君と僕と、僕が見つけた土曜日
白石 幸知
第1章(1)
**
真っ白な景色が、揺れる列車の窓から見える。建物も木々も人も車も何もない、ただの景色が、僕の視界を通り過ぎていく。もはや窓の向こう側に映る白が、光なのか雪なのか僕はわからない。
列車に乗っているのは僕ただ一人だ。ガタンゴトンと響く列車の走行音が無音の空間を作り出すことを阻止している。
シートに座る僕は、ただ何もすることもせず、変わりもしない風景を眺めている。
不意に、列車がゆっくりと減速していき、そして動きが止まった。やはり、真っ白な景色は変らないままだ。そして、ドアが開く。
「……降りないの?」
誰かが乗っている訳でもないのに、僕はそう口にする。当然、この言葉を聞いてくれる人もいなければ、返事をしてくれる人もいない。
しばらくすると、列車はドアを閉め、再び動き始めた。
相変わらず、景色は変わらない。
**
「じゃあ、今日のゼミはここまでにしようか。解散―」
ワイシャツにジーンズというラフな格好をした僕のゼミの先生がそう言い、月曜三限に行われる演習の時間は終わった。次々とゼミ生が友達と駄弁りながら教室を出て行く。僕も荷物をまとめて、教室を出ようとした。
「あ……雫石君、土曜日は楽しかったね」
すると、後ろから僕、雫石峻哉は一人の女子に声を掛けられた。
「……えっと……北上さん?」
いつも誰かに話しかけられることなんてないから、返すのが遅くなってしまった。
声を掛けてきたのは同じゼミ生の北上栞。栗色の髪をおかっぱにして、左右に髪留めをしている。パチリと開く丸い瞳は、少し緩んだ口元と共に温和な印象を僕に与える。
ただ、一つ問題があるとしたら、僕は土曜日に彼女と会った記憶がない。確か僕は土曜日、家で授業のレポートを片付けていたはずなのだけど。
「うーんと、人違いじゃない? 僕、土曜日は家から出ていないはずなんだ」
僕がそう答えると、北上さんは困ったように笑いだし、「あっ、そういえばそっか、そうだったな」と独り言を呟いてから、僕に返した。
「ごめんね、私の勘違いだったみたい。今の話、気にしないでね」
「う、うん……別にいいけど……じゃあ、僕はこれで」
「うん、じゃあね、雫石君」
僕は教室を出て、他の学生でごった返す廊下を抜けて、紅葉彩る道路に出る。僕の通う大学は、北海道では有名な大学で、札幌キャンパス内にある数々の自然は毎日多くの一般客を惹きつける。現に、銀杏並木が連なる通用門に繋がる通りは、何人かの人が立派そうなカメラを構えて写真を撮っている。僕は写真に詳しくないから、それくらいしか言えることはないけど。
老若男女集うキャンパスを歩きながら、僕はさっき話しかけられた北上さんについて思いを巡らせる。
……急にどうしたんだろう、北上さん。誰かと土曜日に遊びに行ったのを僕と勘違いしたのかな……。でも、僕と間違える理由なんて、ないよな……。
だって、友達少ない――いやごめん見栄を張った――友達いない僕は、これまで北上さんとろくに話したことないんだ。間違えられるなんてこと、そうそうないはずなんだけど……。
いいや、考えてもしょうがない。とりあえず、今日は札幌駅の本屋に寄って、家に帰ろう。
そう僕が開き直る頃には、景色は自然走るキャンパス内から一変し、札幌市の中心部らしく交通量多いビル街になっていた。
まあ、もう北上さんに声を掛けられることはないと思っていた。でも、その機会は案外あっさりと来てしまった。今度は、間違いなく僕のせいで。
声を掛けられてから一週間が経ち、また月曜の演習が終わった。僕はそそくさと荷物をまとめ教室を出る。
そろそろ冬物のコート出さないとな……。
なんてことを考えさせるような冷え込み具合のなか、一人帰り道を歩いていく。なんとなくパーカーのポケットに入れてある文庫本に手をかけようとしたけど、あるはずの紙の感触がなかった。
「あれ?」
落ち葉がたまっている歩道の上、僕は立ち止まる。キャンパス内も車道と歩道に別れているんだ、僕の通っている大学は。
「……どこか別の場所にしまったのかな」
僕は持っているカバンの中を漁り、他のポケットもないか確認した。
でも、どこにもなかった。
「教室に忘れてきたのかな……」
そう考えた僕は教室に引き返そうとした。結構いい所まで読んでいて、帰りの地下鉄の中で読もうと思っていただけに、少し気がはやる。はやく、見つけて続きが読みたいと。
すると。
「あ、雫石君、この本、教室に忘れてあったけど、雫石君の?」
十月の終わりにしては結構な重装備をした北上さんが僕の後ろに立っていた。
彼女の手の中には、今しがた僕が探していた本の影が。
「う、うん。それ、僕のだ。ちょうど探していたんだ、ありがとう」
よかった……。やっぱり教室に忘れていたんだ。というか、わざわざ北上さん、届けてくれたの?
そんなことを考えていると、
「はい。というか、雫石君も、この作家さんの本、読んでいるんだね」
彼女は僕に本を渡しつつそんなことを言い出した。
「え? ……知っているの? この人」
僕がそんな反応をしたのは、言う通りあまり有名な作家ではないから。新刊は平積みされるけど、すぐに一冊だけの在庫になってしまうような、そんな人。
「うん、知ってるよ。私、結構読むよ」
……初めて会った。同じ作家の本を読むよ、という人に。どこか心のどこかがくすぐったくなるような、そんな気持ちになる。
「ねえ、雫石君はこれから帰り?」
「そうだけど……」
「ならさ」
彼女はポンっと僕の前に出て、首に巻いているマフラーを揺らせた。
「この後、一緒にお茶しない? なんか、同じ作家さんの本読んでるってわかったら話したくなっちゃった」
「ま、まあ……いいけど」
初めてのことに、返事がぎこちなくなる。それを聞いた彼女は、ニコッと笑みを浮かべつつ僕に続けた。
「あれ? 彼女とかいた? 他の女といると怒られる?」
「……あのさ、僕に彼女いると思う?」
言っていて悲しくなる話だけど、友達すらいない僕に、そんな浮いた話なんてあるはずがない。
「ごめんごめん、そういうつもりじゃなくてね……。家、どこ?」
「家? 東札幌だけど」
「え? 東札幌なの? 私、その隣の駅で一人暮らししているんだ、なら家の近くで雰囲気のいいお店知っているからそこ行こうよ」
あ、あれ……なんか急な話だなあ……。今までそんな話がなかった僕に、いきなりお茶なんて……雪でも降るんじゃないのか? そろそろ降る時期だけど。
「う、うん。いいよ」
そうして、僕と北上さんは地下鉄に乗り、東札幌駅の近くにあるという喫茶店に向かうことにした。さっきまで感じていた読書欲は、今女の子と一緒に帰っているというドキドキにすり替わっていた。やはり僕も俗物だったみたいだ。でも、どこかどうしてなんだろうっていう思いは残っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます