2-3.
『雨の日は滑りやすいので注意』と張り紙のされた非常階段の扉を見やり、村岡は低い声で訊ねた。
「……つか、マジで今井、死んだんすか」
村岡の様子を見て、権藤刑事が目を細める。
「知り合い、ですか」
「学部も一緒だし、よく酒とか飲んでて」
それなりに親しい関係だったようで、辛そうに俯いた。
「事故か自殺か、ってさっき言ってたけど、アイツが自殺なんかするわけないっす。明るくて、友達も多かったし」
村岡は、まだ友人が死んだこと自体を認めたくないかのように、突き放し気味に言った。
「なるほど……。ちなみに、他の三人は? 今井さんと面識はありましたか」
権藤刑事が、念のためです、と付け加えながら訊ねる。
「すれ違ったことくらいならあるかもしれないけど……。名前も今日知りました」
伊崎は首を振り、
「真下の部屋なので。夜中に仲間と騒いでる音がうるさくて、注意しに行ったことくらいなら」
国枝は、ばつが悪そうにぼそぼそと頷いた。
「春日原くんは?」
「僕はご存知の通り、部外者ですから。ご依頼のあった部屋の方以外とは、面識はありませんね」
飯島刑事に訊ねられ、首を振った。すると国枝が、次の獲物を見つけたと言わんばかりに口を挟んだ。
「ていうか、あんた誰? 随分警察と仲が良さそうだけど」
「便利屋です。七○二号室の方から、部屋の掃除の依頼を受けて来たんですけど……。ご不在で」
春日原は律儀に、国枝の質問に答える。伊崎が、近所の中学生かと思ってた、と小さく呟いた。
「七○二の奴なら、今日は戻ってこないんじゃないか? 今朝、旅行に行くみたいな大荷物持って出ていったから」
村岡が、身体の前に持ってきた松葉杖に体重を預けながら言う。
「えーっ、ホントですか。困りましたね」
それを聞いた春日原は、ポケットからスマートフォンを取り出し、どこかに連絡を入れ始めた。
「春日原くん、家主が不在なのに、どうやって部屋の中に入ったんです?」
首を傾げる飯島刑事。
「ええっと、その……。鍵が開いていたので」
春日原は少しだけ言いよどみ、てへ、と可愛らしく小首を傾げて誤魔化した。
「また? アイツ、不用心だよなあ。この前なんか、ドア全開で出かけててさあ」
「そうなんですよォ。常連のお客さんなんですけど、戸締まりしないと危ないですよって知らせるために、ちょっと悪戯してやろうと思って」
終いには、先ほどまで暗い顔をしていた村岡と、和やかに談笑しはじめた。相変わらず、緊張感を霧散させるのが上手い。
「それで。該当の時間、何か不審なことはなかったか」
わざとらしく咳払いをして、権藤刑事が話を戻した。思い切り住居侵入の現行犯である春日原だが、家主と知り合いということなので、刑事たちはひとまず黙認することにしたようだ。
「伊崎さんが聞いた音は、僕も聞いたような気がします。ただ、部屋の中でもなだれが起きたりしていたので、その片付けを優先してしまって。雷も鳴っていましたし、まさか人が落ちる音だなんて思いませんでしたから」
好奇心旺盛な春日原が周囲の音を気にしなくなるほど集中しなければならないとは、七○二号室の住人はかなりの難敵のようだ。
「飯島刑事、今井さんはどれくらいの高さから転落したんですか?」
「まだ詳しいことはわかっていませんが、直後の検死では、かなり高いところから落ちたようだと」
「四階よりも、ですか」
「はい、もっと高いところ――。少なくとも、七階か屋上くらいではないかと」
それで、警察は伊崎をすぐには拘束せず、事故方向で捜査をしていたわけだ。
「ホラ!」
伊崎が、先ほど散々な扱いをしてきた国枝を睨む。
「フン。七階から突き落として、四階まで降りてきたところだったかもしれないじゃないか」
しかし国枝も、まだ引き下がらない。
「大体、そういうあんたは雨の中、駐車場で何してたんだよ」
今度は伊崎が反撃した。
「ちょうど外から帰ってきたところだったんだよ。悪いか」
「ここで言い合いをしないでください」
ぎゃあぎゃあと言い合いをする二人の間に、飯島刑事がうるさそうに仲裁に入る。
「賑やかだなあ」
不意に、七○五号室の扉が開いた。出てきたのは、眼鏡を掛け耳にペンを挟んだ、初老の男性。作業着のような服と帽子は、テレビドラマで見る鑑識の制服だ。
「権藤くん、飯島くん。ちょっといいかい」
「早坂さん」
飯島刑事が、ぱっと顔を明るくした。
「何か見つかったか」
鑑識の早坂は、眼鏡をずらして刑事と手元のバインダーを交互に見ながら、頷いた。
「関係があるのかわからんけど、部屋の流しに、まだ乾いてないコップが二つあってね」
「転落する直前に、来客があっていたってことですか?」
「可能性は高いね」
「……じゃあ、その来客はどこに消えたんすか」
村岡の言葉に、しん、と静まり返る廊下。ただでさえ湿った空気が、更に重くなった。
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