第5章
第5章
監察医になって七年。解剖件数も三桁になっていた。僕は、解剖を終え、庶務室で検案書をまとめていた。
「日野、お前、これ参加してみないか?」
「乃木、何だよ、これ」
検案書に名前を付け、保存すると、僕は、乃木から、チラシをもらった。そこにはグリーフケア講座と書かれていた。
「グリーフケア?」
「ああ、グリーフケア、俺たちの死因究明もその一環だろ?」
乃木は、何回かグリーフケアの講習や講座に出ていて、講義もしているようだ。グリーフケアとは、親族や家族、友人、恋人との死別を体験した人の心に寄り添い、世話をすることで、その深い悲しみから立ち直らせることである。僕たちの行っている死因究明もその一環となる。
「ああ、日野君、いいところにいた。実は」
「え、僕に、グリーフケア学会で講演ですか?」
「うん、君も死因究明という形で間接的にグリーフケアに関わっているし、そのきっかけや。そこに至るまでに過程をね」
庶務室にセンター長が入って来て、僕に、グリーフケア学会から、講演をしてほしいと連絡があったとのことだった。
「わかりました。いつですか?」
「えーっと、来週の火曜日だね」
「来週の火曜日ですか」
僕は机の上の卓上カレンダーを見た。予定はレクイエムのライブがあるだけだった。ライブは夜からだし、学会での講演は、昼からで、ライブには十分間に合う。
「分かりました。僕の経験を語るような感じでいいんですか?」
「そうだね、日野君の経験を語ってもらえればいいよ。その経験から、監察医として、グリーフケアに関わることになったこともね」
「分かりました」
僕は、早速、ワープロソフトを立ち上げると、原稿を書き始めた。妻の病気のこと、死別し、うつ病を患ったこと、カウンセリングで臨床心理士の先生と、妻のことについて話したりしているうちに、泣きながらも、僕は、妻の死を受け入れられるようになったこと、すべてを書き上げた。書き終えて、推敲し、実際に読んでみると、依頼された10分以内に何とか収めることができた。僕は、原稿を印刷し、何回も目を通した。原稿に目をやることなく、話すことができるようにするためだ。
「行って来ます」
「解剖は僕とセンター長でやりますから」
「ありがとう」
「日野君、今日は、終わったら直帰でいいよ」
「ありがとうございます」
僕は、解剖を一件終えてから、会場へ向かうことにした。シャワーを浴び、スクラブから、ライトグレーのスーツに着替え、センターからの最寄り駅へ向かった。会場となる、新東京国際フォーラムについたのは、開場の三十分前だった。僕は、会場内にあるカフェで軽く昼食を取り、開場である大ホールに向かった。
「新東京法医学センターの日野と申します」
「日本グリーフケア学会で理事を務めております、池崎と申します。本日は、お忙しい中、お引き受けいただき有り難うございました」
「いえ、僕の経験を話すことで何かお役に立てるなら」
僕は、グリーフケア学会の理事である池崎氏と挨拶をし、奥の控え室に案内された。奥の控え室で、僕は、もう一度、原稿を見返した。控え室にあるミネラルウォーターを手にすると、キャップを開け、口を付けた、緊張しているのか、喉がかなり渇いていた。三分の一ほどを飲み干すと、僕は、原稿に目を通した。しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえた。
「日野先生、お願いします」
「分かりました」
僕は、ミネラルウォーターを片手に大ホールに向かった。舞台袖で、パネルディスカッションが終わり、議論参加者が舞台袖に入ってくる。僕は、参加者と入れ替わると同時に、ステージに立った。
「こんにちは、僕は、新東京法医学センターで監察医をしている日野彰と申します」
僕は、簡単に挨拶をすると、妻の病死から、うつ病を患い、カウンセリングで臨床心理士の先生に妻を亡くしてからの喪失感や、虚しさを打ち明けていくうちに、妻の死を受け入れ、このことをきっかけに、臨床死から、監察医に転向したことを話した。話し終え、一礼すると、拍手が起こった。僕は、開場から上がった質問に答え。講演を終えた。ホールを出たときには、ライブが始まる一時間前になっていた。僕は、タクシーを捕まえると、マスターの店のある、西新宿に向かった。
「マスター」
「おお、日野ちゃん、お疲れ」
「レクイエムのライブ、火星からの生配信だったっけ?」
「ああ、バーチャルシンガーのカノンとな」
レクイエムとは、厚労省の元官僚で結成された、ジャズクインテットバンドだ。ドラム、ウッドベース、クラシックではコントラバスで有名だが、ジャズでは、ウッドベースとも呼ばれている。ピアノ、アルトサックス、トランペット。事務次官であった
「カノンとか?となると、ボーカルありの曲がベースになるのかな」
「セットリストを見ると、ラストがfry me to the moonだって」
「ツアー先ごとでセットリストは変えてるって、レポも上がってますよ」
マスターが、パソコンとプロジェクターをつなぎ、白い壁に映像が映るように準備をしている。カウンター席以外は、楽器の設置されているステージを背に、テーブルが取り払われ、コンサート会場のような椅子の並べ方になっている。
「さて、そろそろ配信が始まるな」
「お客さんも入って来ましたね」
配信開始時間まで30分を切ったころ、観客が入って来た。配信開始5分前になると、座っている客の後ろに立ち見客が入るほどだった。観客たちはビール、ハイボール、ロック、水割りを飲み、配信を待っている。
「Ladies end gentlemen……」
配信が始まった。英語での挨拶が終わり、幕が上がる。一曲目はMoon River.カノンの甘く柔らかな歌声が響き渡る。レクイエムの演奏と合わさり、厚みが増す。観客は彼らの演奏とカノンの歌声に酔いしれていた。一曲目が終わり、拍手が起こる。二曲目三曲目はインストゥルメンタル。ウッドベース、ピアノ、アルトサックス、トランペット、ドラムが奏でるハーモニーに観客たちは体を揺らしている。立ち見の客たちも同様だ。四曲目はfly me to the moon.カノンの歌声が艶っぽくなる。五曲目から七曲目までは再び、インストゥルメンタル。アルトサックスとトランペットがメインの曲のようだ。
「いよいよ最後の曲になりました。最後は、Over the Rainbow」
カノンの声が、ラストソングを告げる。伸びやかで澄んだ歌声が響く。配信が終わると、スタンディングオベーション。観客が総立ちになり、拍手を送った。観客たちが余韻に浸っていると。機材を片付け終えたマスターが手招きをした。
「日野ちゃん。メンバーと話してみない?今さ、ネット電話で話してるんだよね」
「え、いいんですか?」
「ああ、いいよ」
僕は、マスターと共に、店の奥に入った。パソコンの画面には、先ほどまでライブを終えたレクイエムのメンバーがいた。
「君は、臨床医から監察医へ転向したんだってね」
「え、なぜそれを?」
「前のセンター長は、僕の大学時代の後輩でね」
ドラムの逢坂さんが僕に話しかけた。僕は、ヘッドセット越しに聞こえる逢坂さんの声に返答した。元事務次官とは思えないほど、謙遜で穏やかな印象を感じた。
「法医学センターで行われている死因究明は患者さんに対するグリーフケアだと思っているんだ」
「僕もそうだと思います。逢坂さんは、なぜ、厚労省を退官したんですか」
「自分が成し遂げたいことを成し遂げたからかな」
「そうなんですか?」
「僕も、厚労省に在籍している間になんとしても、法医学を臨床医学と同じ位置に立たせたいと思っていたんだ。それを実現した途端、なんだか虚しくなってね」
「そうだったんですね」
「身分を隠して入った、ジャズサークルでドラムを叩いているうちに、自分を含めた、事務方が全員同じサークルに入っていて。一度、セッションをしたら楽しくてね。セッションを繰り返しているうちに」
「いっそのこと、官僚を辞めて、ジャズバンドを組もうと言うことになったんですか?」
「そうだね。最初は、インディーズのジャズレーベルで音源を配信したり、ライブ映像を配信したりしてて、ジャズを配信するメジャーレーベルの人の目にとまって。デビューして、今に至っているという所かな。日野君と言ったね。君はなぜ、臨床から法医学へ進もうと思ったのかい?」
「僕は、七年前に妻を亡くしました。その時、死因を究明できなかったことと、喪失感から、うつ病を患い、カウンセリングの中で、僕は、死因を解明して、僕のように、『なぜだろう』、『どうしてだろう』と言う思いをする人をひとりでも亡くしたいと思い、法医学の道へ行くことを決断したんです」
「そうだったのか、今でこそ、死因が法医学センターによって解明されて、君のように『なぜ』、『どうして』と言う人が独りでも減り、救われる人が多くなった。僕が尽力したことが実を付けたことがとてもうれしいよ。頑張って」
「ありがとうございます。マスターに代わります」
僕はマスターにヘッドセットを渡すと、フロアに出た。マスターはメンバーと一時間程度話をすると、ネット電話を切った。
「おはようございます」
「おはよう」
翌日、僕は、センターでいつものように仕事をしていた。これからも僕は、答えの出ない問いを繰り返すことになるだろう、それでも、僕は、ご遺体と向き合い、答えの出ない問いを繰り返させないために、日々、歩き続けていく。沙雪、君が住む、光あふれるその場所に行くまで、僕は、より多くの人の死因を究明して、人々を救っていくよ。だから待っていてほしい、僕が光あふれる場所へ行くその日まで。
鎮魂 ーrepose of soulsー 天城ゆうな @ring1124303
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