第14話
三足烏からの指示を受けながら、タケキリは仕事をこなすのが日課となった。百合子の邸宅に迎う前に、薄暗い小路に入り込み死んだ人間を探して、三本足の烏と歩いていく。時々見かけるこの街の者でない何かと対峙し、その度に天狗や他の留守を預けられた者達に助けられたりした。驚いたことに、月始めには誰もいなかった薄闇の世界にも、多くの三足烏や大天狗のような存在が闊歩するようになった。とうに寿命の尽きたはずの怨嗟を纏った化猫や、桂川を泳いでいるという鯉や、一条戻り橋の裏にぶら下がっている蝙蝠なんていう者もいる。薄暗い小路の中は等しく生死の道筋を持っていない。そうして、タケキリが神無月に出会うのは、誰もが等しく領分を違えた者達だった。
三足烏の後ろをついていきながら、タケキリに与えられた仕事は、小路に迷い込んだ死者を虚まで送り届けることだったらしい。鬼に足をすくわれた者もいれば、寿命を迎えた者もいる。婦人のような死因を覚えていなくとも死んだことを理解している人間もいれば、死んだことに気づいていても虚に向かって歩けない人間もいた。そうして、死んだことにすら気づいていない人間もいる。小路に迷い込むのは、人間だけではなかったが、獣は本能的に行き道を知っているのか、時々野良猫に出会うぐらいのもので、ほとんどは死を迎えたばかりの人間が相手のようだった。
タケキリは人間の姿に化けたり、毛玉もままだったり気ままな姿に扮しながら、虚と小路を往復する。死人に自身の正体が、山に住まう一匹の狸だと発覚したところで、騒ぎになる心配はなかった。
ごねる死者には骨が折れたが、既にあるべきはずの肉体は炎で焼かれてしまっているのだから、なにをしても戻れることはない。生死の道は一本であって、進むことしか出来ないものだ。
困惑したまま逃げ出す人間がいれば辛抱強く話を聞き、泣いてしゃがみこむ人間の足に毛玉として寄り添ってみたりして、タケキリは神無月の守狸の働きをしてみせる。
その度に、タケキリは不可思議な想いを抱かずにはいられなかった。死という同じ結論を迎えても、出会う人間の機微は様々だ。悔しげに唇を噛む者もいれば、婦人のように晴れやかさを持っていたりする。ただ一つ同じであるのは、彼らは等しく生き様を振り返って、泣いたり笑ったりしていることだった。
過ぎた季節を振り返る人間の話に耳を寄せていると、タケキリは百合子を思い出さずにはいられなかった。
百合子は相変わらず、恙無い毎日を歩んでいる。時々、肺に住む病に膝を折ったりしながら、調子の良い日はベッドを抜け出して、正の仕事に口出しをしているらしかった。病のおかげで、家から出ることはあまりなかったが、土地の運用や新しい商いの検討を正と繰り返している。傾きかけていた実家の事業が、また軌道に乗り始めたのだと、百合子はタケキリに嬉しそうに話してくれた。
百合子の生き様はどのようなものだろう。その一本道を歩み終えた時、百合子はどのような顔をするのだろう。狸を拾い上げた稀有な人間を思い描いては、タケキリは興味深く思案する。
「三足烏はんは、人間はお好きやないんですか?」と、タケキリは三本の足で器用に毛深い頭の上に乗っている三足烏に声をかける。虚から街へと戻る間は、こうして世間話をすることが増えた。
三足烏は死者とほとんど会話をしない。常套句を並べることはあるが、自身から言葉を交わそうとはしないようだった。師匠と呼ぶ大天狗の言いつけがあるからか、仕事はこなすが、迷い人の相手はほとんどタケキリに任せきりだ。そうして、駄々を捏ねるような死者に会うと、必ずと言っていいほどに大きな欠伸をして、退屈そうな顔をする。獣らしいと言えば、獣であるに違いなかったが、人間に興味深いタケキリにとって、三足烏もまた不可思議だった。
タケキリの問いかけに、三足烏は小首を傾げる。
「そうですねぇ、強いて言うなら興味がないですよぅ。この仕事だって、神無月だから師匠の言いつけを守ってるだけなので」
「そういうもんですか」
「ええ、本来僕にとっての人間は、ただの肉でしかないですからねぇ。タケキリさんは、木の実や茸と会話をしますか?」
間延びした声で、三足烏は当然のように言いのけた。確かに、タケキリは狸の主食である木の実や茸と言葉を交わしたりはしない。彼らは非常に無口で、言語を理解出来るのかすらも定かではなかった。そうして、タケキリの頭の上で寛ぐ三足烏には、人の肉さえも狸の木の実と同じ扱いであるらしい。
「肉、ですか」
「牛も、豚も、狸も、人も、変わりなく。僕は三足烏ですからねぇ。黒点の熱は万物を焼いてしまうのですよぅ。まあ、今は師匠の手の内ですからねぇ。食べると怒られてしまうのですけど」
「大天狗様は肉を食べないんですか?」
「ええ。師匠は風ですからねぇ。僕とは根本が異なる者ですし、この街の方々はそういう遊びに飽いてらっしゃるのですよぅ」
だからこそ、神無月にこうして警邏の真似事までしているのだ、と三足烏は胸を張る。タケキリは、へぇへぇ、と頷きながらも、鞍馬山の大天狗や、自身に伏見を任せて出雲へと出かけていったオサキや、かつては世話になっていた亀岡の主を思い浮かべた。一介の獣では畏怖を持て余すような何かを匂わせるこの街の主達は、確かに人間にはあまり興味がないようだった。人と近しい姿をしてみたりしながら、至近距離で眺めているのに、彼らは随分と希薄な言葉を吐き出す。その割に、こうして生死の理を守ってみたりもする。ちぐはぐであやふやな感覚は、理を違えた者だからなのかもしれず、使命というよりは遊びのようなものなのかもしれない。三足烏曰く、かつての彼らは生命を喰い漁り、街を焼き、病を流行らせ、街を洗い流したりもしていたが、現在は随分と大人しくなったということだそうだ。
その理由も原因も、全ては飽きてしまったことに集約されるというのだから、領分の異なる者達の考えなど理解しようもなかった。
何せタケキリに化術を教えたオサキでさえ、人に扮していながらも、人間を驚かすことが大好きな悪戯者だ。ふよふよと漂う雲のような佇まいは、オサキの吹き出す煙草によく似ていた。
頭の上の三足烏が、欠伸をするかのようにカァ、と間延びして鳴く。
「なので、ここに来る人間には、好き嫌い以前に興味がないのですよぅ。肉を失った人間など、旨味の一つもありゃしないですからねぇ。タケキリさんがいて助かってますよぅ」
虚に向かいたくないと喚かれるのは面倒なのだ、と三足烏は呑気に笑ってみせる。
タケキリは頭の上の烏の言葉にも、また一つ感心していた。三足烏という存在は、どうやらタケキリよりも野生の獣らしい考えの持ち主のようにも思えたし、それよりももっと獰猛な何かのような気がした。しかし、同じ獣であっても、趣向がまた異なっていく。まるで人間のように、獣や毛玉も様々な考えを持っている。面白いことに、この場所を闊歩する存在は野生の狸でありながら、人間を面白がる毛玉を否定しない。かつては山の主や、近しい獣達に煙たがられた一匹の狸でさえ、彼らは別段に気にすることはしない。タケキリが化けて見せようとも、驚かせる側の彼らは、当然のような顔をする。
そういう意味で、静寂ばかりの世界はタケキリにとって、随分と心地の良い場所になりつつあった。
「お役に立ててるんならよかったです」
間延びした口調を漏らす三足烏に向かって言えば、頭上の三本足はくつくつと体を震わせた。
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