第4.4話 妖精王対火の国の魔人 - 1
〈
彼はそのとき第一世界グラスヘイムの北端、第二世界ヴァナヘイムや第三世界アールヴヘイムにほど近い森の中にある己の邸宅にいた。先の決闘で〈
「フレイ……?」
失ったものがあった代わりに、得たものがあった。同衾した寝台の上で、白い裸体をシーツで隠しているのはゲルドだった。ゲルド。ふたりだけの家。フレイは寝惚け眼を擦る彼女の長い金髪を漉き、そのまま頭を撫でてやった。
「ごめん、起こしちゃったか」
「ううん………。外に何かあったの?」
フレイが透明な硝子窓越しに外を眺めていたため、ゲルドはそう問いかけたのだろう。だが、目の前に映るのは立ち並ぶ木樹と、平面の端に近いがゆえに下の平面の影響を受けて降った雪のみ。何も変わらぬ、穏やかな日常。永遠の平和。それだけだ。それだけのはずだ。
だがフレイは違和感を振り払えずにいた。目を覚ます一瞬前、何か遠くのほうで音がしたような気がしたのだ。目を覚ましたのも、その音のせいかもしれない。寝台を抜け出て、左足がないため苦労しながら下着とズボンを穿く。
「フレイ?」
「何か音が聞こえたような気がする。少し外を見てくる」
「音?」
首を傾げると、長い金髪が胸元に垂れて桃色の乳頭を隠す。不安と疑問が交じり合った表情の彼女の顔を抱き寄せ、フレイは接吻をした。頭を撫でるついでに髪を何度も掻くと、寝癖も相まってゲルドの頭はぼさぼさになった。
「大丈夫だよ、ゲルド。すぐに戻ってくるから」
不安そうな表情のゲルドを寝かせて布団を被せてやってから、上着を纏い、剣帯を穿き、杖をついてフレイは館の外に出た。
厩に繋がれたフレイの白馬は立ったまま寝ており、特に異常を感じているようには見えず、フレイは邸宅を出て外にまで見回りに行くべきかどうか迷った。危険察知能力の高い動物がこれなら、自分が感じた音も寝惚けての気のせいだったのかもしれない。
最終的に鞍をつけて馬に乗ったのは、己が以前よりも弱くなっていることを自覚していたからだった。片足を失くし、〈神々の宝物〉も失った。この身で何か危機的事態が起きた場合、ゲルドを守ることは叶わないかもしれない。ならばそうならないように、常にできる限りのことをするべきであり、危険が迫っているのならばまずはそれを察知しなければならないと、そう考えたのだった。
だが朝焼けに輝く森の中を歩いていても、特段の異常は見当たらないように見えた。木樹に草花、それらを餌とする小さな動物や虫。それだけ。これまでどおりのアースガルドだ。
(これまでどおりの——?)
いや、やはり何かがおかしい。フレイがそれに気づいたのは、森から平原へと出ようとした頃だった。
これまでどおりのアースガルドのはずがないのだ。ミッドガルドでは三度、否、四度目の冬が訪れ、第二平面は寒気に包まれている。その上に座するアースガルドは基本的には常夏だが、その端ともなれば下の平面の影響を受けずにはいられない。フレイの住む森の近くでは雪が降ることもあったし、実際に先ほど邸宅から外を眺めていたときには木樹の間に雪が見えたはずだ。だがいまや、それらはすべて溶けてただ土を濡らしていた。
(気温が上がっている………?)
しかも、恐るべき速度で。
長く続いた冬の次には、燃えるような夏が来るということなのだろうか。これまでに体験したことがない出来事への予測とともに平原に出たフレイが目にしたのは、夏の到来というにはあまりに眩しい、光り輝く存在だった。
あまりの眩しさに目を細めたフレイには、初めそれは野火に見えた。突然の暑さに伴う乾きによって草原の草が燃えたのだと。だが違った。その火は女の姿をしていた。同じく燃えるような馬に乗る、鎧を身につけた女。兜は被っていなかったため、目が慣れてくると、その白く輝く長い黒髪や顔立ちがはっきり見えるようになった。
美しい女だった――ゲルドほどではないが。
アース神族ではない。ヴァン神族でも巨人族でもないし、人間族でもない。こんな輝く姿をした
輝く女は馬に乗ったまま、ゆっくりと周囲を眺め回していて、最後には草原に彼女以外で唯一立つフレイにと視線を留めた。
「魔法の残り香……おまえは、なんだ?」
そんなふうに問いかけてくる女を前にして、フレイは「それを訊きたいのはこっちのほうだ」と言ってやりたくなった。だからそのとおりに尋ねた。それを訊きたいのはこっちだ、おまえはなんだ、と。
女は答えた。わたしはスルトだ。ムスペルのスルトだ、と。
それでようやく、フレイは思い出した。お伽噺の〈
「さて、もう一度問おう。おまえはなにものだ?」
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