第2章(9)

 映画は事前に北上さんが言っていた通り、淡い悲恋の物語だった。終盤に差し掛かる頃にはあちらこちらで鼻をすする音がし始めるほど。

 それは僕の隣の人も同じだったようで。

「ひっく……っ……」

 あー結構泣いているみたいですねー。

 そんなに大勢が涙流すほどの作品を何こんな冷静に人間観察しながら見ているんだお前と言われそうだけど。

 確かに悲しい話だけど……どこか本心から泣けないのは僕が僕であるからなのだろうか。それとも、ただ単に僕の涙腺が乾ききっているだけなのか。

 そんなどうでもいいような疑念を持ちつつ、映画は無事終わった。

「映画、良かったねー」

 目もとを若干赤くした北上さんは、一歩一歩しっかりと床を踏みしめるように歩きながらそう僕に語り掛ける。

 空になった容器が乗ったトレーをスタッフの人に渡し、チケット売り場とコンセッションがあるホールに戻る。

「……うん、そうだね」

「特にラスト手前の――」

 そんなふうに映画の感想を言い合いながら映画館を後にし、エスカレーターで下のフロアに向かっていった。やはり収まらない人の喧騒は、眠らない札幌の中心に吸い込まれていく。

 駅ビルの一階に戻り、さあこれからどうしようってときだった。

「……北上?」

 ふとすれ違った大学生らしき集団の中から、北上さんを呼ぶ声がする。

「え?」

 僕と北上さんは声のした方を振り返る。声を掛けた男性は驚いた表情をしている北上さんをまじまじと見つめる。

 しばらくすると、男性は視線を北上さんから僕へと移した。その目は、「なんでこんな奴が」みたいなものを感じさせた。

 僕の予想は的中したみたいで、やや呆れたような声をさせながら彼は北上さんに話しかけた。

「おいおい、もしかしてこの間言ってたのってこいつ?」

 ややもすれば威圧的な態度ともとれるような身振り。俺の方が北上さんにふさわしいと暗に僕に主張するような声。

 そのどちらもが、僕に改めて北上さんがどういう人なのか、ということを認識させた。

「うん、そうだよ。この間、映画行くからって言って断ったのは、彼と一緒に行く予定だったから」

 凛とした受け答えで、北上さんは絡んで来た男に返事をする。男性のお連れの人達は「何だ何だ? 修羅場か?」と面白がっている。

「ふーん……何? 北上って地味な男の方が好きなの? こっんな冴えない童貞臭い奴の方が?」

 ああ……嫌だ。僕はこの空気に耐えられず俯いて地面を見てしまう。いや、別に事実だから彼が言ったことに怒る気はさらさらない。

 僕が嫌なのは、今この場にいるという事実そのものだ。

 どうしたって、場違いなんだ。

 僕と北上さんは釣り合わない。そんなこと、薄々どころか余裕で思っていた。

 初めて喫茶店に行ったときも、同じベンチで空きコマ過ごすようになったときも。

 彼女の部屋に入ったときも。

「……それは私の勝手でしょ?」

 聞いたことのない、冷えた声が聞こえた。

「別に童貞だってなんだろうと私は彼と映画観たかったからそうしたの、悪い?」

 いいよ……フォローしなくて。

 別にそんなことしなくたって北上さんなら他にいい人できるだろうし、僕なんかがその位置にいるべきじゃ……。

「映画終わったんだろ? じゃあこれからは俺とすすきので遊ぼうぜ? もうこいつは用済みだろきっと?」

 手の先が凍えているのか少しずつ震えてきた。ポケットに突っ込んでみるけど、北上さんと違って僕のポケットにカイロは入っていない。

「知ってるぜ、この間横浜にいる彼氏に振られたんだろ? 遠距離恋愛も終わって次に手出すのがこいつって、何、欲求不満なの? 俺ならいつでもウェルカムだぜ――」

「別にそーいう目的で近づいたわけじゃないから、あなたみたいな下半身脳と一緒にしないでくれる?」

「っ」

「あーあ、太輔振られたー」「ほら、そんな女放っておいてすすきので可愛い女の子ナンパしようぜ」「行こ行こ面倒だから」

「……もういいわ、なんか萎えたし」

 オシャレな恰好をした彼は、そう吐き捨て、ビルの出口へと向かっていった。

 一瞬、声がなくなる。

「……ごめんね、大学の知り合い。……今日、ご飯誘われていて」

「どうして?」

 思わず僕はそう聞き返していた。

「……なにが?」

「……どうして、今日、僕を選んだの?」

「どうしてってそれは――」

 彼女はポケットに突っ込んでいた僕の手を無理やり引っ張り出し、手を繋いだ。心地よい体温の温かさが僕に伝う。

「きっと峻哉君といる方が楽しいって思ったから」

 さっきまで見せていた冷たい態度とは消え、僕が知っている穏やかな、それでいてどこか弾けるような柔らかい笑みを向けてくる。

 桜が咲いたかのような笑みを見て、僕は胸が震えるのを感じた。


「じゃあね、今日は楽しかった」

 彼女の最寄りの東札幌駅で、僕等は別れた。

 さっきから、僕は北上さんを直視できずにいた。

 そうか、きっと、これなんだな。

 今まで恋愛小説は何本も読んできた。でも、いまいちどういう気持ちを持って恋と呼ぶのかわからなかった。

 でも、今ならなんとなくわかる。

 さっき繋いだ手の温もりが、まだ残っている。僕は開いた手を見つめた後、ゆっくりとその手を閉じる。

 彼女の温かさが入ったそれを、失わないために。

 雪道歩く帰り道、足取りは軽かった。


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