第21話 切り合い


 手持ちの木剣が砕けたのは七本目の立木を叩き折った時だった。

 木剣を交換しようとした舩坂は何やら騒動が起きていたことに気づいた。舩坂は甲野から事情を聞きだすと侍衛衆に対して頭を下げた。

 この場合、どちらに正当な理由があるかを問うべきではない――上の者が下の者に修練場を明け渡せと言っているだけの話だ。

「侍衛衆方々、失礼をば――。我々が撤収します。おまえたち、修練場を片付けろ」

 そそくさと撤収命令を出すと、准騎士たちは不満を噛み殺す表情で従った。

 舩坂は常日頃から揉め事は起こすべきではないと考えていたし、それ以上に今は疲労で考えるのが面倒になっていた。

「甲野、急がせろ。それと――里海師範、あとで話は聞かせて貰いますよ」

 正直な所、里海という女を見誤っていた気がする。何となく残念な思いを舩坂は抱いていた。

「――そうはいくか。騎士の試合は女の遊びとは違う」

 侍衛衆の男は切っ先を女武芸師範に向けたままだった。

「後程、詫びは入れますので。――急ぎ、撤収します」

 舩坂は恐縮しているという態度を崩さなかった。

「貴様が頭を下げた程度で何になる。我が名誉が穢された。その女は斬らねばならぬ」

「そこはそれ――何卒、御寛容の程を……」

 面倒臭ぇ――階級上位者と揉めると、これだから厄介だ。権力を傘に着て、どうでもいいことまで追求してくる。

 だからといって反抗すれば、こちらが正しくても処断される可能性が高い。

 序列とは守られるべきものであり、そこから外れるというのであれば、それは法からの逸脱を選ぶということ――即ち、自分が賊と同じ立場になるという意味であり、それを選択させられるのは面倒だった。

「黙れ。俺は女の褌担ぎとは言葉を交わさん。引っ込んでいろ」

 侍衛衆の嘲笑と警邏隊の不穏な気配。

 舩坂の面子に泥を塗るような挑発――耐えねばならない。自分は反逆者の息子なのだから――。

 だが、同時に強い立場の者との交渉という流れが、舩坂のひとつの記憶を惹起した。

 夜の森。廃聖堂。紅髑髏の姫巫女と騎馬隊――あの時、第三継嗣は己の矜持を守るために、あれほどの軍勢を前にしても一歩も退かなかった。

 翻って自分はどうだ――舩坂は口唇を噛んだ。

 侍衛衆は上流階級の後継者で構成された部隊だ――下級武家の次男三男で構成された警邏隊とは違う。

 侍衛衆は国の首脳陣の近くに侍りて学び、やがて次代の支配者へとなっていく――戦場で使い潰される自分たちとは違う。

 確かに身分差はある――だがその身分差は、あの夜の姫巫女と第三継嗣との差と比べてみれば小さなもののはずだ。

 あぁ――舩坂は以前の自分なら許せたことが今では我慢できなくなっていると気づいた。

 あの餓鬼は状況を動かすために様々工作をした。人質を使い、法を引き合いに出し、禁じ手を重ねた。そしてその結果、最高の条件を引き出すことに成功した。

 俺にそれができるのか――時には宥め賺し、時には暴力に訴える。その責を担う覚悟が俺にはあるのか――。

「その女を残して去ね。さすれば鼠どもは見逃してやる。鼠は刑場で死骸でも頬張っておれ」

 猫が鼠を甚振るかのように――侍衛衆は警邏隊を嬲るのを楽しんでいる。

 面白ぇじゃねぇか――苛立ちが一瞬にして暴力的な衝動に変わる。破滅への願望が心身を焦がしていく。

「――その話乗ってやる。俺が相手をしてやるさ」

 答えが出る前に言葉が溢れた。

「道場剣術家に実戦を教えてやるよ。ありがたく思いな」

 どうする、どうすれば心置きなく、こいつを殺せる――甲野が頭を抱えているのが見えた。なんでこうなるんだという愚痴すら聞こえてくるようだった。反比例するかのように舩坂の気分は良くなっていた。

「――舩坂殿、これは私の戦いだ」

 里海師範の声には焦りが含まれている――舩坂は侍衛衆から視線を切らずに答えた。

「里海師範は警邏隊うちの武芸指南役だ。つまり、うちの中では格付け一位の武人だ」

 無茶苦茶な理屈だというのはわかっている。だが体の芯から闘志が湧き出ていて止めることができない。武人は舐められたら終わりだ。奴等は警邏隊を――俺を挑発した。俺はそれに応える義務がある。

「あんな糞みたいな連中には俺で充分だ。――隷民・・上がりの俺ぐらいがで丁度いい」

 舩坂の言葉を侍衛衆が咎めた。

「――貴様、士族の出ではないのか?」

「士族? あぁ、戦場でよくおっ死んでる奴等のことか?」

 剣呑とした空気が修練場に満ちていく――護衛騎士である彼等も舐められることは許されていない。

「底の者の分際で我等の前に立つとは笑止千万……」

 流れはこちらに傾いた――最早、侍衛衆は里海師範を見ていない。

「――御託はいいから、早く構えろよ。恥垢野郎」

 沈黙――あぁ、これはあの時と同じ沈黙だ。舩坂は気分が良くなっていくのを感じていた。小僧、見やがれ、俺だってこの位はできるんだ――。

「誰か丁字を持ってこい」

 警邏隊の若い准騎士が修練場に立てかけてあった丁字大剣を持ってくる。

「――革鞘も寄越せ」

 投げ渡された革鞘を丁字大剣に嵌める。

「喧嘩だ。死なないようにしてやるよ。――そっちは剥き身のままで構わねぇぜ?」

 最早、身分の差などあるものか――裸に丁字大剣。革鞘は付けているが殺傷能力は十二分に備わっている。

「巡回警邏隊副長、舩坂干城ふなさか たてきだ」

 硬い顔をしていた前に出て応じた。

「侍衛衆、辰沼啓四郎貞光」

 辰沼と名乗った騎士は中剣を眼前に立て、舩坂を睨みつけてくる。

「隷民上がりは騎士礼も知らぬか?」

 辰沼の毒々しい笑み。完璧な騎士礼で答えてやろうかと舩坂は一瞬だけ考えたが、その案は採用しないことにした。せっかくの機会だ――礼法など糞ほどの心得しかない戦士に負けた方が、相手の顔が潰れる。

「――仕事柄、埋葬礼には詳しいんだがな」

 警邏隊に無礼を働く輩に返す言葉は決まっていた。

「罪人を処断することこそ我が使命。――咎人よ、我が撃剣にて裁かれろ」

 その挑発に護衛騎士の目の色が変わった。

「喧嘩と言ったな、処刑人。これは喧嘩などではない――無礼討ちだ」

 辰沼は背負っていた中盾を左手に装備し、右手の剣を後方に引いて構える――その姿に数秒前までの驕りはなかった。

 さて、どうする――第一継嗣の護衛ともなれば、手練の者で間違いない。場合によっては殺されるかもしれないなと舩坂は思った。

 舩坂は丁字大剣を右肩に担ぎ、刀身を己の頭部で隠した。剣の長さを相手に読ませず、間合いに入ってきた対手を一撃で切り伏せるための構えだ。

 それを理解してか辰沼はやや遠目の間合いで、小刻みに出入りを繰り返し始めた――俺の初撃を外すつもりだなと舩坂は読んだ。

 重い大剣では連打はできない――必ず隙ができる。辰沼はそこを突くつもりなのだろう。

 修練場には罵声と挑発の声――侍衛衆と警邏隊の男たちの興奮が伝わってくる。

 辰沼の動きは理に適ったものだった。体軸に乱れが少ないので、出入りの欺瞞を見抜くのは難しい。厄介な奴だ――舩坂はそう認識した。

「上手い踊りだな、男娼野郎」

 更に下品に煽る――怒りに我を忘れて、突っ込んできてくれれば有り難い。だが辰沼は冷静なままで、不用意に間合いに入ってくることはなかった。

 このままでは埒が明かない、躱せるものなら躱してみやがれ――舩坂は大地を蹴り込み一気に間合いを潰した。雄叫びと共に大剣を振り下ろす。

 丁字大剣の斧型の切っ先が大気を両断――火花――湿った土と小石が飛び散る。

 沈黙があった――周囲の男たちの唾飲む音が聞こえてくるようだ。

 舩坂の丁字大剣は空を斬ったが、辰沼はその隙を突くことができなかった。

 辰沼は後方に大きく飛んでおり、そこで動きを止めていた。

 修練場の大地にめり込んだ斧状に剣先を舩坂が引き抜く。革鞘があっても意味がない――互いに兜を装備していない今、頭に貰えば頭蓋骨を砕かれると、そこにいる誰もが知った。

 舩坂は丁字大剣をゆっくりと肩の位置まで戻す。

 想像していたより、思い切りの良い奴だと舩坂は思った。恥も外聞もなく、あそこまで徹底した後退を選択できるのは剣才があるといえる。

「――やるじゃねぇかよ」

 舩坂の呟きに辰沼は不敵な笑みを浮かべた。

 舩坂は、その顔に向かって再び踏み込んで大剣を振るう。辰沼は横に回避――そして刺突。

 甘ぇんだよ、こっちの方が長い――舩坂は横薙ぎの一閃――辰沼は大きく仰け反って躱す。

 どよめきと嘆息――舩坂の大剣は嵐の如く、辰沼の突きは雷鳴の如し。

 踏み込み――砂利が崩れる音と激突音。鍔迫り合い――舩坂はそのまま体重を浴びせるが、辰沼は巧みにいなして引き打ちを狙う――。

 弾けるようにふたりが離れる――お互いの斬撃は肉体を捉えることはできず、ふたりの剣士の距離は初期位置に戻っていた。

 静寂――そして歓声が湧く。

 単純な攻防であったが速度が違う。それは見守る者たちの心胆を寒からしめる剣戟だった。

 だが、止める者などいない――戦国という時代は、流血を娯楽と捉える感性を育てる。中たれば死ぬという事実が観客たちを興奮させているのだ。

 舐めんじゃねぇよ――舩坂は内心で毒を吐く。

 俺が何のために気絶するまで立木撃ちをしてるか、わからなかったのか――すべては大剣による連撃を可能にするための訓練なんだぜ。

 真顔になった辰沼が舩坂の構えを観察している。冷静な奴だと舩坂は思った。

 これだけの剣士だ――正々堂々の勝負であれば、死んでも殺されても恨みはない。

 丁字大剣の重みを肩に感じる。今までと同じ振り方では、また躱される――その確信があった。

 ではどうしたらいい――次の瞬間、体が勝手に構えを変えていた。

 右肩前に丁字大剣を立てるように構え――左脚に掛ける体重を僅かに増加。右脚の爪先に地を噛ませる――蹴り脚の準備はできた。

「なんだ、あれは……」

 誰かの呟きが風に乗って伝わってくる。自分が恐ろしく邪道な構えをしていると気づき、舩坂は吹き出しそうになってしまった。命懸けの死合をしているのに、試したこともない構えを取っている自分がおかしかったのだ。

 だが、これで正しい――自分の肉体がそう言っている。

「次で当てるぜ。――死ぬなよ」

 この構えからの斬撃を試したい――それには充分の相手だ。

「――やってみろ」

 辰沼はやや腰を落とし、前のめりの構えを取った。中剣の切っ先が舩坂の眉間を向いている。斬られる前に潜り込んで突いてやるといった構えだ。

 異様な熱気が場を支配している。舞い落ちてくる雪片は男たちの体に触れた途端に蒸発する。

 一足一刀の間合い――集中を高める――歓声は遠くなり、音も匂いも消え、世界はふたりだけになっていく。

 静寂の世界だ。全身の筋肉を脱力させ、次の爆発に備え――。

「――そこまでだ」

 威厳のある声がすべてを阻害した。辰沼が距離を取り、視線を横に流した。舩坂も構えを解き、大剣を自分の肩に載せた。

「良いものを見せてくれた。――良く練られておるな」

 それは恐ろしく張りのある――支配者の声だった。


 

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