第2章(5)
次の日曜日。北上さんとレポートの打ち合わせをするため、僕は再び彼女の家の前に立っていた。雪が左右に寄せられている共同玄関を抜け、102号室の呼び鈴を鳴らす。
「はーい、北上でーす」
「雫石来ました」
「あ、ちょっと待って」
と言い彼女は通話を切ることなくバタバタと音を立て始めた。
……もしや部屋の片づけをしているのか?
三十秒くらいして、息を少し荒くさせながら玄関のドアを開けてひょこりと北上さんは顔を出した。
「お、お待たせ」
「……入って欲しくないところあったら先に言ってね」
若干の皮肉をこめて、僕は彼女に言ってみる。
「い、嫌だなぁ、別に慌てて掃除していたわけじゃないよ?」
「ふーん、ま、ならいいんだけど。お邪魔しまーす」
二度目の彼女の家は、少し落ち着いて入ることができた。まあ、前回は何の気構えもなく家に入ったからドタバタだったけど、今日はあらかじめ覚悟ができていたから。
玄関を入って廊下を抜け、北上さんの部屋に立ち入る。
いや、絶対掃除したでしょ。この間よりもの減っているよ?
とまあそう思ったけどあえて口にすることはせず、僕は彼女にどうぞと言われなんか増えているこたつの中に入った。
「こたつなんてあった?」
「あー、この間出したんだ。そろそろ暖房だけじゃきつくなってきたから」
「何気に人生初こたつなんだよね」
「え? こたつないの?」
別に僕の家が貧乏だからじゃない。基本北海道に住む人はこたつを使わない場合が多い。二重窓や強い空調など、防寒対策が家の構造からできているので、基本家の中は暖かいんだ。ま、きちんとした家は、だけど。寒い家は当然寒い。
「うん、というか、札幌でこたつ売っているの見たことある?」
「……あまりない、確かに!」
「でしょ?」
にしても、足暖かいな……よく人を駄目にするものって言われるけど、これは駄目になるわ……。
「あ、顔とろけてるね峻哉君。君もこのこたつの虜になるのかなー?」
面白おかしそうにニヤニヤしながら、お盆にお茶とみかんを乗っけて北上さんがこたつに入った。
「あー暖かい。私もしばらく出られないやー」
僕と向かい合わせで座ると、お互いの足が重なってしまう。
「あ、ごめんね、ぶつかっちゃった」
「僕もごめん」
上手いことぶつからないように足の位置をずらし、僕は持ってきてくれたみかんを食べ始めた。
「美味しいね、このみかん」
つやつやのオレンジ色をしたみかんは、口に入れた瞬間、その甘みが口全体に広がるようなものだった。端的に言うと、美味しい。
「でしょ? この間実家から送られてきたんだー。美味しいから食べてねーって」
そう言いつつ、美味しそうにみかんを頬張る北上さん。「んー美味しいー」なんて言う当たり、やはりそうみたいだ。
「ささ、で、レポートの話しよ?」
ちょうどお互い一個のみかんをお腹に入れた後、彼女はおもむろにそう言った。
「ま、そうだね。それが本題だし」
僕はコップに注がれたお茶を口に含む。
「締め切りは春だから、仕上げは春休みに、だよねきっと」
「そうなるかな。テーマ何にする?」
「うーん、そうだな……まあベタに一人の作家さん研究した方がいいよね、きっと」
「僕もそれでいいと思うよ」
「……誰にしようか……まあ、同じゼミ取っているってことはお互い近現代文学を対象にしているってことだから必然的にその時代の人になるけど……」
「じゃあ、あの人にする?」
僕と北上さんが仲良くなったのは同じ作家さんを好きだったっていうのがある。共通の話題って言うのも変だけど、これならスムーズにレポートが書けそうといえば書けそう。
「うーん……でも、私が言うのもあれだけど、研究対象にしたとて、そんなにヒット作出している人じゃないし、何か教科書的なことやった人でもないから、きっと特徴や作風まとめて終わっちゃう気がするんだよね」
「じゃあ、作風似た人も一緒にまとめて、近年の傾向っていうふうにもっていけばいいんじゃない?」
「あっ、そうだねそれいいかも。じゃあ、テーマはその作家さん周辺っていうことにしよう?」
「了解っ」
「じゃあ、動き出すのは……」
「ま、それぞれが二人くらい調べて、春休み入ったらそれを持ち寄ってレポートにするって感じでいいと思うよ」
「そだね、そうしよう」
「うん」
そうしてあっという間にレポートに関する相談は終わってしまった。
「な、なんかあれだね……もうちょい時間かかると私は思っていたけど……」
「秒で終わったね」
すると、少し顔を綻ばせながらこたつに頬をつけた北上さんは、こう提案した。
「じゃあさじゃあさ、折角来てくれたことだし、なんか話してこうよ」
「ま、まあいいけど……」
「そうだなあ……ただ普通に話しても面白くないし……何かゲームして勝った方が負けた方に好きなこときけるっていうのは?」
まーた何か言い出したよ……。横向きに見える顔がニヤついてますよ。
「いいけど、ゲームって何?」
「えっと……じゃあいっせのーせ、やろう?」
うん……? 何……それ?
っていう顔をしたからだろうか、北上さんは両手の親指を立てて上下させ始めた。
「ほら、いっせのーせ1って言って立てた親指が一本だったら減らせるあのゲーム、知らない?」
「へぇ……東京だといっせのーせって言うんだ」
僕がそんな反応をすると、
「え? 北海道違うの?」
なんていい顔をしてくれる。
「札幌ではゆびすまって言うかな。ゆびすま2って感じ」
「方言怖わ……」
「まあまあ」
「ま、いいや、そのゆびすま? で勝った人が好きなこときけるってことで」
目の前に座る彼女は体勢を整え、僕と正面で向き合う。
お互い両手をグーにして親指に力を入れる。
「ゆびすま3っ」
「えっ、無条件でそっちから?」
いきなり始められたゲームに僕は慌てて右手の親指を上げる。北上さんはどっちもあげている。
「へへっ、まずは一つ」
悪戯が決まった子供みたいな顔……。
「はぁ……まあ別にいいんだけどゆびすま0」
「いや、思ってないでしょ」
ニコニコしつつ彼女は残った指を立てる。……折角やり返したと思ったのに。
「あっ……」
「ざーんねん」
これで僕は残り二つ。北上さんは一つ。
「それじゃ、ゆびすま1」
相手は一つ立てている。僕の指は、ピクリとも動かなかった。
「はーい、これで私の勝ち。なーに聞こうかなー?」
鼻歌混じりに聞こえる声は、まるで音符が空を飛んでいるように上機嫌に思えた。
「んーとそうだなー、好きな食べ物は?」
その質問に、僕は拍子抜けした。もっと変なこと聞いて来るかと思ったから。
「嫌だなーそんな最初からきわどいこと聞かないよー」
ごめん撤回する。やっぱり北上さんは北上さんだ。
「まあ、そのうち、ね?」
「そのうち」と「ね」の間にあった空白が、僕に嫌な予感を与える。
「好きな食べ物は……そうだな……カレーライス?」
「意外と子供っぽい? 好み」
小学生のとき、よく日曜日の夜に出てくるのがカレーライスだった。そのカレーが美味しくて仕方なかったのは今でも覚えている。
「否定はしないでおくよ」
「はい、じゃあ第二戦、ゆびすま1」
「だからそっちが先攻なのは固定なのね……?」
とまあ、北上さんのペースに乗りながら、何回か質問を往復させた。
――札幌で好きな場所は?
――藻岩山の夜景かな。子供のとき、見に行ったんだけど、その景色が忘れられなくて。
――逆に北上さんは札幌でどこが好きなの?
――そうだなー私は羊ヶ丘の展望台かな。やっぱ大志を抱けって言われると頑張ろうって気にならない?
――好きな女の子のタイプは?
――来たな、とうとうそういう質問……。我慢しすぎない人かな。何事にも。
――あ、ってことは峻哉君のタイプに入っているんじゃない? 私。
――もうちょい我慢してもいいと思うよ、僕は。
――じゃあ峻哉君の性癖教えてよ。
――教えて何になるんだよ……。
――いいじゃん、減るもんじゃないし。
――釈然としないな……まあ、強いて言うなら程よい大きさで……。何言わされてるの僕。
他にも色々質問はしたしされた。でも。
「峻哉君、ゆびすま弱くない?」
って北上さんに言われるくらい、戦績はひどかった。多分、八割くらい負けた。もう性癖といい、タイプといい、色々恥ずかしいことを聞かれた。もう、お婿に行けない……なんて。
「僕もこんなに弱いとは思わなかったよ」
「じゃあ、また聞くけど、そうだなぁ……もう何聞けばいいのかわかんないや。うーん」
こたつに座る彼女は両手を口元に当ててしばらく考えると、やがて一つの質問を僕に投げかけた。
「土曜日って、いつも何しているの?」
「え、土曜日? いつもは家でのんびり本を読んでいるけど」
その答えを聞くと、彼女は少し真面目な顔をして問いを続ける。
「たまに外に出かけてお茶飲んだりとかしない?」
「い、や……外出ないかな……記憶にないしね」
「そっか、ありがとう」
ふとスマホを見ると、もう夕方の六時だった。
「やっば、もうこんな時間なんだ」
「結構話し込んじゃったね」
「そろそろ僕、帰るよ」
「そう? 別にまだいてもいいんだよ? こたつでぬくぬくしててもいいんだよ?」
ぬくぬくとか言われると居たくなるけど……今日は母親も家にいる予定だから晩ご飯までは帰らないと。滅多に一緒に食べられないから。
「今日は親がいるから、帰らないといけないんだ、ごめんね」
「そっか、なら仕方ないね。でも楽しかったよ、色々と峻哉君のこと知れたし。性癖もね」
「……もう性癖のことは忘れていいよ」
「それはできない相談だなぁ」
僕はこたつから抜け出し、寒さに体を震わせる。
「うっわ、こたつ戻りたい」
「でしょ? 私もすぐ戻りたい」
そう言い、お互い笑い合う。北上さんが浮かべる笑顔が、やはり少し弾けていて、柔らかくて、丸い瞳が細められるのを見ると、少し気持ちがふんわりしてしまうんだ。
「……じゃあ、帰るね、バイバイ。また明日」
「うん、また明日」
そうして僕は完全に暗闇染まった外に出て、オレンジ色の街灯落ちる道を進みだした。
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