第2.3話 雪目のウル、妖精王との会話に頭を痛めること

 ウルは制圧したスリュムヘイムの砦の内部――雷神トールによって半ば倒壊しかけている――を検分しているとき、アース神族の下級兵士ふたりに呼ばれた。彼らの顔には痣があり、話を聞くとスリュムヘイムの町で見回りをしている間、反乱分子に攻撃されたということだった。

 ひとまず彼ら二人に待機命令を出し、それから二人の経歴を調べる。素行はそれほど良くはない。ふたりの怪我はどちらも軽く、武器を使われたようにも見えない。おそらくは巨人族の町で何か悪さをし、勇気ある巨人族によって咎められたのであろう、と事の成り行きはおおよそ予想が付いた。

 二人の兵士は、攻撃してきたという巨人族を捕まえて罰してほしいと主張したいらしかった。ウルとしてはそんなことをする気はなかったが、しかし放置するわけにもいかない。ここはアース神族によって占領された巨人族の町なのだ。どんな理由があるにしろ、アース神族を攻撃したものがいるのであればそのものを処罰しなければならない。形だけでも。それが勝者のすべき行いであり、為さねばならない義務だ。ウルは砦の検分を部下に任せて街に出た。

 ときに子どもにも見られることもある己の童顔に手を当て、両頬を揉む。ただ己や仲間の身を守っただけの若者を罰さなければいけないと考えると気が重いが、相手が武装したアース神族の兵士二人を軽々とあしらうのであれば、部下任せにするわけにもいかなかった。

 ウルは頭が痛くなる思いだった――事件現場近くの茶店で茶を啜る見知った顔の人物を見つけるまでは。


(栗色の髪、碧眼、長身、美形………)

「フレイ」

 兵士たちから聞いていた反逆者の人相に合致する人物に声をかける。フレイの座っていたテーブルは二人掛けの円形であったため、ウルは対面の椅子に座った。

「ウルか。見回りかなんかな? 精が出るね」

「アース神族の兵士を殴ったというのはあなたですね?」

「あるときは正義の味方、あるときは女性の味方、果たしてその正体は……」

 芝居がかった口調でフレイが身振りを交えて答えるのを待つ必要はなかった。注文を取りに来た巨人族に冷たい飲み物を頼み、ウルは我ながら大袈裟に感じるほどの溜め息を吐いてしまった。

「困りますね。いちおうここはアース神族の占有地なんですから」

「困っていた女性を助けようとしただけだ。褒められこそすれ、咎められることじゃない。きみが来たのは、なんだ、あの外道どもに言われて処罰しようとでもしようということか?」

「ヴァン神族のあなたにうちの軍の法は適用できませんよ。だから困るんです」

 飲み物が運ばれてくる。ウルは巨人族に礼を言って受け取った。去っていく巨人族の店員は、去り際に何度もウルやフレイの顔を見ていた。巨人族ではないということを気付かれたのだろう。


「イドゥンはどうしたんですか? 一緒に出かけたって聞きましたけど………」とウルは一度話題を逸らす。

「バルドルが通りかかったから、連れて帰ってもらった」

「で、あなたは後からやってくる兵士を追い返すために残ってたってわけですか」

「実際来たな。きみが」

「彼らに怪我を負わせたのがあなたではなかったとしても、そんな手酷いことをするつもりはありませんでしたよ。むしろお礼を言いたかったくらいだ。軍の規律を乱した兵士を咎めてくれたんですからね」

 これは本音だ。そしてそれが巨人族の勇敢な若者によってではなく、ヴァン神族の一種超軍規的な存在であるフレイによって行われたことも、ありがたいことではあった。

 だがフレイがアース神族の兵士の狼藉を咎めるなら、もっとやり方があったはずだ。


「じゃあ礼を言ってくれた前よ。こういうのは困る、だなんて言わないでさ」

「やり方の問題です」ウルは諭すように言う。「あなたが巨人族の、非道なアース神族に対して立ち向かった勇気ある若者であったのならば、今回のことは仕方がない。暴力でしか立ち向かう術がなかったんですから。でもあなたはヴァン神族で、あの兵士らにとっては実質的な上官に当たります。彼らはあなたの顔を知らなかったようですが、名前まで知らないはずがないんです。彼らの行動を咎めたければ自分の名前と、どんな人物であるかを言ってやれば良かったんです。そうすれば余計な手間もなかった」

「名前や立場を出したくはなかったんだ」フレイは大袈裟に肩を竦めた。「巨人族の一人だと思われたかった」

「誰にですか?」

「周りに、だよ。わざわざ民衆の敵になりたくはない」

「ここで喋っていれば周りに伝わりますよ」

 ウルは言ってやった。


 ヴァン神族であるフレイはともかく、ウルはアース神族であり、その容姿は巨人族とは明らかに違う。黒々とした髪を帽子で隠していても、顔つきや対角までは隠せない。先の店員も、ウルがアース神族だということがわかったので気を遣っていたのだろう。怯えていたのかもしれない。

「大したことをやってくれたよ、きみは」

「良い薬です。占領しておいて、敵になりたくなかったもないでしょう」

「誰だって嫌われるより好かれたほうが嬉しいだろう? だいたいな、ああやって本能で動く頭に綿でも詰まったような兵士を野放しにするなよ。このあたりはたまにああいう阿呆が来るくらいだけれど、色町とか、やばいだろうに」

 ウルは頷く。「まぁ、そうですね。でも色街であればきちんと代金を払ってはいるはずです。でなくても、ある程度は軍の大本から金を出しています。色街での兵の権利を止めることはできません。あれは彼らの権利ですよ。そうでなければ今回のように溜まった感情が爆発する。いちおう彼らは戦っているわけですし ね。そこで溜まったストレスをどこかで抜いてやらなければいけない。ヴァルハラから遠く離れた場所にいるのですから、発散できるのは占領した町にいる女しかないでしょう」

「生死を賭けるのは男の仕事ってね。金を払っている、だ? もとはといえばスリュムヘイムの砦や宮殿からかっぱらったものだろうに。巨人族の財産だ」フレイは鼻を鳴らした。「だいたい、戦ったっていってもほとんどトールの手柄だろう。他のやつらはトールの崩した瓦礫の上で旗立ててただけだ」

「それは……そうかもしれませんね。彼がいなければこの戦争、アース神族に勝利はないでしょう」

「あいつの怪我の具合はどうなんだ?」

「見た目ほど重傷というほどではないようです。トールが戦えるようになったら、軍をまた進めるでしょう」

「そしてまた次の町を制圧するわけだ。まさに侵略だな」ヴァン神族の指導者の息子は目を細める。「アース神族の侵略戦争だ」

「ぼくらは目の前の火の粉を振り払っているだけですよ。侵略しているつもりはありません」ウルは言い返す。「戦争に負けて吸収されたヴァン神族からは、侵略に見えるかもしれませんが」

「負けたわけじゃない。戦うのは無益だから調停しただけだ。争いにならないようにおれとイドゥンがこっちに来たのさ。わざわざ可愛い妹と一緒に、こんな戦馬鹿だらけのところにね」


 フレイの言い方は言い訳がましいが、しかし事実だ。彼の戦の実力は高い。トールと互角に戦える数少ない人物なのだ。そうは見えないが。

「そう思うんだったら、さっさと帰ってやったらどうですか」とウルは言ってやった。「イドゥンは最近、少し調子を悪くしているんじゃないですか。このまえ、攫われてから………」

「もう帰るよ」フレイは近くを通り過ぎた店員に声をかける。勘定を支払おうとしたが、無料で良いと返された。店員の言葉は、アース神族の兵士と戦ってくれたフレイに対する好感情によるものだろうか、それとも彼がヴァン神族であり、アース神族に味方をするものであるという恐怖感によるものであろうか。後者だろうな、とウルは店員の様子から推量した。フレイが無理矢理に近い形で金を支払った。ウルの分も。

 二人で店を出て、スリュムヘイムの宮殿の近くに設営されたアース神族の駐屯地へと向かう。


「そういや、ロキはどうなった?」

 と帰路、フレイが急に訊いてきた。

「彼女は……まぁ、巨人族の長になんらかの形で操られた可能性が高いってことで、まぁお咎めなしで」ウルは答える。「あなたの妹さんの主張が強かったもので」

「いま、どうしているんだ?」

「気になるんですか? 駐屯地にいますよ。グラズヘイムのときと同じです。まぁ、軟禁に近いかんじですね」

「無事なんだろうな」

「ぼくに聞かないでください。ぼくは戦争に駆りだされただけで、そもそも軍関係にそんなに詳しくはないんですから」ウルは正直に言う。弓に関しては人並み外れて扱いが上手いということで将に抜擢されたが、平時は野山で狩りをして暮らす生活をしていた。「イドゥンも彼女の部屋には出入りしているようですから、そんなに酷いことはないと思いますけど」

「そうか………」

 ウルは彼の表情をしばらく眺め、言葉をまとめてから言う。「彼女はやめたほうが良いと思いますよ」

 フレイは肩を竦めた。「べつに、そういうつもりじゃない。ただ、ロキは………」

 

 言葉の先が声に乗せられることはなかったが、フレイの視線からは、まるで家族に向けられるかのように暖かさを感じた。

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