表現者になりたかった

夕暮 社

「 」

 結局のところ、僕には才能が無かったんだと思う。


 自己を表現する才能。

 自分を好きになる才能。

 相手に感情を伝える才能。


 そういうものが何もなかったんだ。

 それなのに、僕は表現者に憧れてしまった。

 表現者になりたかった僕は、才能が無いからこうして今に至るわけなのだけれど。


 表現者。

 漫画家、小説家、画家、音楽家、etc……。


 なんでもよかった。とにかく“なにか”になりたかった。

 自分はここにいていい人間だと証明したかった。

 『なんでもいい』……なんて、そんな曖昧な考えを持っている時点で、僕に表現者たる資格は無かったんだろうな、と今ならわかる。


 最初は漫画家を目指した。

 絵を描くのは嫌いじゃなかったし、工夫すれば僕でも出来ると思った。

 けれど、出来なかった。

 漫画家というのは様々な職業が氾濫する現代社会において、最も困難な仕事の一つだと、しばらく経って気づいた。

 物語を考え、物語に合った人物を描き、背景を描き、コマを取り、色を加える。

 普段、自分が何気なく読んでいた漫画が、漫画家たちの血と努力の結晶だということに、遅まきながら気づき、僕は折れてしまった。

 小学生から中学二年生まで続けていた絵を描くという作業を、僕は簡単に手放した。


 次に小説家を目指した。

 小説家なら、絵は描かずに話を考えることだけに集中できて漫画家よりも簡単だと思ったからだ。

 けれど出来なかった。

 小説というのは、漫画と違って全てを文字で表現しなければならないことに気付いた。

 登場人物が何処にいて、何を考え、何をしているのか、目的は何なのか、物語の目指す場所は何処なのか、作者は物語を通して何が言いたいのか。

 全てを書き連ねる事の困難さは、それこそ筆舌に尽くしがたいと言っていい。

 中学三年生から高校二年生まで続けてきた努力ともいえない無為な時間を、僕は簡単に放棄した。


 たったそれだけで、僕は全部を諦めた。

 画家になろうとは思わなかった。

 音楽家になろうとも思わなかった。

 他のなにかになろうとも思わなかった。

 僕が憧れた表現者たちは、きっと僕の知らないところで血の滲むような努力をしている。

 僕はきっと努力それに耐えられない。


 結局、僕には才能が無かったんだ。

 一つの事柄を一生懸命努力する才能が。

 一つの事柄に執着する才能が。


 人生の中で最も大切な学生時代を、僕は丸々自分から手放して、放棄して、投げやりのまま全部が中途半端に終わった。


 過去に戻れるのなら戻ってやり直したい。

 自分は表現者には向いていない、と過去の自分に教えたい。

 自分おまえは表現者になりたいんじゃない。ただ人よりも少し変わったことをして、注目を浴びたかっただけだ。ちやほやされたかっただけだ。特別感に溺れたかっただけだ。そんな気持ちの奴は、一生をかけても表現者にはなれない。

 そう、過去の自分に言いたかった。


 けれど人生は残酷で、時間は問答無用に過ぎていく。人ひとりの後悔なんて気にもせず、誰もが夢を語らいながら街を闊歩する。

 現在いま残っている僕のからだは、まるで何もない空洞のようで、薄っぺらな人生を体現するかのような空虚さしか、手元には残されていなかった。

 人生を棒に振るとはまさに僕のためにあるような言葉だ。

 執着心が無く、情熱の無い僕が築いてきたことと言えば。

 人よりもほんの少しだけ絵が描けて。

 人よりもほんの少しだけ文章が書ける。

 そんな、毒にも薬にもならないものだけ。


 くだらないと自嘲するしかない。

 ここまで空っぽな人間が出来上がるとは、両親も思わなかっただろう。


 僕は空っぽな過去を引きずりながら、これからも生きて行かなくちゃいけないのか?

 そんなことに耐えられるだろうか?

 こころざしが無く、醜く膨れた自尊心と虚栄心を引きずりながら、これから先の何十年という時間を、僕は過ごして行かなくちゃいけないのか?

 人生ってやつは。自分の人生は、こんなにも空っぽで重たい荷物を抱えなきゃいけないのか?

 そんなことを、高校三年生から大学一年生まで考えた。

 そして……



 空っぽな僕は、やっぱり、いつものように、を簡単に捨てた。



 まだ二十歳じゃないか、と人は言う。

 まだいくらでもやり直せる、と人は言う。


 僕は言う。


「そんな言葉を吐けるのは、あなたたちが僕自身じゃないから言えるんだ。」


 空っぽな僕は、結局何も為せないまま。

 差し伸べてくれる周囲の手すら握れず、びくびくと怯えながら駅のホームにいる。



 遠くから、電車が走る音が聞こえる。

 がたんごとん。がたんごとん。

 次に通るのは急行だった。減速なんてされなかった。



 僕は、震えながらわらいながら、その音の下に飛び降りた。

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