第1章(4)

 北上さんと同じ授業は月曜の演習だけだから、基本会うことは月曜以外ないはずなのだけれど。翌日の空きコマ、三限の時間にいつも使っている外のベンチに座って本を読んでいると、相変わらずの防寒具合の北上さんが僕に声を掛けてきた。

「やっ、今日も会ったね」

 朗らかな笑顔とともに姿を見せる。

「隣、いい?」

「いいよ、別に」

 そう言うと、彼女は少し冷えた木製のベンチに腰を落とした。

「少し冷たいね、このベンチ。寒くないの?」

「まあ、でも、札幌人にしちゃあこれくらいだったらまあ座れるかな」

「うへー、私札幌住んで二年目だけど、まだ慣れないよ。東京に住んでいたときも冬は寒い寒いって言ってたけど、その比じゃないもんね」

 顔をあからさまにしかめさせ、「寒い」っていうことをアピールしている。まあ、東京の人はよく言うよ。「氷点下ってどゆこと?」とか。

「逆に僕にしてみれば一月過ぎても雪が積もらないってどういうことなんだって言いたいけどね」

 テレビとかネットの画像を見て思う。……なんで雪ないのって。

「そうだよね、東京、雪降らないし積もらないもんね。私ビックリしたよ、身長より高い所に雪が積もっていたときは」

「まあ、そう思うよね。……そういえばどうしてここに?」

 ふと僕はどうして北上さんがこのベンチに来たのか聞きたくなり、そう尋ねた。

「え? ……えっと、たまたま。うん。たまたまだよ。外歩いていたら雫石君見かけて声かけてみた」

「そっか」

「いつも空きコマここで本読んでいるの?」

 僕の顔を覗き込みながら彼女は尋ねる。ふんわりと甘いシャンプーの香りが僕の鼻腔をくすぐる。

「そ、そうだけど……」

「……私も時々ここ来ていい?」

 予想外の言葉が紡がれた。

 全く答える準備をしていなかったから、僕はしどろもどろになりながら上手い返しを探した。

「えっ、あ、えーと……べ、別にいいよ」

 普通か。平凡か。

 脳内でそんなツッコミを入れると、さっきの笑顔とは一味違った、まるで花が咲いたかのようにパッと明るい笑顔を僕に浮かべた。

「やった。ねえ、空きコマ教えてよ、雫石君」

「げ、月曜はなくて、火曜は三限、水曜は二限、木曜もない、金曜は三限だよ」

「なら……火曜と金曜は空きコマ被っている。行けるときはこのベンチに行くね。昨日雫石君と話したら楽しくて、もっと話したいなって思ったから」

 ベンチの上、両手をこすり合わせながら嬉しそうに言う彼女に、一瞬ドキッとした。

 もっと、話したい……? この僕に?

 さっきまで表を向けて開いていた文庫本を、思わず閉じてしまう。口を半開きにして僕は彼女を見つめる。

「どうしたの? そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

「……生まれて初めてそのことわざ言われたよ。何でもない。ただ、びっくりしただけ」

「ふーん……それとも、初めて女の子にそういうこと言われたのかなーなんて思ったけど」

 すると、いつも通り(いつも通りってなんだよ)北上さんは顔を少し綻ばせながら明るい声を漏らす。

「まあ、事実だけどね」

「事実なの?」

 一筋の間も置かずそう返される。

「……うん。そんなこと言ったのは、北上さんが初めてだよ」

 自嘲するように呟く僕。

「へー……そっかぁ」

 二人の間に、少し冷えた風が吹き込む。彼女が巻くマフラーと、栗色の髪が小さく揺らめく。ふと目にかかる髪を押さえようとする仕草に、一瞬目を奪われる。

 舞い落ちる銀杏の葉が、僕の視界を突っ切る。視界が黄色から肌色に戻ると、目線があった。まんまるの瞳が、僕の目にくっきりと映る。

「……そ、そんな見つめてどうしたの? 雫石君」

「何でもない」

「何でもない、ね……ねえ、今何読んでいるの?」

「え? ……この間映画化してた」

 そう言いつつ僕は表紙を見せる。

「あー、これねー良かったよ、伏線どんどん回収していくの、後半から」

「そう? じゃあ、そこまで我慢しないといけないんだね、頑張らないと」

「うん、頑張れー」

 そんな様な会話を広げつつ、四限が始まる時間まで僕と北上さんはベンチに座りながら話していた。

 いつもよりページがめくれなかったのに、それほど不満ではなかったのは、やはり彼女と話す時間が、楽しいからなのだろう。


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