第22話 武装領主
声の主を認識すると修練場に集った侍衛衆と警邏隊は、次々と膝を折って頭を垂れた。
舩坂と辰沼も互いに剣を収めて膝を着く。抜刀したままにはできなかった――この国の武装領主を前にそれは許されない。鷹乃領領主、
「見事な立ち合いであった」
重い声――峻厳にして緩みなし。
「己の脚で歩いてみるものだな。良いものを見せて貰った。――若き剣士たちよ、名乗れ」
舩坂の心臓がどくりと音を立てた。
「侍衛衆が十三位、
辰沼は視線を伏せたまま答えた。その隣で舩坂は押し黙っていた。
「辰沼貞光……その名には聞き覚えがあるぞ。侍衛衆随一の剣士であると
武装領主は相好を崩して言った。
「――は、そのように御褒め頂いていたとは存じませなんだが、常は是正様の御傍に侍っております」
「先ほどの剣戟、頭を割られたかと見間違うたわ」
「一寸の見切りにて無事を得ました」
俺の剣を見切っていただと――噴飯ものの物言いに怒りが込み上げてくる。
「見事なり。一層の修練に励め」
「――は、然と」
衆人環視の中、領主自らに褒められるという栄誉に浴し、辰沼の声は上気していた。無理もない――既に老境に差し掛かったとはいえ、鷹乃弦正は一流の剣士として、近隣諸国に名を馳せていた男だ。その男に認められたともなれば箔が付くというものだ。きっと辰沼が誉を得たことを羨む者は侍衛衆の中にも多いだろうと舩坂は思った。
「――して、其方の太刀筋もよく練られていた。――名を名乗れ」
何と答えればいいのか――舩坂は臥したまま動けなかった。体が痺れている。領主から言葉を貰った――その事実だけで体が動かなくなっている。
だが、自分は反逆者に与した男の倅だ。本来であれば謁見が許されるような立場ではない。それに何より、これは喧嘩――元々褒められる話ではないのだ。
「どうした、答えよ」
弦正の側近が返答を促す。儘よ――舩坂は覚悟を決めた。
「
寒風に総毛立つ――空気が一変したと舩坂は感じた。流石に弦正の側近で舩坂の名字を知らぬ者はいないはずだ――その名は領主の敵として刻まれている。
如何ともし難い時間が経過していく。領主の弟である栄ノ常様の名を前面に立てるという姑息な回答をしてみたが、意味はなかったらしい。
近侍たちがざわついている――五條の、処刑、反逆者、追放、何故、あのような者が――言葉はつながらずとも意味は通じた。誰もが舩坂の存在を歓迎していない――さりとて勝手に退出するわけにもいかず、舩坂は領主の言葉を待つしかなかった。
「――下郎、場を弁えよ。反逆者風情が恐れ多くも侍衛衆と鉾を交えるとは如何なつもりか――」
近侍の声に舩坂の身が凍る。
「辰沼家は五條の乱で大いなる手柄を上げた家――其方、まさか復讐を図ったわけではあるまいな?」
「……いえ、そうではありませぬ」
隷民まで身を落とした舩坂に、乱の平定で誰が手柄を立てたかなど知る由もなかったし、調べるつもりもなかった。
このまま侍衛衆と揉めていたことが明らかになれば、処断されるのは間違いなく自分だ――何か言わねばならないが、見当がつかない。舩坂は完全に次に打つ手を見失っていた。
辰沼の姿を脇目で追いかけてしまう――辰沼は片膝を着き、視線を伏せたままだった。
先程まで命のやり取りをしていた相手――その敵手に救いを求めている自分に気づき、嫌悪感を抱いた。
「……辰沼様に稽古をつけて頂きました」
結局は侍衛衆の顔を立てる無難な回答を選んだ。生き残るためには、これで正しいのだと舩坂は自分に言い聞かせる。
立ち合いについては領主が好感を示した。辰沼が話を合わせてくれれば断罪はないはずだ――。
辰沼とて、せっかく褒められた事を貶めたくはないはずだ――だが近侍たちは舩坂の予想以上に反逆者の一族に対して攻撃的だった。
「修練中の事故となれば、侍衛衆を討ち果たしても追求されずに済む――大方、そう考えたのであろう」
「そのようなつもりは……」
即座に反論したが、言い掛かりなど幾らでも可能だ。もし辰沼がそのとおりだと証言すれば、すべてが終わる。
「革鞘を付けたるとはいえ、大剣は大剣。中たれば死ぬは道理。私闘は禁じられているゆえ、それを逃れようとして画策したに違いない」
「違います。私は――」
この糞ども――腸が煮えくり返りそうになる。喧嘩を売られたから買った――そこにそれ以上の意味などあるものか。貴様らも武人ならば其の程度はわかっていて当然だろ――。
「ではなぜ大剣を使った。――殺意がなければ刃引きか木剣を使うはずだ」
「……革鞘で充分と判断しました。そのようなつもりはありませなんだ」
あの時、木剣は折れていた。だから大剣を選んだ――それは失敗だったかもしれない。しかし、辰沼も真剣で応えた。その上、自分は鎧すら着ていなかった。不利だったのはこちらの方だ。
「誤魔化すな。此奴はまだ反逆の心を持っているに違いないない。殺意の有無は我等が判断する――辰沼、貴様が証言せよ。貴様の言葉で我等は此奴の処遇を決める」
舩坂は絶句した。
本来、喧嘩であるならばどちらか一方だけが処分されることはないはずだ。だが近侍どもは辰沼の証言を重要視している。そして一度そうだと断定されてしまえば、抵抗しても無意味――それは常日頃の裁判で見てきているのだ。舩坂の脳裏に辰沼の言葉が蘇る――これは喧嘩ではない、無礼討ちだ。
畜生、俺は嵌められたのか――背筋に冷たいものが走った。撃剣の熱はすでに抜けていた。
衆目集まる中、辰沼はゆっくりと顔を上げた。そして近侍の顔を見据えて言った。
「――修練でございます。准騎士どもに稽古をつけてやったまでのこと。そこに諍いはございませぬ」
辰沼は淀みなく言い切った。
「しかし稽古に真剣を用いるなどあってはならぬ事態、それを――」
「――私が望みました。折角の折、可能な限り実戦に寄せたいと――」
凛と声が響いた。
辰沼に言い張られては近侍も黙るしかないのだろう。不満げな様相を浮かべ何か言いたげにしているが、それ以上の追求はなかった。
救われたな――舩坂は思った。おそらく辰沼にも剣士としての誇りがあったということなのだろう。戦うことによって相手の技量を知り、それを得るために費やした努力を推測し、その生き様に対して敬意を抱く――有り得ない話ではない。最初に抱いていた印象とは違うのかもしれないと舩坂は思った。
「――父上」
衆人の注目が声の主に移動する――現れたのは黒い軽鎧を纏った少年だった。
「
近侍の呟きが聞こえてきた。
あぁ――舩坂は安堵している自分に気づいた。
第三継嗣は不機嫌そうな表情で父である領主に頭を下げた――公は無言で応じた。それが終わると第三継嗣は警邏隊に振り返った。
「何をしている、副長。修練するように命じてあったはずだが」
「これは――命令に従い修練をしておりましたが、丁度侍衛衆の方々が近くにおらせられまして……」
舩坂の胸の中でずぶずぶと燻っていた感情が流されていく。
自分は助かる――きっと第三継嗣がそうしてくれる。言葉にはできない感情が舩坂の中に溢れていた。
「それで侍衛衆の辰沼様に稽古をつけていただいて……。それから……」
「なるほど。父上は若き武人が修練を眺めるのが好きだからな。――それで貴方が辰沼殿か?」
片膝を着いたままの辰沼は頭を下げた。
「――は、辰沼啓四郎貞光にて」
「あぁ、疾剣、嵐龍の如しと謳われた辰沼殿か?」
そんな異名があったのか――舩坂も武人である。強者の噂はできる限り耳に入れるようにしていたが、嵐龍という異名は聞いたことがなかった。
「嵐龍……ですか。いえ、私は――」
「――一度、我が警邏隊への教授を依頼しいと言っておったのだが、どうやら我が意を汲んでくれたようだな。――感謝する。忙しい身であるとは推測するが、機会あれば私も共に汗を流したいものだ」
「……恐悦至極に存じます。いずれ機会がありました時には是非――」
「――ま、待たれよ……! まだ問題は解決されておりませぬ! 舩坂に殺意があったことは間違いなく……」
第三継嗣と辰沼の会話が終わりに向かう中、近侍が再び口を挟んできた。
「――そう言えば出掛けに雑事の処理を頼まれましてね。それで合流が遅れました。誠に申し訳ない。それで問題とは何か、矢間名殿?」
雑事――第三継嗣は一体何の話をしているのだろうか。
「……それは……いえ、当人たちが問題と思わぬのであれば……」
「今後は修練に遅れぬように、私も気をつけましょう」
理屈はわからないが近侍たちは第三継嗣に従うことにしたらしい。きっと彼の言葉の裏に何かあるのだろうと舩坂は推測していた。
「さて――父上、我々は次の任務のために訓練を継続しなければなりませぬ。父上に監督されていては緊張で動けなくなる者もおりましょう。それにこれ以上の接待もできませぬゆえ――お引取りを」
嘘だろ――舩坂は再び驚愕していた。第三継嗣の発言は、自分の親に向かって帰れと言ったに等しい。どう考えても無礼であり、許される言葉ではない――あまりのことに領主の近侍たちも固まっていた。
「……若き精鋭が育つのを見ていたかったが仕方あるまい。――励めよ、皆の衆」
だが、領主は息子の言葉をよしとしたらしい――居並ぶ兵士に声を掛けた。剣士たちは片膝を着いたまま、再び頭を垂れるしかなかった。
領主が立ち去ると侍衛衆もそれに続いた。舩坂と辰沼は一度だけ視線を合わせたが、お互いに言葉は口にしなかった。そうやって警邏隊以外の者たちが去ってから、第三継嗣は舩坂と里海師範、それと甲野にだけ聞こえる音量で言った。
「最初は里海師範が喧嘩を買ったのであろう。――違うか?」
「え……」
驚く舩坂に第三継嗣はやはりそうかと毒々しい笑みを浮かべた。
「出掛けに書類仕事を押し付けられてな。――おそらく私を足止めしてる間に、副長を嵌めるつもりだったのだろう」
「俺――いえ、私をですか?」
第三継嗣を足止めまでして自分を始末する――意味が理解できない。
確かに自分は反逆者の一族であるが、役職は低く土地持ちでもない。目立つ存在ではなく、有り体に言って日陰者だ。
「わからぬか?」
はぁ――と舩坂は頭の悪い返事をした。
「今年の秋は戦がなかった――よって若い騎士たちは功を立てる機会がなかった。だから内政で功を上げるために――反逆者の一族を討ち、それを持って功績にすると誰かが考えたのだろう」
納得できる半面、その程度の考えで家中の剣士を殺そうとするものなのだろうかという疑念が生まれてくる。
「副長は反逆者の血を引いている。死なせても後腐れは少ない。おそらく侍衛衆は父が此処に来ることを知っていたのだろう。いや――場合によっては、此処に来るように誘導したのかもしれない」
第三継嗣が里海師範を見詰めた。
「師範が喧嘩を買って出たのは、副長に立ち合いをさせないためですね」
「まさに――」
柔らかい回答だった。
「女との立ち合いなぞ、領主の目に入れられるものではない。立ち合うこと自体が不名誉だ。そうやって追い払おうとした」
里海師範はこくりと頷く。あれで――と甲野が呟くと第三継嗣は年齢相応の笑みを浮かべた。
「師範、やはり私以外の人間が聞いても、師範は口が悪いと思うようですよ」
むぅ――と里海は不機嫌であるという気配を漂わせた。
第三継嗣は底意地の悪そうな笑顔を浮かべると甲野に説明した。
「甲野、それはだな……里海師範は交渉している間に自分で戦ってみたくなったのだ。侍衛衆が簡単に引っ込まないとなれば自分で相手をする。実に単純だろ? ――あぁ、そういう時の師範は好きにさせておいて構わない。簡単に負ける武者ではないからな」
「……そうですか」
「そうだ。あの場合、副長にやらせるのが最悪の判断だ。――これも予想だが、おそらく師範と侍衛衆の立ち合いが決まってから、副長が横入りしてきたのではないか?」
「はい――」
甲野は答えた。第三継嗣の笑みは舩坂には不気味に思えた。
「斯くして師範の計画は崩壊し、侍衛衆と副長の立ち合いが始まった……里海師範の煽りは見てみたかったな」
相手が女では拙かった――侍衛衆の価値を下げるだけだから。それなのに自分は上手く乗せられてしまった。
「……すみません」
とりあえず舩坂は謝った。理論だって説明を受ければ何となく理解出来た気にはなるのだが、とにかく雲を掴むような話で実感が薄い。本当になぜ自分如きの小物を侍衛衆が狙ったのだろうか。
「謝る必要はない、副長。それより連中は慌てただろうな。辰沼は侍衛衆の中でも上位の剣士だ。それが警邏隊の准騎士ごときと見下していた男に喰い付かれたのだからな」
くっくっくと第三継嗣は声を上げた。
「結果として見事な立ち合いになったのであろう。あの父が感心したくらいだしな。――救われたのは侍衛衆の方だ。ややもすれば里海師範にやられるところを父上に披露するはめになっていたわけだしな」
やけに楽しそうだ――舩坂は思った。どうにも第三継嗣は他人の思惑が外れることを楽しむ傾向があるようだ。
「あそこまで父に褒められては、賊を誅殺しようとしてできませんでしたとは言えぬよな。――副長、よくやった。褒美を出せる話ではないが、この件は我が心に留めておく」
はぁと再び頭の悪い返事をして第三継嗣を見守った。一頻り笑い終えると第三継嗣は真顔になって言った。
「迷惑を掛けたな」
「い、いえ。それはこちらの――」
「副長は偶々条件が一致しただけだ」
条件――反逆者の血のことだろう。おそらく一生付いて回るのだろうなと考えると気が重くなってくる。
それに何より――と第三継嗣は続けた。
「私の部下だからな。……おそらく当面の間、迷惑を掛けることになる。隊を止めたくなったのなら、早めに言ってくれ。無理強いはしたくない」
およそ支配階級の人間の吐き出す言葉じゃないな――舩坂はそう思ったが、とりあえずわかりましたと答えを濁らせて返すだけにした。
第三継嗣は何か呟くと稽古を再開すると言った。それから――。
「――出撃が決まった。五日後に山砦の探索を行う」
そうとだけ、話を付け足した。
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