第4.5話 妖精王対火の国の魔人 - 2

火の国の魔人スルト〉は知っていた。九世界で起きている事態と己の為すべきこと。

 そしてただそれを為すために、彼女は九世界に現れた。〈呪われた三人〉を殺すために。


   ***

   ***


 九世界が終わるとき、〈火の国の魔神〉がやってくる。世界を炎で焼きつくすために。光の軍隊を連れてやってくる。世界を浄化に導くために。名はスルト。〈火の国の魔神〉スルト。

 それはお伽噺。九世界に伝わる単なる伝説のはずで、もちろんフレイは九世界の終わりも、そのときに現れる魔神などという存在も信じてはいなかった。


 だが目の前にいる存在は、これまでのフレイの常識を打ち崩すほど神々しく輝いており、かつ得体が知れなかった。


「おまえからは、あの〈呪われた三人〉の臭いがするな。それに、魔法の臭いも」

 スルトを名乗る女は鼻をひくつかせて言った。騎乗して鎧を身に纏い、騎馬用にしても女が振り回すには巨大な三日月斧バルディッシュを携えていれば、その姿は間違いなく戦装束なのだが、彼女の表情にも所作にも緊張感は感じられなかった。自然体なのだが、逆にいえば、いつでもその長斧を振りかぶってきてもおかしくはないように感じられる。

「答えろ。おまえはなんだ?」

「……フレイ」

 再三の問いかけに、フレイは正直に己の名を名乗った。

「フレイ………?」

 ふむん、とスルトは頬に指を当てて首を傾げた。可愛らしいともいえる所作ではあったが、相手がいかに美しい女の容貌をしているとはいえ、燃え盛る魔人ともなれば心が休まるはずもない。


 スルトは手綱で馬に指示をし、ゆっくりとフレイの周囲を歩き回らせ始めた。

「それがおまえの名か。フレイ、フレイ、ふむん、知らないな。だが奇妙だ。奇妙だな。やはり魔法の香がある。おまえ、〈神々の宝物〉は持っているか?」

《妖剣ユングヴィ》は決闘以来、いまも《赤球ギャルプグレイプ》が絡んだままで使用することができず、邸宅に置いたままだ。そこまでは言わず、フレイは黙って首を振った。

「ふむん、では、魔法を使えるか?」

 フレイはまた首を振った。己の顔が強張っているように見えていないことを祈りつつ。


「魔法の香がするにもかかわらず、魔法の道具を持たず、魔法も使えない、と……。ふむん、奇妙だ、奇妙だな。これはひどく疑わしい」

 スルトの馬はフレイの背後で止まった。 

「罪の無い命を焼くのは本意ではない……が、咎の有無が判別できないのであれば話は別だ。隠れた魔法を放置しては、九世界の崩壊に繋がりうる」

 フレイには選択肢が3つあった。攻撃する、受ける、避ける。そして瞬間的に最後の選択肢を選択したことが、生に繋がった。馬の背に伏せたフレイの身体の上を、三日月斧の刃が横薙ぎに通過していった。


 馬を走らせて距離を取り、佩いていた剣を抜いて向き直る。

「避けるな、フレイ。苦痛が長引くだけだぞ。《炎斧レヴァティン》の錆となれ」

 スルトは女の細腕で軽々とバルディッシュを扱い、片腕だけで振るってきた。フレイはその刃を剣で受け止めながら——瞬間的に身を逸らした。

(レヴァティンだと……?)

 その名は聞いたことがあった。ロキの持つ手斧がそんな名前だった。その手斧はロキが握ると燃え上がり、石壁をやすやすと切り裂き、《雷槌ミョルニル》の柄を短く切り取ってしまったらしい。一見して、ロキの手斧とスルトの三日月斧は似ても似つかぬように見えるが、ちょうどスルトの持つ三日月斧の、柄を取り払って先端だけにしたような形状のものがロキの《炎斧レヴァティン》だ。

 それゆえフレイは受けつつも身体は回避行動を取った。スルトの武器がロキのものと同じであるならば、防御など意味がないのだから。

 一瞬の判断ではあったが、それは正解だった。三日月斧の刃によって、フレイの剣は簡単に切断されてしまった。力で折られたというわけではない。切断された部分は溶鉱炉に突っ込まれたかのように溶けていた。

「判断は正解だ」

 だが正解が必ずしも勝ちに繋がるわけではない——フレイは身を以てそれを知った。スルトの返す巨大な刃は大きく下方に振るわれ、フレイの馬の前足を切断した。地面に投げ出される。

「なかなか良い動きだった……フレイ。ああ、素晴らしかったな。片足がないのか? 馬と同じだな。それではもはや意のままには動けまい。ああ、残念だ。最初から良き戦士に会えたと思ったのに、これで終わりとは。ではな、フレイ」

 

 長々と口上を垂れていたスルトの馬を〈世界樹ユグドラシル〉の根が襲えば、滔々と語り続けていた彼女の瞳に初めて困惑と驚愕の色が浮かんだ。九世界のあらゆる場所に張られた根が蠢き、まずはスルトの馬の四肢にがっちりと絡んで引き倒した。フレイと同じく、スルトも地面に投げ出された。

 フレイは半ばから砕かれた剣を杖代わりに立ち上がり、馬から放り出された拍子にスルトの手から離れた三日月斧、《炎斧レヴァンティン》に可能な限りの速度で歩み寄った。片足が義足のフレイは馬が殺されたいま、逃げるという選択肢は取れない。ならば戦うしかない。剣が役立たずとなってしまったなら、相手の斧を使えばよい——それが握れるならば。

 厭な予感が当たった。斧の柄に手を触れた瞬間、フレイは反射的に仰け反って手を離してしまった。斧の柄に触れた掌は爛れていて、水膨れができていた。刃だけではなく、柄さえもおそるべき熱量を発しているのだ。これでは握れない。

「無駄だよ、フレイ。レヴァンティンは浄化の武器だ。おまえたちには握ることすらできない」

 背後から近づいてくるスルトの声目掛けて、フレイは〈世界樹〉の根を動かした。だが相手が攻撃を警戒しているとなれば、植物のゆっくりとした動きではその身体を捉えることはできなかった。

「いまのは魔法だな。フレイ、魔法は使えなかったのではなかったのか? 嘘を吐いたのか、フレイ?」

 最初の攻防でも、この〈世界樹〉の根を動かしたときにしても、スルトは明らかに攻撃を避けている動作を見せている。ならば無敵ではない。おそらく攻撃は通る——通るのだが、もはや武器がなく、動けない。この足では、逃げることすら叶わない。


 せめて《妖剣ユングヴィ》があれば、あのひとりでに宙を舞い、戦う剣があれば足止めをし、その間に〈世界樹〉の根で拘束できるというのに。フレイは希望を失った。

「死ね、フレイ」

 拾い上げられた《炎斧レヴァンティン》が振り上げられたとき、蹄の音が聞こえた。馬の嘶きが聞こえた。女の声が聞こえた。

「フレイ!」

 森から飛び出した黄金の小さな猪グリンブルスティがスルトに追突し、彼女をよろめかせた。そのわずかな間隙を突き、馬に乗ったゲルドがフレイの身体をすれ違いざまに馬上に引き上げた。

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