第3章(9)
シャワーも浴び、このままパジャマに着替えていいのかそれとも普通の格好のままでいた方がいいのか十五分ほど悩んでから、「まあ、雫石君だからいいか」とパジャマでいることにした。
部屋に戻ると、気持ちよさそうにスヤスヤと眠っている峻哉君の姿が目に入った。
まあ、色々とツッコミどころある状況だけど。
どうしよう。さすがに私まで寝るわけにはいかないよね……。
それに、まだ同年代の男の子と同じ部屋で寝たことなんてないし……言い方。
というわけで、私はベッドの側面に背中を預けながら、本を読んで寝ている峻哉君が起きるのを待つことにした。
そして、陽が昇り始めた頃。
のそのそと寝ていた王子様がお目覚めになった。
彼は、体を起こすと顔をグルングルンと回す。
そして、私と目が合うと、一瞬で気まずそうな表情へと変わった。
「……どうして、僕はここにいるの?」
そして、「彼」の目覚めの一言で察した。
今、ここにいるのは「土曜日の彼」だと。
「……なるほど、それで酔った北上さんを送って家に入った僕はそのまま気絶するように寝てしまったと……」
お互い朝の身支度を簡単に済ませてから、部屋に顔を向かい合わせながら簡単に事の顛末を彼に話した。
彼が洗面台で顔を洗っているときは異様にドキドキしたのを覚えている。ちゃんと洗濯物は洗濯機に入れていたし、下着とかも落ちていなかった。いやまあ、普段もちゃんと洗濯機に入れているから大丈夫だと思うし、一度確認までしたんだからと言われるかもだけど、それでも。
やっぱり緊張するものは緊張する。
「……へぇ、でもそういうときってそうなるんだ……初めて知った」
「ん? 何か言った?」
「いや、なんでもない」
そして、午前中の柔らかい日差し差し込む部屋に、一瞬の静寂が訪れる。
「……あのさ、できれば、土曜日、僕は一日中寝ていたってことにしてくれない?」
しばらく彼は考えるように黙ったあと、こう私に言った。
「勝手なこと言っているってわかってる。でも……そうしてもらえると、助かるんだ」
「どうして? なの?」
「……それは、言えない。……なんか取引みたいで嫌な話だけど、そうしてくれたら飲み会のことは綺麗に忘れる。……だから、お願いできないかな……」
何か釈然としない気持ちにはなった。でも、私にも巻き込んだ負い目があるから、嫌だとは簡単に言えなかった。
「……わかった、いいよ。そういうことにする。でも、そうなるともう一晩私の家に泊まらないといけなくなるよね?」
「……うん、申し訳ないけど、そうなる。もしあれだったら今度の土曜日、何か奢るから……」
奢る、という二文字を聞いて、私はすぐに峻哉君が飲み会の参加を断った理由を思い浮かべた。
「いいよいいよ、別に私は泊めるくらい構わないから。……何もしないってのは実証済みだしね」
酔った私に何もしなかった。まあ、峻哉君はそういう意味じゃ真面目な人だと思ったんだ。
「う、うん……」
「さて……と」
私は立ち上がり、彼に笑いかけながら言った。
「お腹空いたよね? 何か作るね」
台所に向かい、ハンドソープで手を洗う。
「えっ、あ……でも悪いよ」
「いいからいいから」
私は冷蔵庫の中にある卵を手に取りつつ、そう返す。
「あ、ありがとう……」
「時間はあれだけど、まあ遅い朝ご飯だと思えば」
「そうだね」
「卵って大丈夫?」
「うん、アレルギーは特にないよ」
「わかった、ありがとう」
少しすると、いつも休日で作っている目玉焼きが完成した。いい匂いをさせながら部屋に戻ると、
「あれ……? 寝ちゃった……?」
やはりバイトで疲れていたんだろうか、テーブルの上でうたた寝している彼の姿があった。因みに、まだこのときはこたつを出していない。まだ家の中は我慢できるレベルだったから。
テーブルにトンと目玉焼きとサラダその他諸々載せたお皿を置き、冷蔵庫にしまっていたヨーグルトと牛乳も出す。
「……雫石君? できたよ?」
「……すー」
一度声を掛けても、彼は静かに寝息を立てたまま。
それにしても、こうして見ると、なんか寝顔可愛い……。
本人に言ったら怒られそうだけど、子供みたいに幸せそうな顔しながら寝ているのと、普段のギャップが大きくて、これがいわゆるギャップ萌えって奴なんだと実感した。
「し――」
私がもう一度寝ている彼に声を掛けようとした瞬間。
聞き覚えのない着信音が、テーブルに置かれているスマホから鳴り響いた。
「えっ? あっ、雫石君の……!」
つい反射で彼のスマホの画面を見てしまう。
「お母さん」
画面には、そう書かれていた。
どうしよう、これって出た方が……? だって、彼、起きないし……!
私は慌てて彼のスマホをつかみ、電話に出た。
「は、はい、雫石の携帯です」
「……あれ? ど、どなた……?」
当然だけど、電話からは、困惑したような女性の声がした。
「あ、わ、私、雫石君……峻哉君と同じゼミの北上です」
「……あ、ああ! あああ!」
「えっ? ど、どうかされました?」
「もしかして、峻哉の彼女さん?」
勘ぐるような声ではなく、ただただ単に聞いただけの声だった。
でも、私は「えっ? い、いえいえいえそんな彼女とかそんなんじゃあ!」と慌てて否定してしまった。
ああ、これじゃあ誤解されちゃうよ……。
「ま、まあ、峻哉が無事っていうことはわかって良かったわ。あの子、今まで無断で外泊することなんてなかったから……」
すると、途端に電話先の女性は母親らしい落ち着いた声色に戻り、しみじみというふうに言った。
「あっ、そ、そのっ……昨日、ゼミの飲み会があって、その帰りに、私がバイト帰りの峻哉君に送ってもらうことになって、そうしたら流れで彼も泊まることになっちゃって……ごめんなさい、心配お掛けするようなことにして」
「あ、いいのよいいのよ。たまにはあの子にもこういうことあってもいいって思ってるから。……若いうちにこういう体験はしておいた方がいいのよ。気にしないで」
よ、よかった……別に怒っているわけじゃなくて。
「そ、それで、厚かましいとはわかっているんですけど、今日も峻哉君をお借りしても大丈夫でしょうか……?」
この際だから、今日のお話もしておいた方がいいよね?
「あれ? 一日じゃ満足できなかった? あの子」
「まっ、満足っ……」
このお母さんなんか会話が若いよ! なんとなく話し始めたときからそんな感じはしていたけど!
「ああ、ごめんなさいね? まだそういう仲じゃなかったか」
一呼吸会話に間を置かせ、「でも」とお母さんは話を続ける。
「……峻哉、大学で友達できてる?」
間違いなく今までの声色とは一線を画す、真面目なトーン。
「…………」
「あはは、まあそうだよね、親の前で、『はい、友達いないですよ』なんて言えないか、うんうん。いいんだ、薄々わかってたから。……あの子には、今も昔も苦労かけたから……」
その弱々しくなった言葉から、彼が飲み会を頑なに断り続けた理由の欠片を見つけた気がした。
「もし、もしあの子と仲良くしてくれるなら、あの子のこと……よろしくね」
そして、その一言が放たれた。
「私のせいで、峻哉には色々きっと我慢させてるから。だから……もし仲良くしてくれるなら、ありがとうだし、よろしくね」
重みが違うその言葉に、私はただただ「はい」と言うことしかできなかった。
「じゃあ、そろそろ切ろうか。ありがとう、教えてくれて。峻哉帰ったら色々聞くからね? それじゃあ、よろしくお願いします」
「は、はいっ」
電話が切れ、ツーツーと機械音をただただ聞き続ける。
す、すごいお母さんだったな……。
それに。
ふと私はまだ寝ている彼を見つめる。
やっぱり、色々あったみたいなんだね。
電話から少し。朝ご飯の匂いにつられたか、彼がうたた寝から目を覚ました。
「んん……ごめん、寝ちゃってた?」
目をこすりながら体を起こし、私と目を合わせる。
彼の細い瞳が、私を直視する。
思わず私は視線から逃れるように、目をそらしてしまう。
あれ……? なんか、こんな感じだっけ?
ついさっきまで見ていた彼と、今見ている彼が、違うように映る。
きっと、このときから、雫石峻哉君のことを、もうただの同じゼミの友達とは見ていなかった。
今度はちゃんとテーブルを隅にやって、布団を私のベッドの隣に敷いて彼に使ってもらう。
毎週あのお店で話しているようなことを私の部屋で、夜遅くまで話していた。時折見せる彼の笑顔一つに心が揺れてしまうのを自覚し、少しやるせない気持ちになってしまう。私が彼のお母さんからの電話を受けたと知ったとき、かなり驚いていて、「ああ、苦労しそうだなあこの後」と呟いたのはしっかりと覚えている。
誰かに向けて言っているように聞こえたから。
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