第3章(8)
その次の土曜日。私は彼にもう一度会えるのではないかと期待をしつつ、もしかしたら月曜日と同じように他人のように扱われてしまうのではないかと不安も持ちつつ、この間の隠れ家的なお店のドアをくぐった。
すると、先週と同じように、カウンターに一人座る「峻哉君」の姿が目に入った。
それは彼も同じみたいで、
「あ、今日も来たんだね、北上さん」
手を上げながら、声を掛けてくる。
どうやら、今日の彼は私のことを覚えているみたい。
……どういうことなんだろう。そんな疑問を頭の片隅に置きながら、私は彼の隣の席に座った。
「うん、ここのお店の雰囲気、好きでまた来ちゃった」
外がなかなかに寒かったから、凍えた手をすり合わせながら私はドリンクのメニューを眺める。
どこか木造りをイメージさせるような店内は、板張りの床や、暖色の灯り、所々端が曲がったテーブルからも伝わってくる。さすがに暖房が効いているようで、暖かいは暖かいのだけれど、入ったばかりだからまだ体は馴染んでいない。
「寒かった? 外」
「うん、もう駄目だね、私には耐えられない寒さだったよ」
「そっか……でもまだまだここから先冷え込むんだけどね」
「そうだよねー、私も今はカイロ三つで何とかなっているけど……増えちゃうかなぁ」
「いや、今で三つって……ピークはもっと増えて五つとか七つになるんじゃ……?」
「あーあながちないとも言えないのが辛いよ……」
「はは、それじゃあ毎月カイロ代が大変なことになるね」
「うう、どうしよう……」
そんな、他愛無いことをずっと話していた。ときには笑ったり、へぇってなったり、意外なことを知れたりと、楽しい時間を過ごしていた。
そういう時間を、毎週土曜日、私と彼は送っていた。
ある土曜日、私がお店の前で彼を待ってみると「寒いから中に入っていればいいのに」と言い、
「でも、なんかキュンとこない?」
と返してみると、
「でも、それ言ったら意味なくない?」
って言われたのも彼が初めてだった。
寒さが強くなるとともに、峻哉君とも話すようになってきた。お互い同じ作家さんのファンだったみたいで、たまたま峻哉君が教室に忘れた本を届けたことから関係が始まった。
私がよく通う喫茶店に峻哉君を連れて行き、色々近づいた。
それこそ、あれほど飲み会に粘って誘ったのもそうだ。
結局、峻哉君が飲み会に来ることはなかったけど、その過程のなかでも彼のいいところを発見することができた。
例えば、泣いている子供に声を掛けてあげるところ(なんかうまくいっていなかったけど)。
例えば、どこか行ってもお金は半分だしてくれるところ。
例えば、寒い場所でずっと待っていた私に温かい飲み物をおごってくれるところ。
――例えば、酔った私を何もせずに家に送ってくれたこと。
ゼミの飲み会があった日、私は皆につられてつい飲み過ぎてしまった。いつもなら二杯くらいで止めるんだけど、その日は結構飲んでしまった。
「ちょっ、栞大丈夫? 足フラフラだよ?」
ゼミの友達にそんなことを言わせるくらい、私は酔っていたらしい。
「だーいじょーぶだーいじょーぶ、ふふふ」
とか、
「わーい、背中あたたかーい」
とか完全に大丈夫ではない行動をしていたらしい。
多分、その流れで、つい峻哉君の名前を口にしてしまったんだろう。
それで、幹事の人は峻哉君に頼ったんだろう。
その断っても全然問題ない頼みを峻哉君は受けてくれて、私を家まで送ってくれた。
色々恥ずかしいことをしたり言ったりしたそうで、これ以来私は絶対酔っ払うまでお酒は飲まないと決めた。
私がはっきりと記憶を思い出せるのは、金曜日から土曜日へと日付をまたいだ瞬間から。
短針と長針、そして秒針が一直線に並んだ瞬間、峻哉君は突然倒れこみ、そのまま眠ってしまったから。
あまりの出来事に私もびっくりして一気に酔いが醒めたのだろう。
「し、雫石君?」
呼びかけても何も反応がないのを見て、私は血の気が引いた。
え……? 私、何かやった……?
なんせ記憶が飛んでいて何をやったか覚えていないから、もし峻哉君が「いやちょっと押し倒されて……」とか言っても私は否定できる自信がなかった。
「……雫石君? 雫石君?」
私は峻哉君の側に座り込み、肩を揺さぶろうとした。すると。
……すー……すー……。
よく見れば、峻哉君の肩が微妙に上下していて、寝息まで聞こえた。
「ね、寝てる……?」
つ、疲れていたのかな……?
私は部屋のクローゼットから予備の掛け布団を持ってきて、そっと峻哉君の体にかぶせた。
頭から熱いお湯を浴びながら、私は頭を冷やしていた。
落ち着け―、落ち着け―。なんで雫石君がここにいるの?
会場について、乾杯して、そこからお酒飲み始めて……友達に合コン誘われたけど断って……それから二杯目頼んで……。
ああ、そこから思い出せない。
わからない。なんでここに雫石君いるの? 飲み会に来ていないはずなのに。
そのときの私の心の声を再生するとしたらそんな感じ。
長いことお湯をシャワーから出しているから、浴室のかがみは完全に曇っていたしなんなら裸でいてもあまり気にならないくらいの室温まで上がっていた。
私は顔を床に向けつつお湯を止めた。ふと、思ったことがあったから。
「……今、土曜日の早朝ってことだよね……?」
髪から零れる滴とともに、落ちる言葉。
「ってことは……」
そして生まれた疑念。
彼がいるのではないか、という疑念。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます