第13話
「あの人を殺したのは鬼ですよぅ。こちらから表に手でも伸ばして、階段から落としたんでしょうねぇ。奴らのよくやる手段なのですよぅ」
初仕事を終えたタケキリは、なんだか妙に疲れてしまい、四足歩行に戻ることにした。丸い毛玉の上に、同じく三本足の烏に姿を変えた三足烏が乗り、再び街中の小路へと戻っている最中だ。世間話をするように、狸と烏はお喋りに興じている。
「三足烏はんの言うことは、私には難しいですなあ」
「そうですかぁ? お師匠……大天狗様が連れてった男がいたでしょう。あれが鬼なのですよぅ。神無月は主様方が軒並み留守になるので、ああいう輩が入り込んでくるのですよぅ」
「普段はいないもんなんです?」
「狸は知らないかもしれませんが、この街で妖物の類が腥風を吹かせることなど許されないのですよぅ。この街の主様方は、そのようなことに飽いておられる上に、この街は自分のモノだと思っておられるのですよぅ」
得意気になって狸の頭の上で烏が鳴いている。狸は小さな足で、土を踏みながらほほう、と興味深く頷いた。それは狸にも覚えがあるものだった。テリトリーというものは、不可侵であるからこそ美徳だ。だからこそ群れる狸は、他の獣とも時々喧嘩をしたりする。
「あの鬼はどうなりはるんです?」
「あの人を殺めてしまったのですから、今頃はこの街の外に放り出されて、藻屑でしょうねぇ」
今日何度目かの肝の冷える思いだった。そうして、ふとタケキリは考える。生死を辿らない者にも末路をいうものがあるのだろうか。それともやはり末路など無縁であるからこそ、叩き出されてしまうのか。想像をしてみても、一匹の狸に分かるはずもない。狸が分かるのは、生きている者はいずれ死ぬということだ。人間も、毛玉も、長短の違いはあれど、等しく変わらない。
地獄も天国も、未だ生きている狸には関係ないことだ。
「なんや難儀なとこに踏み込んでしもうたなぁ……」
ほう、と息を吐き出して、タケキリは小路へと歩いていく。神無月でなければ駆け足で抜けて、南座で歌舞伎を観劇しては手を叩いているというのに、見上げると厚い雲ばかりで賑やかさの欠片もない。日常を面白可笑しく生きるのが狸であるというのに、日常から切り離された場所を闊歩しているとは、どうにも釈然としないものだった。
鴨川にかかる橋を渡り、市中の中へと狸が歩いていく。人間一人、獣一匹すらいない世界に、丸い毛玉と三本足の烏だけが取り残されていた。
「おやおやおやぁ、タケキリさんは楽しくないのですかぁ?」
「楽しいわけありしません。なんやよう分からんままに混乱しとります」
「それにしては随分と手際が良かったものですけどねぇ。死人を見て驚かなかったですし」
「私は野生の狸ですから。死んでいくもんを見送ることだってあるもんです」
くっくっ、と意地悪そうに頭の上で笑う三足烏に、タケキリはもう一度深い溜息を吐き出した。
冬を越せずに身体を凍らせた狸が、春の雪解けの下から出てくることもある。時々山に入り込んでくる漁師達が逃げ遅れた獣を攫っていくこともある。穏やかに寿命を迎える高齢の狸に鼻を寄せたこともある。訪れる死に抗おうと暴れる者もいれば、笑って逝く者もいる。諦念を抱いて、じっと動かないままに歩んだ生き様を思い出す者もいる。それはタケキリも同じことだ。あの日、百合子の手に拾い上げてもらうまで、足を失いかけた毛玉は歩み寄ってくる死の匂いを受け入れて、じっと動かず、その時を待っていた。
そう思えば、先ほど会った婦人は随分とあっけらかんとしていたような気がする。気落ちするわけでもなく、かといって穏やかであるわけでもなく、気丈な笑みを浮かべたまま虚の中へと歩みを進めた婦人の背はしゃんと伸びたままだった。婦人の横顔は、豪勢に支度した南座での面持ちと同じくして、死の間際だとしても品格を落とさず、不幸を不幸だと罵る力強さがあった。
別れたばかりの婦人の姿は、狸では見たことのない生き様だ。
そうして、その姿こそ百合子に重なっていく。病を患っていながらも、気丈に起き上がった彼女は不死鳥のようでいて、名の通りに百合のように背を伸ばし、ベッドから抜け出してきた。損なわれることのない品のある美しさ、柔い慈愛に満ちた百合子が、タケキリの脳内に過ぎっていく。
「人間とは、不思議なもんですねえ」と、気づけばタケキリは、そんなことを呟いていた。
「タケキリさんは人間にご執心なのですかぁ?」
「どうでしょう。私は恩返しがしたいのですけれど。でも人間は好きですよ。いつ眺めても、人間は理解しがたく、面白い」
共感も反感すらも浮かばないようなことで涙を流したかと思ったら、死に際に背を伸ばして歩いていく。言葉を使い、器用な指先を持ち合わせ、思考と感情がちぐはぐであるのに群れることが出来てしまう。文化を作り上げ、社会をぐるぐると回し、娯楽を生み出したくせに、時々遊びを悪だと罵ったりする。狸から命を奪う人間と、狸を拾い上げる人間がいる。
タケキリにとって、人間は不可思議で面白い。興味を惹かれてしまうから、ついつい山を抜け出して、化けて顔を出してしまうのだ。
気づけば、狸の口元がゆるゆると緩んでいた。唇を持ち上げる狸を眺めて、三足烏がまた意地悪に笑った。
「なるほどぉ。貴方がオサキ様に頼まれたのが、よく分かりますよぅ」
一匹の烏の鳴き声が、痛快だと言わんばかりに、音のない世界に波紋のように広がっていた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます