第2章(3)
初雪の便りが昨日届いた札幌の街は、あちこちに白い雪を景色に残している。まだ根雪にはならないようで、暖かな陽射しが街を歩く人と雪に刺さる。
「降ったねー昨日」
隣を歩く北上さんがおもむろにそう言う。きっと初雪のことだろう。
「今年は結構遅かったね」
「え? そうなの?」
「うん、十一月の半ばまで降らないって遅い方なんだ」
今年はどうやら記録的な初雪の遅さになったみたいで、テレビの天気予報でもキャスターの人が「今年は本当遅いですねー」なんて毎日話していた。
「東京って雪降るの?」
「うん、二月に一回。毎年大騒ぎだよ。電車は止まるし道路は渋滞するし。テレビも皆郵便ポストの頭を撫でてこんなに雪が降っていますって言う」
「あーポストのくだりね。噂に聞く」
「で、雪が降ったその日の夕方に今日は大変でしたねってニュースが流れるんだ」
「言いそう言いそう」
「きっと、東京に札幌の天気を持ってきたら毎日そんなニュースだよ」
なんて笑いながら北上さんは言うけど、きっと本当にそうなるんだろうなと頭の中で思ったりもした。
「でもさ、いいなあって思ったのは、東京じゃホワイトクリスマスなんて数年に一度あるかないかなのに、札幌だと積もっているのは当然で、降ってくれるのも当然みたいなところあるからさ、いいなあって」
「まあ、その代わり猛吹雪、なんてこともあり得るけどね」
「それは嫌だね。サンタさんプレゼント配れないよ」
「あ、あとさ。雪で休講ならないもんね、こっちって」
さっきまで言ってみればプラスのことを話していた北上さんは、そのどこかうっとりしたような表情からどこかうんざりしたような表情になった。
前々から思ってはいたけど、表情豊かな人だなあ。
「まあ、地下鉄が基本止まらないから」
「うん」
札幌の主力と言える交通機関は地下鉄だ。これが止まると札幌市民の多くの通勤通学が困難になる。でも、人身事故なんて滅多に起きないし、止まっているところなんて僕は見たことがない。
「でも、バスしかないところにある大学は雪でバスが駄目になると休講になるらしいよ」
「あーいいなーそれ」
羨ましそうに笑いつつそう返してきた。
そんな会話をしているうちに、僕等は地下鉄構内に入り、初雪残る景色から一転、無機質な薄茶色の壁に包まれた地下空間が視界に映った。
白色の車体に塗られた緑のドアが象る車両に並んで乗り込む。座席前のつり革に隣同士で掴み、乗換駅の大通駅に到着するのを待つ。
「ねえ、レポートの打ち合わせとかどうする?」
さっきまで雪の話をしていたけど、今度は実務的な会話になった。
になるかと思ったんだ。
「えっと、空きコマ合うときに?」
「うーん、それもいいけどさ、あまりゆっくりできないと思うんだよね」
北上さんは手袋をつけた手を顎にあてて考える素振りをする。そして、また言葉を繋ぐ。
「日曜日とかにどっちかの家でゆっくりやらない?」
一瞬、僕と北上さんの間から言葉が消えた。
「……えーと、じゃあ北上さんの家で?」
「あ、また名字呼びに戻ってるー名前、はい。どうぞ」
「……栞の家で?」
「よくできました」
やっぱりペースをつかめない。
「まあ、私の家もいいけど、峻哉君の家は?」
あーやばいな。あの家に入れるとな……僕の家庭事情を話さないといけなくなるかもしれない。
「僕の家、狭いから……ごめん」
あまり自分の家庭環境について話したくない、というのもあり僕はそう断った。
「あれ? もしかして見られたくないエッチな本でもあるのかな?」
プレゼントといい、彼女いるかふっかけるときといい、何故にこうもウキウキした顔になるのか。生きがいなの? どこかにいるからかい上手の方なのかな?
「な、ないです。そんな本は家にございません」
「ふーん」
あ、この感じ、前にも見た。信じていないな。
……あの部屋でそーいう本しまう場所なんてあるわけないだろ……。真面目な話。
「とにかく、僕の家は無理なんだ」
「まあ、いっか。次の日曜日空いている?」
北上さんにそれ以上ツッコむ気がなかったのか、どうやら打ち合わせは自分の家でやるつもりらしい。
「空いてるよ」
「なら、午後から私の家でレポートの話しよ?」
「……了解です」
「あ、もっと嬉しそうな顔してくれてもいいのにー」
頬に小さい風船を作る北上さん。目もとは笑っているから、どこか可愛げがある。
「いや、まあ……でもこの間貞操奪われかけた家に行くってなるとそれなりの覚悟は必要だよね……」
穏やかに、けど確かに僕は反撃の一言を投げた。
すると、やはりそれをいじられるのは恥ずかしかったようで、かぁと顔がどんどん赤く染まって来た。
「そっ、それは……お酒に酔っていたからでっ……素面のときにはそんなこと言わないから、私は」
「ふーん」
「あ、さては信じてないよね、峻哉君」
「どうだろうねー」
まあ、実際北上さんがいつでも男を襲うような痴女ではないと思ってはいるから、信じてはいる。でも、それを言うと面白くないから、最後までやり返しておこう。
「むぅ……意地でもいつか峻哉君の家に行ってやるんだから。もう」
今までいじって来たのに、それを言われた途端。
ドクンと心臓が跳ねるのを自覚した。
「…………」
「ん? 峻哉君? どうかした?」
「いや……なんでもない」
結局、そのまま電車が大通駅に着いたのもあって、その話はお開きになった。乗り換えのエスカレーターを降りる間、僕は一言も話すことができなかった。
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