりのたんぽぽ畑だ。かの名句ではないが、私の左手には月が、今にも落ちそうに懸かっており、右手では赤い日が沈むまいと濡れていた。

 先ほどからこれらを眺めていたのだが、景色は一向に変わる気配がない。それで私もこれが夢だと合点がいった。空から目を離した途端、月も日も飛び去り、場面は夜になってしまうだろうと思われた。それも癪なので飽きてからのちもしばらく空を見続けていた。

 遠くから音のするのを訝っていると、巨人のようなダンプカーが現れた。真っ黄色のそれが、排ガスと砂ぼこりと騒音とをまき散らしながら、私の目の前でたんぽぽを根こそぎにしていく。呆気に取られてそれを見ていた。

 場面は暗転する。目が慣れると、日はすっかり沈み、月が高く出ていた。先ほど根こそぎになったたんぽぽは再び黄色に光っていた。頭上の月が川面に落ちて、鐘のような音をたてた。辺りはたいそう明るくなって、たんぽぽの綿毛が光りながら散ってゆく――

 それは綺麗な光景だったろうが、この辺りで目が覚めた。それにしても、たんぽぽでなければ、ああはなるまいに。


***



 私がまだ幼かった頃住んでいた大きな家には、広い庭が二つあった。一つにはベンチとブランコがついていて、私の遊び場だった。もう一つの庭は、台所の木の扉の向こうにあった。その扉には、重たい閂がかかっている。私や父親がそちらの庭に入るのは固く禁止されていた。一度か二度、お母さんとお姉さんが庭に出るとき、扉の向こう側を見たことがある。中庭であるはずなのに不自然なほど明るかった。虹色の花がちらりと見えた。

 あるとき、お母さんが閂をかけ忘れていたので、その庭に忍び込んだ。息が詰まるほどに芳香が立ち込めており、くらくらした。奥に、色とりどりの花が咲いていた。あまりに鮮烈な色をしているので、気後れがしたが、その花を一つ摘んでみた。

 すると、ちぎれた花の茎から青黒い汁がしたたり落ちて、宝石のようだった花びらから色が抜けてしまった。花の汁は苦く、それに触れた私の指はじくじくと熱をもって膿んだ。どこからか、ネオンの羽の虫の群れが飛んできて、私を包み込んだ。そこで意識を失った。


 私は一週間寝込んで、終始うなされていたらしい。その後、すぐに引っ越した。お母さんとお姉さんはいなくなっていて、お父さんはあの花が何だったのか、遂に教えてくれなかった。

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