第5話

「こんなの見てて、楽しいの?」

突然聞こえた声に、僕はびくっと背を跳ねさせた。


声を掛けられたのは、もう日も暮れかけたころ。

夕方のその庭もまたとても美しく、庭の木や葉が深い赤色に染められていくのを夢中で眺めていた。


「はい。とても」

咄嗟に出てきたのはただそれだけ。

それでも、目の前のその人は、柔らかく笑った。

「ここはうちの庭なの。好きなだけ見ていきなさいね」

そう言って、静かに門の中へと入っていった。

年の頃は70才から80才くらい。

ショートカットの白髪が美しく、小柄だけれど背筋はすっと伸びている。

そんなおばあさんが、この庭の持ち主だったのだ。


「ありがとうございます!」

勢いよくお礼を言って、すぐ庭に目を移す。

失礼だったかもしれない、と頭の隅で考えたけれど、正直今の僕はそれどころではなかった。

だって、庭は刻一刻とその姿を変えていく。

僕はその一瞬一瞬を見逃すわけにはいかないのだ。


オレンジの光を照らす葉のきらめき。

傾く夕日の中に立つ木の影の濃さ。


ああ、一日が終わってしまう。


この、きらめきを残しつつも物悲しい時を全身に感じる。

一日にさようなら。

なんとか無事に過ごせた今日に全身全霊で別れを告げる、そんな時間。


静かに静かに夜は進行して、やがて夕方は完全に闇に飲み込まれた。

まだ残るオレンジの余韻に、僕はほっと一つ息をつく。


「そろそろ冷えてくるよ。こっちへおいで」

気が付けばまたさっきのおばあさんが立っていて、僕を庭の中へと手招いていた。

「えっ…」

どうしていいか分からずにいる僕の手をそっと取り、中へと歩いていく。

温かな手。


「すみません、なんか」

「いいのよ」

やさしくそういうと、おばあさんは僕を庭のあずまやに座らせた。

なんとなく緊張していた僕は、目の端にほのかな灯りを見た。

その正体をさがして目をあげてみると。

「わぁ…」

そのあずまやからは、雲の間から覗く月が、本当にきれいに見えたのだ。


「きれいでしょ」

おばあさんが湯気の立つポットを持ちながらそう言った。

いつの間にか並べられたカップに、なみなみと液体を注ぐ。

甘い香り。

「どうぞ。一日ずっと立っていたから冷えたでしょ」

「ありがとうございます!」

温かいミルクティーは、冷えた体をやさしくほぐしてくれるようだった。


ゆっくりカップを置いた僕が顔を上げると、そこには穏やかな顔をしたおばあさんが微笑んでいた。

「真剣に見ていたのね」

「はい。本当にすてきなお庭です」

僕はそこから、今日見て感銘を受けたことを勢いよく話した。

木から落ちる葉に、太陽の光がキラキラと反射していたこと。

隅っこに咲いていた小さな花たちに、気の早い蝶々が止まったいたこと。

たくさんの風景を、拙い言葉で。


「ふふっ」

おばあさんの笑い声がして、はっとする。

「すみません!僕、しゃべりすぎて」

「ううん、嬉しくてね」

おばあさんがやさしい目を向けてくれる。

「この庭はね、わたしの旦那さんが大層手をかけて作った庭なの。このあずまやからの眺めとか、外から見える木の影とか」

だからか、と僕は思う。

この庭はただ美しいだけではない。

確かにこの庭を愛していた、そんな人の気配を感じるのだ。

庭の隅々、至るところに。

「だから、そんなにも気に入ってくれて本当に嬉しいのよ」

本当にうれしそうにおばあさんが話す。


ああ、おばあさんはおじいさんのことを本当に好きだったんだなぁ。


そのことが、とてもとても伝わってきて、こちらまでほっこりとしてしまう。


「そのおじいさんも亡くなって、もう何十年もわたしはここに独り暮らしなの」

おだやかな表情に少し陰がさす。

それはきっと、寂しさという感情だ。

大切なモノを失う寂しさ。


「だからあなた、ここのお庭番をしてみるつもりはない?」

「えっ??」

感情がついていかない。

おばあさんが言ったことの欠片も頭に入ってこなかった。

「私ひとりで庭のお手入れをするのも、もう大変でね。誰かいないかなーと思っていたのよ」

この庭にいられる。

この庭に関わることができる。

その意味を知ったとき、僕は咄嗟に立ち上がり叫んでいた。

「僕に、やらせてください!」

おばあさんは、にっこり笑って僕の手を取った。

「ありがとう。この庭を、愛してくれて」


それはたぶん、おばあさんのおじいさんへの愛なのだろう、そう思った。

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