第3章(1)

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 幾分揺れが落ち着いた車内。暖房も段々強くなってきたようで、震えるような寒さはなくなっていた。吹雪が車窓を埋めていたのも過去の話だと言わんばかりの晴天だけど、やはり見えるのは白の景色だけ。何もない。

 おもむろに列車は減速していき、当然だが何もない所で停車する。乗る人も降りる人もいないのに、ドアは開いた。

 少し冷たい空気が流れ込む。しかし、長い間空気の入れ替えをしていなかったから、新鮮な空気を取り入れることも悪いことではない。むしろ助かる。

 酸素が十分混じった空気を取り込み、僕は静かに声を出す。

「……おかえり、どうだった?」

 何度でも言う。ドアの先には誰もいない。別に、僕が変人というわけでも、超能力者というわけでもない。霊感があるわけでもない。

 でも、僕は確かに彼に声を掛けた。

「何を驚いているんだ……? ああ、僕のこれ? 大丈夫だよ、これを受けるのが僕の役目だから、それより、あの家はどうだった? 居心地よかっただろう?」

 ドアは再び閉まり、列車が動き出す。

「……今まで、これを受けていたのは君だろう? なら喜べ。喜んでくれ。それが僕にとっての価値になるんだ」

 少し冷えた空気の混じった車内を、再び暖房が温め始める。

「……だから、もう怖がらなくて、いいんだよ」


 **


 北上さんと映画館に行った後の、次の月曜日。

 僕が彼女に対しての気持ちを自覚してから迎える、初めての月曜日だ。

 どこかふわふわした気持ちを抱きながら、僕は昼休み、ゼミの教室でお昼を食べる。まだ僕の隣の座席は空いている。

 無駄にそわそわしながらお昼を食べ進め、残った時間は本を読む。

 あれ……この本こんな展開だったっけ?

 最近、本を読む時間が減ってしまい、読んでいる途中で間ができてしまうことも増えた。すると、今読んでいる本の中身を忘れてしまい「あれ、何だこれ?」ってなることが起きてしまう。

 まあ、実際今起きているけど。

 内心ため息をつきつつ僕は読んでいる本のページをさかのぼり内容を軽く思い出そうとする。ああ、そうだそうだ、こんな話だった。だから主人公は……

「や、今日も早いね峻哉君」

 すると、いつも通りの明るい雰囲気を出しつつ北上さんが僕に話しかけてきた。

「…………」

 今までなら「おはよう、今日はちゃんと朝起きられた?」とか「カイロ増えた?」といった軽口を叩くか普通に挨拶できたんだろうけど、彼女への気持ちを自覚してしまった今、普通にそれができるとは思えない。実際できなかった。

「あれ? どうかした?」

「いっ、いや、なんでもないよ」

 心配そうに顔を覗き込まれたから、慌てて僕は返事をする。

「そういえば、日曜に大体終わったって連絡きたけど、もしかして、峻哉君レポートの自分の分の作業終わったの?」

「う、うん」

「はやくない?」

「まあ……でも、僕給付の奨学金貰っているから成績維持しないとで……」

「ああ、そっか、ならそうだよね。なんかプレッシャーかかってきたぁ」

「実際、……し、栞の進度はどんな感じなの?」

 ここでまた「北上さん」なんて言うと、きっと「はーい。栞って呼んでねー繰り返してみようかー」って言われるに違いない。ここは素直に名前で呼んでおこう。恥ずかしいけど。

「うーん、そうだねー参考文献くらいまでは見つけたから、あとは読むくらいかな?」

「終わったら教えてね」

「わかった」

 それからも、僕と北上さんは授業が始まる前まで、他愛無い話をして盛り上がっていた。もしかしたら、それが原因だったかもしれない。いや、それとももう疑われていたのかもだけど。


 授業が終わり、僕と北上さんは教室を出ようとした。すると、同じゼミの女の子に僕等は話しかけられた。

「ねえねえ、雫石君と北上さんって付き合っているの? なんかそういう噂立っているけど」

「えっ?」

 急に話しかけられたものだから、僕はそんな変な声を出してしまった。

 しばらく、沈黙が僕等の間に走る。

「そんなことないよー? 私と峻哉君は、付き合ってないから」

 その沈黙は、北上さんが破った。

「えー? 本当? 最近一緒にいるの見るし、金曜日は一緒に映画行ったらしいじゃん。聞いたよ」

「まあ、そうだけどさ。別に付き合っているわけじゃないから」

「ふーん……ま、いっか。ごめんね邪魔して、これから帰るんだよね?」

「いいよいいよ、別に。じゃあね」

「うん、じゃあね」

 そうして、話しかけてきたゼミの女の子は僕等のもとから離れ、自分の友達の輪に帰って行った。

「……帰ろう? 峻哉君」

 僕の頭の中は、グルグルと回っていた。さながら、家の中で行き場を求めてあてもなく飛び続ける虫のように。


 それからというもの、僕は北上さんのことが頭から離れなくて仕方がなかった。ま、要は気になって気になって仕方ないってこと。朝起きて北上さんから連絡が来ているのを見るとどこか嬉しいし、毎週月曜日の同じ帰り道は楽しみにすらなっていた。

 ほんと、僕は単純だった。

 彼女に話しかけられると嬉しくなるし、電話が来ると飛び跳ねるようにして(実際にはしないよ)出て。

 ……柄じゃないのはわかっている。釣り合わないのもわかっている。

 それでも、どうしようもないのが恋、なのではないか。

 ロミオとジュリエットをはじめとした立場間に格差、決裂がある男女二人の物語も珍しくない。

 物語の中の話だろ、って言われるかもしれない。でも、こんな言葉がある。たまたま読んだ本にこの言葉があった。

 ――人間が想像できることは、人間が必ず実現できる

 って。有名な海外SF作家の言葉だ。

 まあ、要は現実にも立場間に差がある恋愛なんて実現しうるってことだ。

 屁理屈かもしれない。おかしいことを言っているかもしれない。

 でも、きっとそういうもんなんじゃないの? って思うくらい、僕は北上さんが気になっていた。

 柔らかい笑みに、時折浮かべる弾けたような表情。たまに、というかいつも僕をからかうけど、芯の強いところ。お酒に酔うとちょっとあれだけど、そこもまた。

 軋むベッドの上で体を抱きしめることはしないし、そもそもベッドなんて家にないけど、寝るときにも彼女の表情が瞼の裏に映りこんでしまう。


 かれこれクリスマスまであと一週間となった月曜日。街中はすでにイルミネーションで彩られており、夜になると光の風景が道行く人々に差し込むようになる。

 僕は、やはりいつもと同じように昼休みにはゼミの教室に入り、一人昼ご飯を食べる。

 しばらくお昼のおにぎりを頬張っていると、教室に北上さんが姿を現した。

 彼女は無言で僕の隣に座り、持ってきたお昼を食べ始めようとする。

 あれ……?

 僕は北上さんのその一連の行動に違和感を覚えた。

 ただ、なんとなく、だけど。

 何かモヤモヤとしたものを抱えつつ、僕は黙々とおにぎりを食べ続ける。彼女も同じだ。

「……北上さん、どうかした?」

 あまりの違和感に、僕がそう切り出したのはきっと時間の問題だっただろう。ただ、僕はそれを言ってから、内心やばいと思った。

 名字で呼んだから。

 しかし、僕の気持ちとは裏腹に、北上さんは少し困ったように眉を下げながら笑い、

「いや……なんでもないよ」

 とか弱く返すだけだった。

 え……?

 おかしい。おかしいぞ。だって、今までだったら「ほらほらーまーた一人でご飯食べてるー」とか「北上さんじゃなくて、栞、はい、呼んでみて」とか言われるもんだと思っていた。なのに。

 北上さんは僕が「北上さん」と呼んだことを何の気にも留めず、お昼を食べている。

 ……何があったんだ?

 考えても、心当たりはなかった。


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