4-4.

 パンケーキの礼もそこそこに二人は部屋を出て行き、ようやく室内の空気が落ち着いた。

「まだパンケーキの種ありますけど、焼きます?」

「うん……」

腹に入る予定だったパンケーキは彼女たちに食われてしまったので、俺は即座に頷いた。

 程なくしてキッチンから香ばしい匂いが漂い始め、パンケーキのおかわりが運ばれてきた。

「さて……。ええと、いつもの『どこで気付いたのか?』ですね」

お茶を淹れて正面に座った春日原は、いつもはわざと合わさないようにしてくれる俺の視線に目を合わせて、口を開いた。

「端的に言えば、『ミチカさんだけ、状況が他殺と断定できなかったから』です。ヒロさんも怪しかったですが、ミチカさんの遺体が崖下ですぐに見つかったという点で、雪が積もっていなかった、つまり一度動いたのではないかと」

つい逸らしてしまった先にあった、きつね色のパンケーキにかかるいちごジャムが、段々と肌から流れる血に見えてくる。

「先ほど調べていらっしゃったのでご存知かと思いますが、凍死は正確な死亡推定時刻が割り出しにくい死因です。そして、ゆっくりと体温が下がって身体機能が低下することで死に至るため、毒よりは苦しまないとも言えます。あとは――、早期に見つかれば、死体が比較的綺麗な死因でもありますね」

「……」

「他に質問はありますか?」

ミチカがそこまでの凶行に走った理由も謎だが、今の俺にはそれよりも、もっと気になることがあった。

「……春日原は、なんでそんなことを知ってるの」

何者かと、輪郭のぼんやりしたことを聞いてもはぐらかされる。ならば一つずつ具体的に聞いてみるしかない。

 春日原は俺の問いに、ふ、と微笑んだ。

「初めは、特別興味があったわけじゃないんです」

紅茶に角砂糖を一つ入れてゆったりとかき混ぜながら、ぽつりと言う。

「ただ――父の職業柄、そういった類いの本や資料が家にたくさんあったもので。暇つぶしに読んでいたらいつの間にか、妙な知識ばかり増えてしまいました」

「……お父さんは、何の仕事?」

「研究職です。と言っても本職は別で、半ば趣味のようなものでした」

随分良い趣味をお持ちのお父上である。今はそれ以上答える気はないようで、神出鬼没で変わり者の少年は、琥珀色の液体を静かに口に寄せた。


*****


 伊積警察署に設置された捜査本部は、一人の刑事の指摘によって大騒ぎになっていた。

 被害者のブログでミチカと書かれていた女の、全てを告白する遺書が出てきたらしい。更に、彼女が二日目の朝以降も生きていたことを裏付けるように、遺体発見現場から少し離れた場所で、崖上へ登る真新しいロープと、ミチカの靴と同じサイズの雪を踏んだ跡も発見されたとのことだった。

 そして、山中で起きた凶悪な殺人事件の顛末は、すぐに浮草市まで伝わってきた。

「……おい、お前」

「はいっ?」

事件の資料を妙にそわそわしながら見ている部下を見て、権藤の長年の刑事の勘が働いた。

「捜査資料を簡単に部外者に見せるなって、同期に言っておけ」

「はい……」

ばれたか、と頭を掻く飯島を見て、権藤は大げさにため息をついた。

「でも聞いてくださいよ。歌ヶ江さん、今度は例のブログの文章を読んで、現場の状況を聞いただけで犯人を当てちゃったんですよ」

「どうせ、隣にあの小さいのもいたんだろ」

「もちろんいました! ついでに言うと春日原くん、二年前に伊積市で引ったくりも捕まえてました」

その言葉に、権藤の眉間の皺が更に深くなった。

「権藤さん、どうしました?」

「……ただの偶然で、一人の人間が短期間にいくつも刑事事件に関わると思うか?」

「え? でも……」

飯島ももちろん気になってはいたが、偶然と呼ぶ以外に言いようがない。すると権藤は、白髪交じりの後頭部を掻き不愉快そうに聞き返した。

「……浮草モールの事件の時。犯人に入れ知恵した奴がいるって言ったこと、覚えてるか」

「はい。言われたとおり、誰にも言っていません」

初めて歌ヶ江、春日原の二人と遭遇した事件だ。以来、権藤は独自に調査しているようだが、進捗はあまり芳しくないようだった。

「学生マンションの事件の時も、手紙で唆した奴がいただろう」

「結局、携帯電話の出所もわからず終いでしたが……」

「今回に至っては、被疑者死亡で唆されたかどうかすらわからん。共通点は『春日原六助が解決してる』って部分だけだ」

あのチビッコだのだのもじゃもじゃだのと言う権藤が、珍しく春日原のフルネームを口にしたことに気を取られた飯島だったが、すぐに「あれ?」と首を傾げた。

「待ってください、あの、事件の犯人を言い当てたのは、歌ヶ江さんですよ?」

「その前に細かいこと聞いてきたのは春日原のほうだろ」

「それは……、確かに」

「つまり、歌ヶ江よりも早く、少ない材料で結論に辿り着いてるってことだ。質問してくるのは相方にヒントを出すため。タチが悪い」

チッと舌打ちする権藤の横顔を唖然として見る飯島。

「……権藤さんは、春日原くんを疑ってるんですか?」

「いや。自作自演なら、目的はてめえのすごさをひけらかすためなんだから、自分で犯人を指摘するだろう。わざわざあの目立つ兄ちゃんを『探偵役』に仕立てたってことは、その逆――自分が探偵役になっちゃいけない理由があるってことだ」

「ってことは、春日原くんが教唆犯を知っていて、そいつを追ってるってことですか!?」

素っ頓狂な声を上げた部下の頭を、権藤は近くの書類の束を丸めて叩いた。

「声がでかい。その可能性があるってだけだ。何しろ、モールの時も学生マンションの時も、あいつは事件が起きる前からその場にいた」

「……まるで、事件が起きるのを知ってたみたいに、ですか」

「そこが分からねえんだよ……」

喉の奥で低く唸る権藤に釣られ、飯島も同じように腕組みして唸るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る