10.『武器軟膏』治療法

 武器軟膏治療とは、16~17世紀ごろにヨーロッパの一部で流行って論争を巻き起こした、少々、オカルトチックな治療法です。


 剣などで体を傷付けられた場合、普通は傷口の方に薬を塗りますが、この治療法ではなんと武器の方に薬を塗っちゃいます。

 武器軟膏の原料は血液。人体に流れている血液には、皆さんご存じの通り精気が宿っており、結果、武器に付着した薬の成分(原料の血)と、人体が共感しあって、傷が早く治るという仕組みです。


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 うん、ぜんぜん意味わっかんないよね。

 発展した医学・科学の恩恵にあずかっている我々から見れば、迷信以外の何物でもないのですが、この論争の困ったところが、武器軟膏治療がちゃんと成果を上げていることでした。


・武器軟膏を用いた場合

・用いずに、従来(当時)の治療を行った場合


 この2つを同時に行って、効果を比較したのです。

 我々の常識から考えれば後者の方がマシのような気がするのですが、結果はなんと前者! 武器軟膏を用いた方が、傷の治りが早かったというから、驚きです。

 ファンタスティック! ウソだろ? なんでやねん?


 このアメージングな実験結果には、実はからくりがあります。

 16~17世紀当時は、衛生観念が乏しく、17世紀の後半でようやく細菌が発見できたという医学レベル。民間療法で「うまのふん」が薬として使われていても、おかしくないような時代でした。(※1)


 つまり、当時の正しくない衛生観念に基づいていじくりまわすと、傷が化膿し、悪化させることが多かった。むしろ武器軟膏と称して傷そのものにはノータッチな方が、患者にとってはありがたかったわけです。


 現在人の感覚からすれば、半分、笑い話ですが、この武器軟膏の論争から読み取れるのは、『観察』医療の限界しょうか。

 疾患の原因の多くが、ウイルスや細菌であることを我々は知っています。しかし、それらが顕微鏡で発見されるまで、病原の根絶は難しく、医療は『観察』に頼るしかありませんでした。


 医学の発露は、紀元前の古代ギリシャとされています。当時、活躍し、医学の父と称えられる『ヒポクラテス(※2)』からして、病気を観察して、対処法の規則性を見つけることを、治療の最善の手としていました。

 たとえば、『食と生活様式を管理して、自然治癒力を高めよう』といった具合。それは現代の医療にも通じる有意義な見識ですが、根源である細菌らを見定められない以上、医学の発展には限界があります。


 『観察』するだけでは不十分であり、学術的な裏付けが必要。

 これを専門的には、科学的エビデンス(根拠)と呼ぶそうですが、根拠がない観察頼りの医療を行うと、『武器軟膏』というトンチンカンな結論を導きだす場合もあることは、留意しておいた方がいいでしょう。(※3)


 ここまで、医療における観察について述べてきました。が、なにも『観察』するのは医学の専売特許ではありません。

 インターネットで活動する場合、我々は、アクセス解析を用いれば、訪問者の動向を観察することができます。一世を風靡したPDCAサイクルも、観察を連続で繰り返していると表現できるかも。(※4)


 『このジャンルは、以前、挑戦して売れなかったので、見込みがない』というような文言は、よく聞かれるところでしょう。


 かつての医学の発展が観察に支えられていたように、観察に導かれた結論は、一定の信頼がおける分析です。現時点での、有力な仮説といっていいでしょう。

 ただ、仮説は仮説。万能ではない。


 特に昨今は、インターネットをはじめとする各種ツールの出現で、観察が容易に行えるようになりました。が、それをただ妄信するようでは、真実にたどり着けない場合がある。

 それこそ、『武器軟膏』治療のように。


 一度や二度の結果で、レッテル貼りをしない。

 データの表層だけでなく、なぜそうなったのか深部を読み取る。そんな姿勢こそが、人の心を打つサービスの源流となるのかもしれません。



(※1) 細菌より小さいウイルスは、まだ見つからず、19世紀に入ってから。


(※2) ヒポクラテス

 紀元前400年前後に、ギリシャのアテネで活躍。医学史はここから、スタートとすることが多い。


(※3) ただ、偶然ながら、どちらかというと衛生学的に有意義なことをしていたので、個人的には無意味だったとまでは、思いません。


(※4) PDCAサイクル

 計画(plan)→ 実行(do)→ 評価(check) → 改善(act) というサイクルを繰り返し行い、業務を改善していく手法のこと。一昔前の、日本で大流行りした。

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