第1章(2)
地下鉄に揺られ、着いた東札幌駅。ビジネス街のある中央区に近いためか、駅前はかなり栄えている。朝は通勤通学客で、昼は買い物帰りの人々で、夕方は学校帰りの高校生で、夜は飲み会帰りのサラリーマンで。
駅を出ると、やはり放課後の寄り道途中の高校生とよくすれ違う。
「なあ、これからどーする?」「白石のカラオケ行こーぜ」「お、いいなカラオケ」
と言う感じに。
そんな様子を見てか、北上さんは喫茶店のあるという方に歩きながら僕に聞いてくる。
「雫石君って、札幌出身だよね、こんなふうに言えの近くで放課後どっかに寄り道とかしていたの?」
「うーん、まあ確かに本屋さんとかに寄り道はしたけれど、あんなふうにみんなで、というよりは一人でだったけど」
振り向いている北上さんにそう答える。
「……もしかしなくても、誰かと帰り、こんな感じにお茶するって初めて?」
さっきの彼女いない宣言と、今の言葉を勘案してそう言ったのだろう。彼女は足を止め、僕の顔をまじまじと見つめながら続けて聞いてきた。
「そ、そうだけど……」
すると、前を再び歩き出した彼女は申し訳なさそうに言った。
「な、なんかごめんね……初帰り道お茶会を私にして」
「いや、初帰り道お茶会って……もっと何か言い方があったでしょ」
「まあまあ。そこらへんは気にせず」
そうのらりくらりと会話していると、いつも目に掛ける喫茶店に到着した。
「あれ? ここなの?」
「うん、そうだよ」
「思いっきり通学路にあったわ……」
北上さんに連れられたのは、駅から歩いて五分ほどの所にある大通りに面したところにあった。なんなら、自宅から駅に向かう通り道にある。隣にお茶を販売する会社が並んでいて、そのお店は直営店のようだ。
「このお店、お茶が美味しんだ、やっぱりお茶屋さんだからね」
茶色の建物を指さしながら、北上さんは楽しそうに言う。
「さ、入ろ入ろ」
僕ははしゃぐ彼女に手を引かれ、どこか落ち着いた雰囲気の漂う建物の中に入った。いつも目にはするけど入る機会がなかったからいざ店の中に入ると少し変な気持ちになる。
店内はそれなりに賑わっていているものの、和紙越しに光る室内灯が幻想的で、きっと夜に入ると綺麗なんだろうなと思わせるものだった。
テーブル席に向かい合わせで座り、注文を済ませる。僕はそれほど何か食べたい気分でもなかったのでお茶だけを、北上さんはそれに加え、抹茶のアイスも頼んでいた。
「いい雰囲気でしょ? 私、結構ここ寄って本読んだりしているんだ」
彼女は頬に両手を当てて少し誇らしげにニッと笑って見せる。
まあ、確かに静かで落ち着いているし、内装も程よく凝っていて読書には向いている環境かも……。
「でさ、でさ、何読んだ? ずらっと言ってみてよ」
机に身を少し乗り出し、そう切り出す北上さん。
あ、いきなりその作家さんの話するのね……。
「えっと、デビュー作から基本読んでいるし……まだ読んでいないのは……多分ない」
「え? 全部読んでるの?」
すると、目の前にいる髪留めをした彼女は表情をぱあっと明るくさせ、子供のような無邪気な声色でさらに続けた。
「ね、ねえ、どの作品が一番好き?」
「そ、そうだね……僕はやっぱりデビュー作の『虹の向こう側へ』が気に入っているけど」
「あ、『虹の向こう側へ』いいよねー。私、親友の人が主人公を助けるかどうかで葛藤しているあの一連の流れにグッときたんだ」
うんうんと頷きながら楽しそうに話す北上さんは、相変わらず表情は明るいままだ。いつも友達と話していて、明るい印象の強い彼女だけど、そのときよりも心なしか楽しそうに見えた。
「お待たせしましたー抹茶アイスにお茶ですねーごゆっくりどうぞ」
しばらく読書談議に花を咲かせていると、頼んでいたものがやって来た。一口お茶を飲むと、程よい苦みが口の中に広がっていく。
「ん、おいしいねここのお茶」
「そうだよね、そうそう。初めて飲んだとき凄くはまっちゃってー一時期大変だったんだ、それにお金使いすぎて」
実は結構子供っぽいところもあるのかななんて北上さんに対して感じ始めていた。こうやって自分の好きなものに対して真っすぐなところとか、ね。
「それに、この抹茶アイスと合わせると凄く美味しく感じるんだよ、雫石君」
「へー、そうなの?」
「うん、食べてみる?」
彼女は、既に口をつけたスプーンに一口アイスを乗せて、僕の口の前に差し出した。
「え? ……い、いや……いいよ、それ、北上さんが頼んだものだし」
慌てて僕はそう断りを入れる。
「気にしなくていいよ、美味しいよ?」
ほら、こういうところとか、子供っぽい。
「それとも、恥ずかしいの? そうなの?」
「わ、わかっているならやめてよ」
「ふふふ、ちょっとからかいたくなっちゃって」
口元を隠しながら笑って見せる彼女は、どこか楽しそうに映る。
「それに、結構乗ってくれる人もいてね。逆に私が恥ずかしくなっちゃったりとかもあって。雫石君はどうなのかなーって」
「いや、乗ってくれる人もいるって、北上さん、こういうこと色んな人に対してやっているの? さすがにそれはまずいんじゃ」
「大丈夫大丈夫。……私がやりたいと思った人にしかやらないから。少なからず、ただの知り合いにはやらないよ」
僕はただの知り合いではないんですね。はい。
「……僕と北上さん、まだ知り合ってそんなに経っていないけど」
「そこはさ、同じ作家さんのファンのよしみだから」
何か問題でも? というような表情を向けつつ目の前の北上さんは少し溶けかけたアイスを一口頬張る。程よくかかった暖房で、アイスがもう崩れ始めている。
「あーあ、雫石君が食べないから溶け始めちゃったよー」
子供のような無邪気に話していた彼女は少し残念そうな顔を浮かべる。
「……なんか、ごめん」
「いやいや冗談だから、むしろ溶けかけの抹茶アイス私好きだからいいよ」
あー本当ペースつかめないな。
なんて内心思ったからだろうか、きっと僕の表情に雲がかかったのだろう。
僕の顔を見た彼女は一拍も置かずに続ける。
「ごめんごめん、つい、ね……?」
両手を胸の前に合わせて謝ってみせるその仕草は、どこか可愛く見えてしまうから僕はやはり俗物なんだなと実感した。
モテなくても友達いなくても異性にはときめくんだなと知った瞬間だった。
すると、ふいに僕のスマホが小さく震動しはじめた。
「ごめん、電話出ていい?」
僕はそう断りを入れる。
「いいよいいよ、気にしないで」
「ありがとう。――もしもし、お母さん? うん、今大学の帰り。家の近くの喫茶店でお茶飲んでるよ。え? 急に夜勤入った? わかった、適当にご飯食べるから、うん、うん、じゃあ、気を付けてね」
そう言い僕は母親からの電話をり、「ごめんね」と一言北上さんに謝る。
「お母さんから?」
「うん」
「そういえば、そろそろ日が暮れるけど、北上さんはまだ大丈夫なの? 時間」
いつの間にか、辺りは薄暗くなっていた。道を行き交う車はヘッドライトを点灯させて、街灯からは少し濁った白色の光が広がっている。いくら大学生と言っても、何も聞かずに女の子を連れまわすのはよくないと思い、僕は確認を取った。
「私、一人暮らししているし、今日は何もないから平気だよ」
「そっか」
「でも、無駄に遅くなってもあれだし、そろそろ帰る?」
アイスを食べきってから、北上さんはそう言う。
帰るタイミングにもちょうどよかったので、僕は同調する。
「そうだね、帰ろっか」
そう言い、僕は財布から千円札を取り出そうとする。けど。
「ああ、いいよいいよ。誘ったの私だし、ここは私が払っておくから」
北上さんは席を立ちながら僕に笑いかけ、言う。
「え? で、でもそれは悪いし……」
どんな小説だって、女の人に無条件におごらせる男はいないし、いたら大抵そいつはヒモかクズだ。
「自分の分は払うよ」
僕は先に会計に向かおうとする北上さんに千円札を無理やり渡す。
「しょうがないなーじゃあ、有難く貰うね」
苦笑いを浮かべつつ彼女はお金を貰い、精算を済ます。僕等は喫茶店を出た。
「家どっち? 送っていこうか?」
店の前で、そんなことを言うと、北上さんは意外そうな顔をする。
「お、雫石君はそういうことが言える人なんだね? ありがとう、送り狼になるつもりなのかな?」
「いやっ、そんなつもり微塵もないから」
こう、空気を吸うようにからかってくるな……。
「ふふふ、想像つくよ。雫石君は、そーいうことを無理やりしない人っていうのは」
そ、そーいうことって……。
「じゃあ、送ってもらおうかな、こっちだよ」
そう言い、北上さんは駅のある大通りを進み始めた。
「でも今日は楽しかったよ、色々お話できて」
「そう? 僕みたいな奴と話して楽しかった?」
「僕みたいな奴って……雫石君自分を卑下しすぎだよそれ」
隣を歩く彼女がふとそんなことを言う。
「不必要に自分を貶めることはだめだよ、そんなことしていたら、誰も雫石君のこと見てくれなくなる」
何故か怒られている僕。冷え込む空気と一緒に、北上さんの諭すような声が胸に響いてくる。
「う、うん……気を付けるよ」
「ごめんね、急にこんなこと言って」
僕が謝ったことで、この話は一旦決着がついた。
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