◆2020年度 前半◆
13.『敗軍の将は兵を語らず』の真実
イソップ物語の一つに『北風と太陽』という話があります。
太陽と北風が、どちらか優れているか、力比べをすることにした。
【先に、旅人のコートを脱がせた方が勝ち】というお題で勝負し、北風はさっそく大風を起こし、旅人のコートを吹き飛ばしてしまおうとした。
だが、北風が強くなるほど旅人は寒さを嫌って、コートをしっかりと抑えてしまったため、うまく脱がせられない。
一方、太陽はさんさんと輝いて、辺りを温かく照らした。
すると、少し時間はかかったけど、旅人は強制もされていないのに、暑熱に耐えられず、コートを脱いでしまった。
物事を、力づくで解決しようとしてもだめだ。
太陽のような、温かな姿勢で人に接するのが理想。じっくりと物事に取り組むことが大切なのだ。
そんな教訓を、我々に教えてくれる作品として、おなじみですが……
実は、このくだり、原作の後半戦なんですよ。
原本だと、この前に北風と太陽は、もう一勝負しています。
コートではなく、【どちらが先に、旅人の帽子を脱がせられるか】という内容で、こちらでは、北風が思惑通り、帽子を吹き飛ばすことに成功。
つまり、北風と太陽の対決は、1勝1敗のイーブン。
北風と太陽、どちらか一方の手法が優れているかということではなく、時と場合によって、方法を適切に使い分けるのが大事なのだ。
と、失われたストーリーも踏まえて考察すると、まったく違う教訓を示している物語であることがわかります。
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このように昔から伝えられてきた逸話は、たびたび話の一部が欠落し、意味合い自体も変わってしまうことがあります。
今回のテーマになっている、『敗軍の将は兵を語らず』もその1つ。
現代では、【敗者は、何も語る資格はない】などと解される言い回しですが、その発祥は中国の故事に由来します。
紀元前206年、後の漢帝国皇帝となる劉邦に仕えていた将軍・韓信は、『井陘の戦い(いけいのたたかい)』で勝利。名参謀と噂されていた敵国の、李左車を生け捕ることに成功します。(※1)(※2)
しかし、まだまだ戦いは続く。
だからより多く賢人から、情報を得たい。
そう考えた韓信は、捕らえた李左車を先生と呼び、この後、どのように進軍すればいいか教えを請います。
この時の李左車が口にした返事が、『敗軍の将は兵を語らず』でした。
捕虜になったからといって、元の主君を裏切り、助言をするわけにはいかない。とでも、考えたのでしょうか?
負けた自分にはその資格はないと、李左車は策を出すことを拒みます。
でも、韓信はさらに食い下がります。
彼は知っていました。井陘の戦いに先立って、李左車は、主君に奇襲策を進言していたのです。その計画は見事なもので、もし採用されていれば韓信が負けていてもおかしくないものでした。
韓信は、『あなたの作戦が採用されていれば、立場は逆だったろう』と説得を続け、根負けをした李左車は、いくつかの策を韓信に伝えます。
それは、
・韓信が率いる兵は疲れているから、今は戦わずに休ませるべき。
・今回、少数の兵で勝った韓信の武名は、中国全土に轟いている。故に、相手は恐れ、自分からは攻めてこない。
・だから、安心して内政に努めよ。戦没者や、今回取った国土に施しを行うべし。
・その上で、進軍を再開し、利を説けば、相手は戦わずに降参するだろう。
・まず、燕を攻めて、次に斉を攻めるのがいいよ。(※3)
と、かなり具体的なもの。
その方針の通り、韓信が行動すると、策は見事に的中!
自軍をほとんど損なわず、燕を屈服させることができました。
………
以上が、『敗軍の将は兵を語らず』の語源となった、井陘の戦いのあらましですが、『~兵を語らず』の慣用句から受ける印象とは、大きく違ったのではないでしょうか?
確かに、李左車は負けたら語る資格はないという趣旨で、言葉を用いています。
しかし、勝者である韓信は、李左車の発言を禁じるどころかアドバイスを求め続け、それによって後の成功を得ています。
言い換えれば、『勝者は、敗者の言葉に耳を傾ける度量がなければならない』といえますし、『まず韓信が貶めずにもてなしたからこそ、李左車は反発せずに殊勝な態度でいられた』とも読み取れます。(※4)
勝っても負けても、人は謙虚でなければならない。
敗者が控え目でいられるかどうかは、実は勝者がカギを握っている。
といった、具合でしょうか?
『敗軍の将は兵を語らず』という言葉だけを見ると、【敗者は虐げられても当然だ】【敗者に発言権はない】と誤解しがちですが、語源をちゃんと知ればまったく違う意味合いが浮かび上がってくるのです。
(※1) 韓信
かんしん。劉邦(後の前漢の皇帝)を、支えた大将軍。国士無双の語源にもなったすごい人。張良・蕭何とならぶ漢の三傑の一人とされている。
(※2) 李左車
りさしゃ。趙の国に仕えていた、武将。コミックのキングダムでも登場する李牧の孫。
(※3) 当時は、項羽と劉邦の2大巨頭が覇を競い、中国全土を奪い合っていた(楚漢戦争)。韓信は劉邦に仕え、各国を従えようとしていた。
(※4) これを心理学では『返報性の法則』といいます。好意を向けられれば、好意で返したくなる。敵意を向けられれば、反発したくなる心理のこと。
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