3-2.

 高い波と吹き荒れる潮風を受けながら、クルーザーは海を走っていた。

「風が強いですね。台風が近づいてるみたいですよ」

容赦なく髪をもみくちゃにされながら、春日原がスマートフォンの天気予報を見た。やっぱり、秋になったなんて嘘だ。

「……帰って来られるのかな」

同じく視界を遮ってくる髪が邪魔だが、この強風ではいつも髪を留めている細いヘアターバンは無力なので、首に掛けている。

「予報では夜のうちに通り過ぎるそうですから、おそらくは大丈夫かと」

 現在は午前十一時を少し過ぎたところだ。これから依頼者の別荘がある島に向かい、一泊して明日の昼まで滞在する予定だった。

「まあ――。嵐の孤島、という奴です」

めまぐるしく形を変える雲を見上げながら、呟く春日原。

「……嫌な言い方しないで……」

「悪路ですみません、大丈夫ですか?」

クルーザーの運転手は坂田と名乗った。

「大丈夫です。こちらこそ、こんな日に運転させてしまって申し訳ないです」

「お気遣いなく。元々、島に物資を届ける予定があったんです。お客様がいなくても運航してましたよ」

坂田はこれから向かう島の持ち主に雇われ、島の管理や雑用をこなしているのだそうだ。小柄ながら逞しい身体つきに、日に焼けた赤ら顔の中年男性だった。旧家の使用人と言うよりも、漁師のような風体だ。

「島がまるごと個人の持ち物だなんて、すごいですね」

「まあ、天下の花巻グループですから。考えることが違いますよ」

花巻グループと言えば、国内でテレビやインターネットを利用している者なら必ずどこかで関連企業のCMを見たことがあると言っていい、多角的な事業展開をする超巨大企業だ。少し調べたところによると、元は大名から商人に転向して成功した家柄なのだという。

「そんなお家の方なら、破格の報酬でも納得ですね」

と、春日原は笑ったが、俺はどうにも不安が拭えないのだった。


*****


 小一時間波に揉まれて辿り着いた島は、歩いて一周してもさほど時間は掛からなさそうな、こぢんまりとした島だった。

「初めまして。私が依頼主の、花巻花枝です」

嵐で船が流されないよう坂田が念入りに係留する横で、島の主は俺たちを淑やかに歓迎した。

「歌ヶ江さん。私のわがままを聞いてくださって、ありがとう」

長い黒髪を後頭部の低い位置で簡単にまとめた、すらりと姿勢の良い女性。歳は俺よりも少し年上、二十代の半ばから後半ほどに見える。一層強くなった風の中でも凛とした空気を纏い、一種の迫力すら感じられる美女だった。

「いえ……」

一方こちらは、所詮報酬に釣られただけの卑しい庶民だ。世が世ならお姫様だった身分のご令嬢に礼を言われるような者ではない。

「噂に聞いていた通りの寡黙な方ですね。短い間ですけれど、よろしくお願いします」

気の利いた返しのひとつもできない俺の素っ気ない返事に、切れ長の視線がわずかに細くなる。

「……すみません……。よろしく、お願いします」

味坂は、花枝嬢に俺のことをどのように説明しているのだろう。彼女が写真で見た俺の何を気に入って指名したのかは分からないが、きちんと、引きこもりで陰気で喋るのが苦手なただの若者だと、このご令嬢に知らせているだろうか。いや、間違いなく言っていない。お喋りのくせに重要なことに限って言わないのだ、あの男は。

「それで。きみが歌ヶ江さんの付き人の、春日原くんね?」

「柳川お悩み相談所の、春日原六助と言います。よろしくお願いします」

花枝嬢のほうが、春日原より少し背が高い。春日原はいつも通り愛想良く一礼し、割引券付きの名刺を渡した。

「よろしく。こっちは家政婦の山口」

「山口と申します。ご入り用のことがございましたら、何でもお申し付けください」

後ろに控えていた丁寧な物腰の中年女性が、紹介されて深くお辞儀した。

「とりあえず、建物の中へ入りましょう。こう風が強いと、会話もろくにできないですから。山口さん、坂田さんの手伝いをお願い」

「承知いたしました」


 花枝嬢にいざなわれるまま細い林道に入ると、風がいくらか落ち着いた。先導する花枝嬢の後ろ姿を見ながら、左隣をちょこちょこと付いてくる春日原が俺を見上げた。

「歌ヶ江さん、乗り物には強いんですね。少し意外です」

俺の船酔いを心配していたらしい。もちろん、春日原自身は全く動じていない。彼に弱点などあるのだろうか。嫌いな食べ物くらいはあると思いたい。

「……旅行は、嫌いじゃないよ……」

「家から出るのは、あんなに嫌がるのにですか?」

「……」

確かに家を出るまではすこぶる面倒くさいと思っているが、一度出てしまえばそれなりに楽しむ。

「そういえば今日の依頼も、味坂さんと歌ヶ江さんが旅行に行った時の写真を、花巻さんがご覧になったことが切っ掛けだそうですね」

すると、花枝嬢が振り向いて頷いた。

「とてもいい写真でしたよ」

ふふ、と上品に微笑む。おそらく大学の秋休みに京都に行った時の写真だとは思うが、どんな写真だっただろうか。断る間もなく味坂が通行人に撮影を頼み、無理矢理肩を組まれたことは覚えているのだが。

「写真を撮られるのがお好きではないとは聞いています。そんな相手をお金で無理矢理従わせるのはスマートではないと思ったのですが、本当に、どうしても歌ヶ江さんに被写体になってほしくて」

「引き受けたからにはお仕事ですから。ね、歌ヶ江さん」

妙ににこやかな春日原の態度で、俺は感づいた。

「……三人は、グル?」

「もう気付いたの? 勘が鋭いのも噂通りか」

俺の発言を聞くなり、花枝嬢は急に態度を軟化させた。どこから仕組まれていたのだろうか。――電話が掛かってきた時には、少なくとも味坂と花枝嬢は打ち合わせ済みだったに違いない。春日原は途中で察して、より面白くなりそうなほうに乗ったのだろう。謀られた。

 今から引き返せば、まだ坂田が船に乗せてくれるのでは。来た道を見やったが、

「着いたよ。ようこそ、花巻家の別荘へ」

全く悪びれない花枝嬢の声に再度振り返ると、そこには立派な洋館が建っていた。

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