2-4.

 鑑識の早坂は、重い空気を物ともせず、再び口を開いた。

「話してもいいかね。もう一つ、部屋のゴミ箱から、ちょっと気になるもんが出た」

「気になるもの?」

「これ」

ビニール袋に入れられていたのは、クシャクシャになった銀色の何か。薬の錠剤の包装のようだった。

「……何の薬ですか」

「睡眠薬」

「それって!」

にわかに廊下がざわつく。もし、亡くなった今井の体内から同じものが検出されたら。

「市販に売ってるもんじゃないんだよな、コレ。効果が強いから、病院で処方されないといかんのよ」

「強いって、どれくらい……?」

「個人差はあるけど、一般的に処方される量でも、三十分もすりゃフラフラになるんじゃないかねえ」

「……もしかして、俺が病院で貰った奴?」

恐る恐る口を開いたのは、村岡だった。

「怪我したばっかの頃、足が痛くて眠れなくて。仕方ないから、鎮痛剤と一緒に使える睡眠薬貰ったんすよ」

集中する視線に居心地が悪そうにしながら、村岡は話した。

「その薬、その後どうされました?」

「常用するのはよくないっつーから、一、二回しか使ってないっす。っつーか……」

村岡は少し言い淀んで、

「何か?」

「なくしたんすよ、その後。外で使うもんじゃねぇし、あと一回分くらいだったから、間違って捨てたんだと思って忘れてたっす」

「そんなこと言って、今井に飲ませて突き落としたんじゃないのか? あんたが来客なら、同じ七階なんだから帰るのも簡単だろ」

もはや誰にでも噛み付く国枝がやはり突っ込んで、

「いい酒飲み友達だったんだ、殺す理由がねぇよ! それに、この足でどうやって、大の男を突き落とすっつーんだ」

怪我をしているとはいえ、ガタイのいい村岡に凄まれて、国枝は少し怯んだ。

「な、なんだよ、可能性の話をしてるだけだろ」

「もう、喧嘩しないでください!」

間に入った飯島刑事にぴしゃりと叱り付けられ、渋々黙る二人。

「もし、今井さんの部屋から発見された睡眠薬が村岡さんの部屋にあったものだとしてもですよ。村岡さんと今井さんは部屋の行き来のあった間柄ですから、今井さん自身が何か理由があって持ち帰り、服用した可能性もあります。フラフラになった状態で非常階段に出て、足を滑らせたのかもしれません」

「じゃあ、やっぱり事故じゃん」

「その可能性が、強くなってきましたね……」

再び振り出しに戻った議論を破ったのは、やはり春日原だった。

「事故だとすると……。今井さん、土砂降りの非常階段で何をしていたんでしょうね」

ぽつりと言った春日原が見ていたのは、今し方早坂が出てきた、七○五号室の扉だった。

「電話でも掛けてたんでしょうか。天気が悪い日って、家の中にいると電波が悪くなることありますよね」

春日原は、更に畳みかける。

「いえ、今井さんのスマートフォンは、部屋の机の上に残されていましたよ」

「あれ、そうなんですか。……ちなみに、最後に電話した相手とかは」

「夕立のあった時間に、登録されていない番号から一件、あいてっ」

滑らかに情報を漏らし続ける飯島刑事の後頭部を、権藤刑事が無言ではたいた。

「相手はわかってないんですか?」

「……まだ照会手続き中だ。プライバシーだ何だつって、最近は簡単に情報を教えてくれなくてよ」

めげずに訊ねる春日原に、権藤刑事は苦々しげに答えた。お前もあんまり訊ねるなと言いたげだ。

「世知辛いですね……。じゃあ、今井さんは発見されたとき、特に持ち物はなかったんですね」

「はい。近くに脱げたサンダルが落ちていたくらいですかね。軽装でした」


*****


 一方その頃、完全に蚊帳の外の俺は、どうしたものかと思いながらその光景を見ていた。黙って帰るわけにも行かず、さりとて完全に部外者の俺がいつまでも話を聞いているのも、おかしな話だ。頃合いを見計らって、春日原もろとも帰らせてもらえるよう口を挟みたいところだが、この状況でそれができるならば、俺の人生はもっと明るかったに違いない。

 自分の肝の小ささにしんみりしていると、尻ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。

 確認すると、春日原からのメールだった。いつの間に、しかも普段連絡を寄越してくるメッセージではなく、メールとは。そういえば先ほど、七○二号室の住人の行方を村岡から聞きながら、スマートフォンをいじっていたような。まさか、予約送信か。


 内容を確認して、俺は小さく息を呑んだ。

 書かれていたのは、今回の転落事故を企てた犯人の名前。そして、見るべき箇所、三人に確認して欲しいこと、そして刑事たちに確認して欲しいこと。

 ――また、『探偵役』をしろということらしい。

 大変気が乗らないが、度々作ってくれる夕食代くらいは働くべきか。

「……あの」

俺は渋々、なけなしの勇気を振り絞って、口を開いた。

「あっ、歌ヶ江さんすみません。ほったらかしちゃって」

白々しく春日原が恐縮する。

「……少し、参加してもいいですか」

住人たちの、不審者を見るような視線にさらされて心が折れそうになりながら、俺は春日原からの指示が書かれたスマートフォンを隠すように、尻ポケットに戻した。

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