15.マルタ包囲戦と火縄銃

 マルタ包囲戦(1565年)は、ヨーロッパ地中海にあるマルタ島で起こった戦です。

 中東から進出後、圧倒的な大兵力でヨーロッパを席巻し続けてきた、オスマン帝国。対する、ヨーロッパ勢は敗北を重ねていましたが、マルタ騎士団がついにこの年、勝利。西欧諸国の反撃の第一歩目となった、記念すべき戦いでした。


 遠征してきたオスマン帝国の兵数が48000人だったのに対し、マルタ騎士団は6000人程度。

 当時のマルタ島は強力な城塞都市であったとはいえ、籠城の末、数倍の兵数差をひっくり返した、マルタ騎士団の大金星といえる戦いでしたが他にも見どころがあります。


 長い中世(5世紀~15世紀)を終え、近世に入った頃の争いということで、剣や弓矢とは一味違う、特徴的な武器が投入されていたのです。


 今回はその中から2つ、どちらも『火』を使った武器をご紹介したいと思います。



●エントリーナンバー1 ファイアーフープ(仮)

 日本語での資料が手に入らなかったため、仮称としておきます。

 この武器は、その名の通り【火の輪】といえるものでした。

 金属製の芯に可燃性の物を巻きつけ、点火。坂の上から並べて一斉に転がします。

 燃えさかる輪は、坂を上ろうとしてきたオスマン兵に衝突。人体発火するという寸法です。


 日本でも山城に立て籠もった際には、煮え湯や、油、石などをぶつけて敵兵を追い払っていましたが、マルタ騎士団は火も併用して城に、敵を近づけないようにしていたわけですね。



●エントリーナンバー2 火縄銃

 火縄銃といえば、長篠の戦(1575年)に代表されるように日本でも同頃に活躍していましたが、家元のヨーロッパでも盛んに利用されていました。


 皆さんは【火縄銃】と聞いて、どんな運用法が思い浮かびますか?

 『遠距離から一方的に狙い撃ちさ!』

 こんな感じ? それとも日本史通の方は、

 『火縄銃は音が威嚇になるんだよ。馬が大ビビりするんだ!』

 と、答えたかも。

 それも正解。でも、本家ヨーロッパの火縄銃運用術は、一味違います。


 マルタ包囲戦は前述のとおり、城塞都市に立てこもる籠城戦です。

 攻城兵器を使って、城壁に穴をあけたオスマン兵たちが一度、城内になだれ込んだら、少数のマルタ騎士団は一巻の終わり。対応しきれません。

 そこで、まず長槍隊がけん制して、侵入を阻みます。

 日本流でいえば、『槍衾』ということになるのでしょうが――敵をしとめる必要はないので、とにかく隙間なく槍を並べて突き、敵を足止めします。


 そして、槍兵のちょいと後ろから悠々と現れる、我らが【火縄銃】。

 ズドンと一発、オスマン兵にかまします。


 当時の火縄銃の飛距離は500~700m程度。長距離を飛ぶ弾の勢いはすさまじいわけで、そんな高速で向かう鉄の塊が至近距離から人を射抜いたら、どれほどの威力になるでしょう? (※1)

 鉄の鎧なんか着ていても、余裕で貫通! 食らったオスマン兵は、即死か、そうでないにしろ戦闘不能になるに違いありません。


 怪我をしてのたうち回る仲間は、むしろオスマン兵にとっては城への侵入路を塞ぐ障壁、足手まとい。そうやって槍と火縄銃の連携で時間稼ぎをしている間に、破られた壁を修復するというのが、籠城するマルタ騎士団がとった戦術でした。

 圧倒的な破壊力をもつ火縄銃は、遠距離戦でももちろん頼りになるのですが、近距離戦でも相手の防御力を無効化する兵器として、とっても有効だったのです。


 しかも、槍と連携すると、火縄銃の弱点の1つである『撃つまでに時間がかかる』問題も解決できます。

 熟練者でも火縄銃に弾込めをして発射するまで、15秒はかかったとか。ですが、その射手が無防備になる時間は、槍隊が体を張って時間稼ぎしてくれます。


 フィクション作中だと、射撃兵器は接近すれば無効化できる! なんてこともありますが、ところがどっこい、火縄銃はそんなに甘くない!

 しかも、敵の侵入路は一か所ですから、十字砲火さながらにあらゆる方向から侵入者を狙い撃ちできる――運用法や連携によっては、火縄銃は近距離でもハイパーなキリングマシンになることは肝に銘じておくべきでしょう。(※2)


 さて、今回の運用法はヨーロッパ地中海のマルタ島でのものでしたが、日本ではどうだったのでしょうか?

 ここまで組織だった連携が行われていたかは不明ですが、江戸時期初期に成立した『雑兵物語』に興味深い描写があります。


 『雑兵物語』とはいわば教本で、一人の雑兵の立場から戦国時代の戦いの様子がリアルに描かれている読み物です。こちらの一節に、『目の前で、主人が敵と刀同士の取っ組み合いをしていたので、自分が火縄銃を撃って敵にとどめを刺しました』という記述がありました。

 ヨーロッパと同様に日本でも、接近戦の決め手としてある程度、機能していたことがわかります。


 そういえば先日、【長篠の戦い】を描いた、屏風の下絵が見つかったそうで。

 しかも、我々が思い浮かべているような『信長家軍が一方的に、武田軍を叩いている』絵ではなく、『馬防柵を乗り越えた武田軍と信長軍たちが、斬り合いの大乱闘を演じている』構図だったとか。

 もし、屏風の下絵での描写ほうが実情に近いのだったとしたら、案外、【長篠の戦】でも接近戦で猛威を振るう、火縄銃の活躍があったのかもしれませんね。



(※1) 飛距離は500~700mですが、有効射程距離は100m程度だったとのこと。


(※2) 日本でも戦国時代後期の城には、枡形虎口といわれる施設が登場。城に侵入しようとする敵兵を、扉の手前の一か所に集め、四方から火縄銃で狙撃できるようになっていた。出入口を狭めて、四方から狙い撃ちするのは、火縄銃の運用法としてとても有効。

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