第2.4話 妖精王フレイ、火炉番の娘に恋煩いをすること

「それでさ、なんて言われたと思う? あなたがやったことは暴力ですよ、だってさ」

 フレイが身振り手振りを交えて説明してやると、犬耳の女は口元に手を当てて鈴のように笑った。

「でも、それはそのとおりだよね。フレイなら、もっと解決策もあったもの」

「おいおい、ロキまでそんなことを言うのか」とフレイは大袈裟なくらいに肩を竦めてやった。「話し合いなんかじゃ解決できる状況じゃなかったさ」

「綺麗なひとだったんだね?」

 ゆっくりと首を傾げるロキに合わせて、フレイはあの巨人族の娘――ゲルドという女の姿を思い浮かべた。白い肌。白金のような髪。碧と青の瞳。

「……まぁ、そうだな」

「だからかっこつけたくなっちゃたんでしょ?」

 そう言ってロキがまた笑った。その屈託のない笑顔にフレイは安堵を覚えた。


 スリュムヘイムの宮殿とその近くにある巨人シアチの屋敷を、アース神族軍は仮の駐屯地として押収している。館が広く、十分な食料が貯めこまれており、何より金銀財宝に恵まれていたからだ。そしてロキはアースガルドと同じように屋敷に連なる塔の最上部に幽閉されていた。シアチの屋敷にあった物見塔だ。

 兵士でもないロキはすぐにでも第一平面アースガルドのヴァルハラへと送り返すべきなのだが、ロキは先の戦いでの片羽の負傷が未だ治癒していない。負傷が治り次第、やはり戦場に出るべきではないイドゥンとともに護送される予定だ。

 ロキの血色は良く、唇は桃色だった。羽の包帯は痛々しいが、具合は悪くはないのだろう。彼女はフレイを見るなり、妹のイドゥンを攫ったことを謝ってきたが、「おまえのせいじゃない」で済ませてやった。実際、フレイは彼女を責めてはいない。イドゥンも。だからロキが元通りの笑顔を見せてくれるようにいろいろな馬鹿話をしてやった。昼にアース神族との間で起きた諍いのことも話題のひとつだ。


 ロキを元気づけるために一通りの馬鹿話をしてやったあとで、フレイはロキが幽閉されている物見塔を出た。見張りの兵に挨拶にもう帰る旨を告げる。

「あの〈狼の母〉と、あなたは仲が良いのですか?」

 ふたりいた見張り兵のうちのひとりに、そんなふうに問われた。若い赤毛のアース神族だ。もうひとりの見張り兵、歳を食ったほうは窘めるような視線で若い兵を睨んだが、若い兵は気付かないようだった。

(仲が良い、か………)

 仲は悪くはないだろう。だが、目の前の若い男が思っているような仲ではない。


 恥ずかしい話だ。フレイはロキのことを母親のように感じることがあった。

 フレイの母親は女巨人だった。フレイは会ったことがないが。いや、会ったことを覚えていないだけかもしれない。顔さえ思い出せない――が、ロキと一緒にいるとなぜだか懐かしさを感じる。同じ巨人族だからか、あるいはどこかしら彼女と似ているところがあったのかもしれない。

 どちらにしても、ロキに母親の面影を感じているなどとは口に出しては言えない。言葉にしようものなら恥ずかしくて死んでしまう。だから、これはフレイがロキを守ってやる理由であるというだけでいい。彼女には敵が多いのだから。


 フレイは兵士に答えずに塔を下りていった。その足でそのままひとり、町を見て回る。人通りの多い繁華街、暗く暖かい裏通り、閑散とした公園、兵士の多い色町。

 表面的な諍いは見られなかったが、平和な町並みではない、とフレイは思った。巨人族のものたちは侵略してきたアース神族に憤っているだろうが、相手が武装した兵ばかりでは反抗のしようもないというわけだ。

 アース神族に制圧された街を見、アース神族に半ば捕らえられているようなロキと会話をし、フレイは改めて思うことがある。


 アース神族に正義はない。


 いつだってアース神族は戦乱の只中にある。たいていの火種はアース神族だからだ。彼らは体格に劣り、数も少ないものの、強大な〈神々の宝物〉を所有し、他民族を蹂躙する。彼らはヴァン神族を吸収し、今も巨人族と戦っている。彼らは巨人族をアースガルドから追い出しただけでは気が済まず、徹底的に侵略下に置こうとしている。


 だが、果たしてアース神族を戦争に駆り立てているのは誰なのだろうか?


 アース神族軍最強の兵士は〈雷神トール〉だが、彼は政治的には力を持たず、末端の兵には過ぎない。

 アース神族の指導者、〈独眼の主神オーディン〉だろうか。フレイはまだオーディンの姿を見たことがなかった。アース神族を統括し、ロキを囲っているというアース神。彼こそが、戦争の原因なのか。

 それともそれ以外に黒幕がいるのか。

 あるいはもっと根本的に、アース神族という民族そのものが邪悪であり、戦を好むのか。

 どうにかして原因を突き止めない限りアース神族の勢いは止まらないだろう。

 そして、どうにかして黒幕を突き止めるまで、フレイは今の立場を失うわけにはいかない。和睦の使者であり、人質であるという立場を。なにより、自分の立場が悪くなればイドゥンの立場も悪くなる。今は戦争に従事するしかないだろう。

 フレイにできることは、今日の昼間にあった出来事のように、目の前の事態に対応することだけだ。自分を慰めるように。


 そろそろ肌寒くなってきた。フレイは人通りの少なくなった町並みで足を早める。そろそろ本陣に戻るか、何処かの店に入って夕食にでもありつきたいところだ。シアチの屋敷でアース神族に囲まれて夕餉を取るのではなく、巨人族の町並みで気楽な夕食を楽しみたい。しかしアース神族が駐屯しているせいか、まだ陽が沈みきっていない時刻だというのに戸を開けて営業している店は少ない。

 色町の方向に営業中の店を一件見つける。呑み処のようだが食事もできるようだ。明るい雰囲気の清潔そうな店内に惹かれて店の前で立ち止まる。

 店内には数人の客の姿と、従業員らしい女の姿が見えた。薄い色の柔らかそうなブロンドと、左右瞳の色の違うオッドアイ。

(ゲルド―――!)

 店の戸に手をかけ、入店しようとしたフレイだったが、彼女の姿を見止めてしまったがために躊躇した。彼女は容姿は美しかったが、性格上多少の問題がありそうに感じられた。アース神族に立ち向かうのは勇敢かもしれないが、それ以上に愚鈍だ。鑑賞するだけならまだしも、それ以上の関係にはなりたくはない。何より、昼間の出来事を考えれば、好かれてはいないと考えるべきだろう。


 やはり別の店にしようと踵を返したフレイだったが、ベルの音とともに背後から腕を掴まれた。店から出てきてフレイに縋り付いていたのは、店から出てきたゲルドだった。

「あの、昼間助けてくれた方ですよね? うちの店に用があったのでは? 夕食でしたら……席が空いてますよ」

 女の碧と青の視線の行く先は安定しなかった。言葉もたどたどしく、真っ直ぐにフレイを見据えていた昼間とは大違いだ。 

 断りの文句が思いつかず、フレイは仕方なく頷いた。ゲルドはほっとしたような表情になって、店の中に招き入れた。


 二人掛けの席まで案内されて、メニューを渡される。簡素なメニュー表には数点しか料理が載っていない。小さな店だ。こんなものだろう。

「エールを一杯……あとお勧めがあれば何か」

 注文すると、ゲルドは無言で頷いて奥へと行ってしまった。残されたフレイは店内を観察する。客はフレイを除いて五人。いずれも明らかに巨人族だ。フレイは己の顎を撫でた。アース神族に比べれば、ヴァン神族の身体的特徴はある程度巨人族に近い。周囲の客がこちらに注目している様子もないので、ヴァン神族だと気付かれてはいない――はずだ。


 蕪とキャベツの煮込み。塩漬け肉とジャガイモ蒸し。ライ麦パンとヤギ乳のチーズ。蒸した香草漬けの鮭と魚卵。トナカイ肉ステーキのラズベリーソースがけ。ピクルス。鰻のフライ。ゲルドが運んできた料理は、冷えた身体を温めるには十分だったが、少しボリュームがありすぎるほどの量だった。エールビールも。ま、少ないよりはいいさ、と礼を言ってビールジョッキを手に取ったフレイだったが、喉を潤してもなおゲルドの姿は消えていなかった。

「あの……昼間はすみませんでした」と言うなり、彼女は深々と頭を下げた。「少し興奮していて……助けてもらったのに、お礼も言わないで――」

「いや、礼は言われた」

「や、あの、すいません。とにかく、お料理とお酒、少しですけどサービスしましたので……すみません。ありがとうございました」

 まくし立てて、ゲルドはフレイの席から去っていった。その後は、何度か目が合うことはあったが、ゲルドから何かを言ってくることはなかったし、フレイからも何をすることもなかった。酒が美味かった。料理も。これは彼女が作ったのだろうか。そうだろう。ひとりでやっている店なのかもしれない。美味かった。ああ、美味かった。たぶん、もう二度と訪れることはないだろうが。


 会計を済ませて店を出る。入口の戸のベルが鳴る。もう一度鳴る。腕を掴まれる。さっきと同じだ。だから追い縋ってきたのは、やはりゲルドだった。

「あの……お料理、いかがでしたか?」

「いや、美味かったよ」

 だからなんだ、もっと褒めろとでも要求しているのか、それともサービスしたからそのぶん過剰に金を払えと言いたいのか――とまではフレイは言わなかった。

「わたし、ゲルドと言います」

「聞いたよ」

「ああ、そうでした……そうでしたよね」ゲルドは慌てたようにぶんぶんと頷いた。「すみません、あの、わたし、昼間、とても申し訳ないことをしたなと思って……」

「うん」

「慌ててしまって……」

「うん」

「あの、名前を聞いてもいいですか?」

 助けたときに名乗ったような気もするが、彼女は覚えていないらしい。「ああ、えっと……ユングヴィ。ユングヴィだ」とフレイは偽名として剣の名を使った。

「ユングヴィ。あの、本当にありがとうございました。良かったら、また来てください」

 一礼してから、ゲルドは店の中へと戻っていく。フレイもすぐに踵を返して駐屯地へと歩を向けた。顔に手を当てると、己の身体の一部だというのに信じられないほど熱かった。エール一杯だったが、酔ったかもしれない。次にこの店にいつ行こうかと、フレイは己がそんな予定を立てていることに気付いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る