3-3.

 白を基調とした、左右対称の木造建築。それなりに築年数は経っていそうだが、きちんと手入れが行き届き、持ち主同様の上品な佇まいだった。

「まずはお昼にしましょう。歌ヶ江くんはよく食べるって聞いて、多めに作らせてあるの」

案の定というか、花枝嬢は味坂から、どうでもいい情報ばかり知らされているようだ。


 食堂は広々としており、シンプルながらも重厚感のある、賓客を招いてパーティーができるような設計だった。こんな天気でなければ、大きな窓から美しい庭の景色が見られたことだろう。

 「お口に合ったみたいで、良かった」

黙々と料理を口に運んでいる俺に、花枝嬢が話しかけた。

「……はい」

楽しく談笑しながら食べるものなのだと気付いた時には、既にサラダを平らげ、ペペロンチーノの半分がなくなっていた。お世辞抜きに美味いのだ。始めにとても美味しいと感想を述べていた春日原も、その後は珍しく、黙って食事に取り組んでいる。何やら真剣な顔でちびちびと食べ進めているところを見ると、もしやレシピを推測して再現するつもりか。

「波佐間さん、昔大きなホテルで料理長をしていたんですって。私はその頃を知らないけれど」

紹介されて、部屋の端でデザートの仕上げをしていた初老の男性が会釈する。チェックのフランネルシャツにエプロンというラフな格好だが、きちんと整えられた白髪交じりの髪と、柔和な顔立ちの中に鋭さの光る目元から、誇りを持って仕事をする職人の気配が感じられた。

「……美味しいです。すごく」

「光栄です」

「ふふっ」

饒舌な食レポをするような技術も度胸もない。拙い感想を伝えると、何故か花枝嬢に笑われた。


 と、不意に廊下から足音がして、食堂の扉が少しだけ開いた。

「誰か来てる? ああ、失礼。花枝のお客が来るのは、今日だったか」

顔だけ覗かせたのは、やや疲れた顔をした男性。俺たちを見て、軽く頭を下げた。

「お兄ちゃん。まさか、今起きたの?」

髪には寝癖が付いたままで、ヒゲも少々伸びている。どうやら、こちらから見えない胴体部分は寝間着のままだ。

「うん、久しぶりにゆっくり眠れたよ」

「もう一眠りしてきたら? 二人が帰るまで、起きてこなくてもいいよ?」

「相変わらず冷たいな、花枝は」

「そんな格好を来客に見せにくる方が悪い」

「わかりました、整えてから出直します」

仲が良さそうな短い喧嘩の後、男性はすぐに顔を引っ込めた。

「お兄さん、ですか?」

「そう。二番目のね」

花枝嬢は三人兄妹だという。長男は腕利きの実業家として界隈では有名で、いずれ花巻グループを継ぐのは確実だろうと言われていた。

「もしかして、芳川葉次さんじゃないですか? 俳優の」

「よそ行きと全然違う身なりなのに、よく分かったね、春日原くん」

俳優の芳川葉次といえば、舞台から名前が売れ始めて、最近テレビにもよく出るようになった演技派だ。あまりにもくたびれた様子だったものだから、全然気がつかなかった。

「人の顔を覚えるのは、得意なんです」

「便利屋さんの人気ナンバーワンが持つ技術か」

のんびりとフォークにパスタを絡ませながら、花枝嬢は春日原の特技に感心した。

「ここのところ、休みの日も週刊誌の記者に追いかけられて気が休まらないって言うから、ここを勧めたの。居場所がわかったところで、簡単に近寄れないでしょ? もし勝手に上陸されても、遠慮なく不法侵入で通報できるし」

周辺の海を通る漁船も、この島が花巻家の所有であることを知っているため、近寄ろうとはしないという。この上ない避難先だった。

「それに、今時携帯電話も繋がらないなんて、面白いと思わない?」

「繋がらないんですか、ケータイ。道理で、今日は静かだと思いました」

尻ポケットからスマートフォンを取り出した春日原が、ホントだ、と小さく呟いた。俺も確認すると、久しく見ない圏外の文字。

「固定電話は引いてあるし、インターネットもできるから、案外快適だけどね。何か不便があったら言って」

飛行機みたいなものだよ、と花枝嬢は笑った。


*****


 壁に掛かった時計の針が二時を指す頃には、窓の外は更に風が強まり、雲の切れ間から見えていた青空も、いよいよ見えなくなった。

「こっちに目線くれる?」

一階の広間で、俺は言われるままに窓から声のする方へ顔を向ける。

「そのまま、うん、すごくいい」

ろくに表情も作れないというのに、素人目に見ても高そうな一眼レフカメラで俺を撮る花枝嬢は、上機嫌だった。

「さすが、歌ヶ江さんは何でも似合いますね」

用意されていた衣装は、装飾の多いスーツのような、軍服のような服だった。――色合いからして、何かのキャラクターのコスプレ衣装のような気がするが、深く聞かないことにする。

「写真を見た時に、間違いないと思ったの。完璧」

髪もいじられているせいか、余計に落ち着かない。

「とってもかっこいいですよ、歌ヶ江さん」

春日原はレフ板を持たされたり家具や小物を移動させられたり、楽しそうに花枝嬢の指示で働いている。裏切り者め。

「身長しか聞いていなかった割に、服のサイズが合って良かった。こんな騙し討ちみたいな依頼の仕方じゃなければ、事前に採寸させてもらいたかったのだけれど」

よし、今度味坂を見かけたら、出会い頭に一発殴ろう。

「このお屋敷がまた、ちょっと現実離れした衣装が映えますね」

「そうでしょう? 祖父が有名な建築家に依頼して建てたものでね。すごく気に入って、遺産相続の話し合いの時に真っ先に譲ってもらったの。どうせ両親も兄も、こんな辺鄙な場所の別荘なんか要らないって言うと思ったし」

花枝嬢の本職はファッションデザイナーなのだという。家業を継ぐ気のない彼女は、比較的自由に暮らしているとのことだった。

「話は変わりますが、坂田さんは本土に戻られたんですか?」

「いいえ。今日はここに泊まってもらって、明日、貴方たちと兄を乗せて帰る予定。どうして?」

「船着き場で別れてから、お見かけしていないなと思って。天気が悪くなってきましたが、まだ外にいらっしゃるんでしょうか」

 春日原の言葉を聞いて、花枝嬢は一瞬、何か考えるように視線を下に落とした。それから、ちょうどお茶をワゴンに載せてきた山口に訊ねる。

「……山口さん、坂田さんは?」

「え? ……そういえば、お戻りになられていませんね。いつものようにお庭を見られているのかと思っていましたが……」

「一緒に戻ってこなかったの?」

「ええ、先に戻るように言われましたので……」

「さすがにこの天気じゃ、庭仕事もしてないでしょう。ある程度は昨日のうちに対策していたはずだし……。もしかしたら、船に何かあったのかも。行ってみましょうか」

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